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 作品,55

 

 私たちの有り様は、東日本大震災の前後で大きく変わったと思います。
作者は家庭人としての日常生活を牧歌的に綴り、その中で3・11を捉えています。
あの日とそれ以降の捉え方は人それぞれでしょう。あえて、この一作を推薦いたします。

                                   推薦・安堂俊雄(Web頌) 


    

Web頌4号より転載


縦書きを印刷して読まれる方は→ 縦書きPDF版「女遊戸観音の話 

 

 

女遊戸観音の話
                                                 山根 新

 これは、自分が以前毎年お参りしていた、女遊戸の観音様の話です。

 女遊戸観音像があったのは、岩手県宮古市の市街地から10キロほど北上した、女遊戸〔おなつぺ〕という集落です。
 国道45号線のトンネルを三つくぐった後、右折して急坂を下って行くと、すぐに道が二股に分かれ、右が女遊戸の集落と、その先の海水浴場への入り口です。
 集落への道は山がちで、箱石川沿いにできた、ごく狭い平地を利用した田んぼが続きます。はじめてここを訪れた人だったら、「海水浴に来たはずなのに、山に来ちゃった…」とつぶやくことと思います。たしかにこのあたりは、夜になると蛍が飛び交い、電灯にはカブトムシやクワガタが寄って来る、そんな場所なのです。
 ですが、景色は少しずつ変化します。家々の軒先にガラスの浮きが無造作に積まれていたり、草むらの中に壊れた小舟が放置されていたりするのを見かけるようになり、やがて道は赤松林に入ります。
 赤松林の中にある工場みたいな建物は、宮古栽培漁業センターです。ヒラメやクロソイ、ニシンなどの種苗生産、放流を行っている施設です。その構内で飼っている犬が吠えかかって来ることがありますが、だいじょうぶ、若くて人なつっこい柴犬の彦一が、通りがかりの人たちに遊んで欲しがっているだけなのです。
 赤松林が尽きると、とつぜん、巨大なコンクリートの壁が視界をふさぐようにして現れます。これが、三陸リアス式海岸名物の防潮堤です。
 防潮堤の、開放された鋼鉄の水門をくぐると、更衣室兼シャワー室と、おにぎりやたこ焼きを売っているお店が一軒あるっきりの、簡素な海水浴場に到着。それまでの山間の風景に困惑していた人は、白い砂浜と穏やかで透き通った海を目のあたりにし、ここで思わず、
「山だベかとおらおもうたれば、やっぱり光る海だたぢゃい!」と叫ぶことでしょう。
 女遊戸海岸は有名な浄土ヶ浜海岸などとともに、「日本の水浴場88選」に指定されています。ですから、さぞ夏場は人でごった返すのだろう、と思う方もあることでしょうが、実はそんなでもありません。
 なんといっても浄土ヶ浜ほど名が知られていないこと、そして、真夏でもときどき冷たい東風のヤマセが吹くため、どうしても海水温が低くなることとで、訪れる海水浴客がごく限られているからです。宿泊施設にしても、三四軒の民宿が半農半漁の家々の間にまぎれてひっそりと建っているきりです。
 かつて、女遊戸観音像があった女遊戸という集落は、そんな三陸の隠れ里みたいな場所だったのです。

 ところで毎夏、自分と家族とが女遊戸で定宿にしていたのは、集落のほぼ真ん中にある、正三郎家という民宿です。
 新幹線と、盛岡からのローカル線である山田線を乗り継いで宮古駅に到着すると、駅前でレンタカーを借ります。そして、宮古市千徳の善勝寺にある、妻の父母の墓参りをすませてから、正三郎家に向かいます。
 女遊戸での、二人の子どもにとっての楽しみは、なんといっても昼間の海水浴、それから夜の虫探し、自分と妻にとっての目的といえば、海も山もある静かな環境で、本を読んだりして数日ゴロゴロ過ごすこと、そしてもちろん、正三郎家のご主人が漁師ですから、夕食に海の幸をいただくことです。運よく口開けの日に当たったりすると、朝食から、殻を割った生ウニが食卓に上ります。
 で、もう一つ付け加えるなら、年に一度、女遊戸観音像にお参りすること、それが家族にとってとは別の、自分だけの楽しみだったのです。
 観音像が安置されているお堂が建っているのは、正三郎家のすぐ裏手、涸れ川のさい川をはさんだ木立の中です。お堂といっても、二畳敷きほどの広さの、雨風がしのげるだけの建物です。通いで堂守をしているのは、正三郎家で住み込みで働いている、雨一〔ういち〕ちゃんです。
 雨一ちゃんは、宮古市鍬ヶ崎出身である自分の妻が、物心つくころから、よく宮古周辺で見かけていたという人ですから、かなりの年輩のはずです。でも、本人に年齢を聞いても、そのつど違う答えが返って来る始末、雨一ちゃんの出身地さえ、不思議なことに、正確なところを知る人は誰もいないようなのです。
 自分は毎年、女遊戸観音像にももちろんですが、その雨一ちゃんに会うのも楽しみにしていました。
 でも雨一ちゃんは、たいていいつも大忙し。朝五時。観音堂の開錠、掃除、お灯明上げでスタート。正三郎家にすぐ引き返し宿の朝食づくりの手伝い、配膳と後かたづけ、その後も部屋掃除、風呂掃除、トイレ掃除、その他いろいろ…。昼食後もゆっくりする間もなく、新規の宿泊客の受け入れ、夕食の準備、配膳、そして後かたづけ。さらにときどき、女遊戸海水浴場の、監視員の仕事が突発で入ることもあります。正三郎家の奥さんの静江さんは、
「みんな知らねみたいだけど、雨一ちゃん、ほんどは、カナヅヂなんだ」と心配顔ですが、要するに雨一ちゃん、頼まれたら断れないタイプなんです。
 ですから、雨一ちゃんと話ができるのは、静江さんと雨一ちゃんとが、広間での夕食の配膳をひととおりすませ、あとは宿泊客が部屋から降りて来るのを待つだけという、夕方五時半前後のごく短い時間に限られるのです。
 そのわずかな時間を利用して、雨一ちゃんはどこへ行くのも同じゴム長靴をはいて、いそいそと出掛けます。手に持っているのは、観音堂の鍵です。自分も黙って、雨一ちゃんについて行きます。
 お堂のまわりの木立は、ひぐらしの声につつまれています。雨一ちゃんが朝と同じようにお灯明をともすと、薄明かりの中に観音様の、子どもの背丈ほどのお姿が浮かび上がります。雨一ちゃんは、その前にうずくまって手を合わせ、口の中でなにやらブツブツ唱えはじめます。自分もそのうしろに立って、手を合わせます。目をつぶると、ひぐらしの声が体にしみ通って来るようです。そのとき自分はいつも、ああ、今年もまた女遊戸に来させてもらえた、としみじみ感じるのです
 やがて雨一ちゃんは、おもむろに立ち上がり、作業ズボンのうしろポケットから缶コーヒーを取り出します。パコッとプルを開け、
「さあ、おづどめさ終わっだがら、お茶っこすっぺし」と言って、ガブリと飲みます。それを合図に、自分もズボンのうしろポケットにねじ込んで来た缶ビールを取り出し、プシュッとプルを開け、ゴクゴク飲み干します。それから雨一ちゃんに向かって、
「あれって、やっぱりお経?」とたずねます。雨一ちゃんはまた、缶コーヒーをガブリと飲み、
「んだ、お経だ」
「誰かに教わったの?」
「喜一さん」
「ああ、清作さんのお兄さんの……」
「うん。おれがめえにちやっでぎだごどは、お堂の鍵さ開げて、掃除さして、お灯明さあげで、ときどき、静江さんが宮古の及川さんどごで買って来たお花さあげで、またお灯明さあげで、おしめえに鍵っこさ閉めで……。たったそれだけだったども、喜一さんがこのめえこごさ来て、『雨一ちゃん、お経さあげるのが、観音様への功徳っていうもんでねえか』って、そのお経さ紙に書いでげだ。喜一さんいっつも、筆も墨も硯もパジェロに積んでっけがら。それで、おれは観音様の前でめえにちお経さあげるごどにしたんだ」
「その紙、見せてよ」
「いんや、だめだ」
「なぜ?」
「その紙、おどどいなぐしてしまったんだ」
「どこで?」
「海」
「監視員してて?」
「うん、大ちゃんが二日酔いの頭痛だったがらシフトさ代わってやったら、盛岡から来てたわらすが突堤のすぐ近くで溺れかがって、おれも見張りのイスから飛び降りて、砂の上さ走って海さ飛び込んで、気づいだら、浮ぎ袋が投げられでで、おれもわらすもそいつにしがみついで助かったんだ」
「……」
「あとでわかった。浮ぎ袋はわらすのちぢおやが投げで寄越したんだな。で、海か砂浜で、喜一さんの紙をなぐしてしまった。きのう静江さんにうまいこと言い訳して、バスさ乗って田老の喜一さんちさ行って、お経の紙なぐしたって謝って、まだ書いてもらうべえとしだら、喜一さん、『雨一ちゃん、お経そらんじてみろ』って言うたんだ。おれは、おぼえだどごそらんじた。そしたら喜一さん、『雨一ちゃん、おめにはもう紙なんていらね。おめ、ちゃんとお経を会得しだがら。だいいち、おめとそのわらすが海で助かったのは、おめが毎日欠かさず読経してる御利益、円空さんがお造りになった、女遊戸正観音の御利益っつうもんだ』って言った」
「ふうん、なるほどねえ」
「『おれにももちろん、みほとけの心の内は計り知れね。だども、きっとそうだ』喜一さん、そうも言っでだ」
「……」
「ところでな、恭平さん」
「うん?」
「缶ビールさ一本おごるがら。おれが海水浴場で溺れががっだこどな……」雨一ちゃん、いきなりこちらの腕をギュッとつかむなり、拝むようにしてこう言ったのです。
「静江さんだけには、ぜってえないしょで頼むな」
 そんな自分たちのようすを、お堂の中の観音様がごらんになっています。ゆらいだお灯明の火が、ふくよかなほおのあたりをうっすらと染めていて、切れ長の目も、心なしか笑みを浮かべているようです。

 女遊戸観音像は、実は謎の多い仏様です。誰がいつ造ったかということだけでも、はっきりしたことを言える人がいないのです。
 正三郎家のご主人が、幼い頃から何度も聞かされたと言って教えてくれたのは、江戸時代の中頃、石巻で船大工として名の知られていた嘉助という男が、年老いて生まれ故郷の女遊戸にもどり観音像を彫った、という話です。漁師たちの海での安全を祈願するためだったといえば、この土地にふさわしい伝承です。
 二つめは、さっきも喜一さんの話として少し触れましたが、「女遊戸観音円空仏説」です。
 花輪喜一さんは、自分からすると義兄のお兄さんにあたります。ふだんは長年愛用している三菱パジェロで、野山を駆けめぐるような人でしたが、花輪家の間では、博識として一目置かれる存在でした。十数年前、自分の義理の父が亡くなり、その三年後に義理の母が亡くなったときも、御逮夜や葬式を取り仕切っていたのは、喜一さんでした。
 その喜一さんがずっと信じていたのが、全国津々浦々を遊行し、数々の一木彫の仏像を残した円空和尚が、女遊戸の地に現れて正観音像を残して行った、という説だったのです。
 もちろん雨一ちゃんにしても、喜一さんを慕っているだけあって、女遊戸観音を「円空さんのほどげさま」といって疑いません。
 さらに三つめの説にも触れておくと、とくに観音像の作者にはこだわらず、円空かあるいは他の人物が、女遊戸ではなく、三陸沿岸のどこかよその土地で観音像を彫っていたところに、津波か洪水のような自然災害が襲いかかり、未完成の観音像を海に押し流してしまった。そのみほとけが流れ着いたのが、他ならぬ女遊戸だったのだろう、と説明されています。
 円空のこともよく知りません。仏像についての知識もありません。ですが、そんな自分には、なぜかこの説がいちばんしっくり来るように思うのです。
 観音像の、浮き彫りに仕上げられた正面と較べて、いかにも制作途中らしく、背中の方が丸太のまま残されているように見えること、人の手で磨かれたというよりは、波だとか他の漂流物にもまれて、全身がすり減ってしまったように見えること、そしてなにより自分には、海岸に打ち上げられた、誰が造ったのかもわからない観音様を、女遊戸の集落の人々が大事に持ち帰り、お堂を建ててお祀りした光景が、目に浮かんで来るようだったからです。

 自分が、最後に女遊戸観音にお参りしたのは、平成22年の夏のことです。ただし肝心の観音様は、あいにくそのときお留守だったのです。
 その年も例年のように、家族と出掛けました。正三郎家に到着するのが遅くなり、もう夕食どきでした。自分は、雨一ちゃんを探しました。雨一ちゃんは、長靴をはいて裏口でしゃがんでいました。自分は、
「雨一ちゃん、待っててくれたの?」と声をかけました。
「うん、恭平さん、今日来んのわかっでだからな」そう言って、雨一ちゃんはおもむろに立ち上がります。自分もあわてて、宿の自動販売機で缶ビールを買い込み、あとを追います。
 前を行く雨一ちゃんのようすがいつもと違うことに、自分はすぐ気づきました。うれしいのをなぜか自分に隠そうとしているのですが、それができずに、ちょうどニコニコとニヤニヤの中間の表情なのです。
 観音堂への道の真ん中で、ヒキガエルが礫かれているのに出っくわすと、雨一ちゃん、やっぱりこちらを見ずに、
「いや、こいつぁ朝はいながっだ。さては、重吉さんちの軽トラに礫がれだな……。ヒキゲエロあらためヒカレゲエロ。以後お見知り置きを。……じゃあ、またな」最後は、死んだカエルと会話でもしているようです。
「さあ、お勤めすっぺし」お堂に着きお灯明を上げると、雨一ちゃんははじめて自分の方を振り返りました。満面の笑顔です。お堂は空っぽです。
「どうして……」自分はつぶやきます。
「お勤めさ終わったら、教えでやっがら」雨一ちゃんは、観音様がいるときと同じように、お経を唱えます。自分も、空のお堂に向かって手を合わせます。
 やはりいつも通りのお茶っこの時間、雨一ちゃんはこう話してくれました。
「久保博士っていう人がさ」
「博士?」
「盛岡の大学の先生だ。……その博士がな、この春女遊戸に来たんだ」
「……」
「そいで、正三郎家さ泊まって、観音様のこど調べでった」
「何調べたの?」
「いろいろさ。それで、この観音様がほんとに円空さんのほどげさまだってわがったんだ」
「……」
「たまげだべ、恭平さん」
「うん」
 雨一ちゃんからすれば、以前から自分が「女遊戸観音円空仏説」に、ちょっと冷淡なことに感づいてたのでしょう。その意味で自分は今回、みごとに雨一ちゃんに鼻を明かされたわけです。
「で、観音様は?」
「博物館」
「なんで、また」
「円空さんの展覧会」
「……」
「円空さんのほどげさまさ、円空さんの展覧会に呼ばれたんだ」そう言って、雨一ちゃん、いかにも楽しそうに笑ったのです。
「どこ、盛岡?」
「東京」
「ふうん、東京かあ……。東京のどこ?」
「よぐ、わがんね。こまげえごどは、静江さんに聞いでけで」
 こうして自分は、女遊戸観音のいない女遊戸で、その夏の数日を過ごしたわけです。
 ところが帰りの山田線の中で、妻がこんな提案をしたのです。
「帰りがけに、東京で女遊戸観音見て行かない?国立博物館に展示されてるなんて、すごいじゃない」
 東京駅から上野はすぐです。たしかに、薄暗いお堂の中ではなく、博物館に展示されライトで照らされた女遊戸観音は、いつもとは違ったおもむきでしょう。子どもたちは、帰りが遅くなってテレビが見られないと、ブーブー言いましたが、話は決まりです。
 ところが、盛岡からの新幹線が電子系統のトラブルで、那須塩原駅付近で立ち往生、東京駅到着がけっきょく夜の七時になってしまったのです。
 ダメもとということもあります。夏休み期間で、開館時間を延長しているかもしれません。自分と家族とは上野駅で降り、上野公園を、『えぞ・みちのく円空仏』展を開催している東京国立博物館平成館に向かいました。
 しかし、当然予想していたことですが、博物館の正門は閉ざされ、建物も真っ暗。それにもう夜だというのに、東京の、三陸海岸とは比較にならない蒸し暑さです。自分たちは重い足を引きずって、公園に引き返しました。上野こども遊園地の前にある、おみやげと軽食のお店が一軒だけ開いていたので、ひと休みすることにしました。
 自分と妻には生ビール、子どもたちにはジュースを注文しました。ジュースを飲みおえると、長男はマンガを読みはじめました。5歳の次男は、店の隅にあるガチャガチャの販売機に吸い寄せられるように近寄り、その前にしゃがみました。
 ガチャガチャというのは、別名ガチャポンだとかガチャ玉、100円か200円入れてレバーを回すと、オモチャの入ったプラスチックのカプセルが出て来る、あれです。次男など、縮めて「ガーポ」などと言ったりもします。
次男は、やがてこちらにもどって来るなり、自分にまとわりつくようにして、
「お父ちゃん、ガチャポンいいでしょ?」と聞きます。自分はいちおう、妻におうかがいを立てます。
「いいんじゃない」と、ビールを飲みながら、妻。
「ふたっつ、だめ?」次男はさらに甘い声。自分はまた妻をチラッと見ます。
「テレビ見られなかったからね」と、珍しく妻。
 小銭を手にスキップを踏んで、次男はガチャガチャの販売機に向かいます。販売機は何種類かあるらしく、次男は長い時間迷った末、二つ買って来ました。
「どんなのにしたの?」と、妻が聞きます。次男が、
「せかいのカエル」と答え、卵形のカプセルを開けると、ビニールに入ったアマガエルの根付けが、転がり落ちました。
「あら、かわいい。もう一つは?」
「うんとねえ。ええと、……読めないや。お父ちゃん、読んで」
 次男から手渡されたガチャガチャの題名は、自分には、たしかに次のように読めたのです。
「日本の美・仏像篇vol.5・女遊戸正観音立像」

 その翌年、平成23年3月11日に起きた東日本大震災では、宮古市周辺も大きな被害を受けました。
 妻が生まれ育った港町である鍬ヶ崎は、高台以外の家屋のほぼ全てが津波にさらわれました。妻の実家のすぐ目の前にあった旧魚市場は全壊、出崎埠頭に何年か前に建てられた新しい魚市場も、半壊状態でした。  
 義理の姉が魚屋を開いている宮古駅前の末広町も、閉伊川を逆流した海水が溢れて、水位が人の背丈にまでなったそうです。水が引いた後、商店街の真ん中に大きな漁船が置き去りになり、撤去するのに多大な労力を要したとのことです。
 女遊戸は、津波の圧力で例の防潮堤が決壊し、海水と瓦礫が集落一帯に流れ込みました。赤松林に囲まれた宮古栽培漁業センターは全壊、塩水に浸かった水田は春になっても使えず、海水浴場も今日現在、再開の見込みがまったく立っていないようです。
 震災後三か月ほどしてから、妻は正三郎家の静江さんに、お見舞いの手紙を出しました。一週間後には、丁重なお礼の返信が届きました。それによると、あの日、家の中まで津波が押し寄せました。が、幸いなことに、迅速な避難のおかげで、体の不自由なお年寄りもふくめて、家族全員無事だったそうです。
 大震災では、宮古周辺でも多くの犠牲者が出ました。自分の知っている範囲では、田老の喜一さんが亡くなりました。雨一ちゃんにお経を教えた、花輪喜一さんです。
 あの日、愛車のパジェロとともに喜一さんが行方不明になったので、避難途中に車ごと津波に飲み込まれたのだろう、と誰もが考えました。ところが数日後、全壊した自宅跡に流れ込んだおびただしい瓦礫の下に埋もれた形で、遺体が発見されたとのことです。
 もう一人、自分には気になっていた人がいます。他でもない、あの雨一ちゃんです。
 今回、自分もはじめて知ったのですが、雨一ちゃんは毎年、海水浴場がシーズンオフになると、宮古を離れて、いろいろな地方に働きに出ているそうです。震災時には、北上市の西にある夏油高原スキー場で、住み込みでアルバイトをしていました。仕事はゲレンデのリフト係で、実入りもなかなか良いとのことです。
 雨一ちゃんについては、ですから何の心配もいらなかったのです。
  
 最後に、女遊戸の観音様について記しておきます。
 平成22年の『えぞ・みちのく円空仏』展が終了した10月末、観音様は無事女遊戸のお堂にもどって来ました。
 自分はとうとう、国立博物館平成館での『えぞ・みちのく円空仏』展に、行きそびれてしまいました。行こうと思えば、いつだって行けました。が、よそよそしい場所で観音様にお会いすることを考えると、なんとなくおっくうだったのです。
 また次の夏になれば、いつも通りに女遊戸でお会いできる。ごく自然に、そう考えたわけです。
 しかし翌年の3月11日、観音様は流されました。
さっきも触れましたが、女遊戸では防潮堤が決壊し、海水が集落まで流れ込みました。お堂は集落でも比較的高い場所の、木立の中にあります。お堂は無傷でした。が、どういう波のぐあいだったのか、観音様は流されました。
 静江さんの手紙によると、集落一帯に残された瓦礫の山に埋もれているかもしれない。女遊戸の人々はそう考え、瓦礫の中を丹念に探したそうです。が、手がかり一つ見つかりませんでした。今現在、観音様は行方知れずです。やっぱり海に流されたのでしょう、静子さんはそう書いています。
 家と漁船を失ったあるおじいさんは、
「海がらぎだほどげさまが、海さけえってった」と言って、女遊戸から遠く離れた高台の仮設住宅で、毎朝東の方角に手を合わせているそうです。

 もう一つだけ、あのガチャガチャのこともつけ加えておきます。
 自分はあの上野公園での夜、二つめのガチャガチャを次男に手渡されました。題名を書いた紙切れは、片割れだけ透明なカプセルの中に、折り畳んで入れてあります。自分は声に出して、
「日本の美・仏像篇vol.5・女遊戸正観音立像」と読みました。
 次男は目をまんまるくして、それを聞いていました。が、不意に自分の手からガチャガチャを奪い取ると、
「そんなへんなの、いらないや」と言って、投げました。
 ガチャガチャは、店の前の明るみの中をコロコロ転がり、その先の闇にまぎれました。自分はそれを拾いに行き、ほこりをはらうと、ズボンのポケットに入れました。次男もついて来て、
「ねえ、あと200円ちょうだい。もう一つガチャガチャやるから」とせがみました。
 ふつうなら叱るところです。が、自分はちらっとうしろを見てから、黙って200円渡しました。もちろん、妻には内緒です。
 自分ははからずも、そのガチャガチャを、5歳の次男から買い取ったかたちになったわけです。
 そのガチャガチャ、実は今でも、自分の部屋にあります。いつかふと、酔ったはずみか何かで、開けてしまうかもしれない。一度捨てたはずの次男が、やっぱりそれちょうだい、と言って持って行ってしまうかもしれない。
 ですが、とりあえず今のところ、自分の机の上に置いたままです。

 

                                                            Web頌4号より転載

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