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 作品,49 佐久間慶子「百花繚乱 呵呵大笑」 「繋」4号(2010/10/10・吹田市)より転載

 

寓話的ですが、寓話ではないのです。捨てられて拾われた「うみみ」と「そらら」が見て、語った、落ちていく女、亡くした女、神様になった女、女。二人の決意(どこでもないここで暮らすこと)が胸に沁みます。
                                          推薦・岩代明子

                                  (「igneaイグネア」東大阪市)


    縦書きPDF版(ファイルサイズが大きいのでふたつに分割してあります。
                         「百花繚乱 呵呵大笑」1
                         「百花繚乱 呵呵大笑」2
 
 

    百花繚乱 呵呵大笑 

                                   佐久間慶子

 

 

 あたしたちは、うみみとそらら、十三、四歳というところだね、といわれる一卵性双生児の一部始終のそっくりさん。
 双子姉妹のあたしたちは、父親も母親も知らないし、なまえの由来だって知らない。正確な年齢だって知らなくて、社交クラブ百花繚乱に拾ってもらうまえのことは、記憶喪失なんだけど、
 あたしには生まれたときから隣りにそららの感触があって、そららにはあたしの感触、それだけはいつだってあって、あたしたちはお互いの感触がなかったら、喜怒哀楽あふれる疾風怒涛の年月に耐えられなかった。これからだってそうだ。
 だから、あたしとそららは生まれついての同行二人、未来永劫の双子姉妹。
 そのあたしたちの物語は、十年まえ、一九四九年四月三日からはじまるんだけど、社交クラブ百花繚乱の開店初日だから、日付まではっきり覚えている、
 その朝に、玄関まえの木の階段を二段あがった屋根付きポーチに、あたしとそららは進駐軍放出の重たい古毛布にくるまって、抱きあって眠っていた。
 制服姿で出勤してきた門番さんがあたしたちをみつけ、
「かわいい双子をこんなところに捨てて」とつぶやきながら、あたしたちをまたいで扉の鍵をあけると、ごわごわ毛布をそっと開いて、左右の肩に抱きあげ、
 門番さんは仁丹と煙草とポマードがまざった匂いがして、おしきせの制服の肩モールがおでこに擦れて目をつぶったまま痛くて、ほんとうはあたしたち、門番さんの足音が玄関に近づいてきたときから目を覚ましていたけれど、ときどき薄目しながらも眠ったふりで、太い腕に頼りきっていた。
 門番さんは、あたしたちを吹き抜けホールの長椅子に坐らせてから、階段をあがっていき、あたしとそららは瞼を少しだけ持ちあげて階段を見あげた。赤い絨毯が敷いてある幅広の階段は、どっしりとしたこげ茶色の木製で、女の人の腰みたいに湾曲して、手摺もくねって、壁には裸の女の人のステンドグラス、
 階段をあがってすぐの、黒髪の女の人は顎の近くで両手をお椀の形にして、赤い液体をひと口飲んだところみたいで、唇がこってり赤く、血みたいなしずくが滴って、つぎの茶色の髪の女の人は、緑色の液体が入ったガラスの器を捧げもって、女の人の目は液体をにらんで緑色に染まって、唇が呪文をとなえているみたいで、裸の女の人のステンドグラスはもっと上までつづいてて……、
 門番さんはドアを確かめるように廊下を進んだ。吹き抜けホールをぐるりと囲むこげ茶色の手摺の向こうには、たくさんのドアがならび、門番さんはひとつのドアをたたいて、細く開いたドアから説明してるみたいで、別のドアをたたいてまた説明して、三つ目のドアをたたいてまた説明、
 三つ目のドアが閉まると門番さんは階段を足早におりてきて、紺色にえんじの縁取りと金モールと金ボタンの威厳で、
「大丈夫だよ」とあたしたちに声をかけて、ホールから出ていった。
 入れ替わりみたいに百花繚乱の中心人物、トミママとユリリとイチおじさんが、スリッパの音を吹き抜けホールに響かせ階段をおりてきて、浴衣のトミママはあくびして、透けたネグリジェにカーディガンをはおったユリリは目をこすり、紺色パジャマのイチおじさんは不機嫌顔で、長椅子のまえに整列して、なぜ、と首をかしげて、あたしとそららを見下ろし、
 あたしたちはほっぺたをくっつけ合い、体を寄せ合って、泣かず、笑わず、しゃべらず、三人を見上げて、あたしが赤いワンピースの右ポケットから、くしゃくしゃになった茶色い紙を取りだし、
 ユリリがしゃがんで、
「ここに事情が書いてあるのね」と受けとり、
 膝小僧や太ももが透けるふわふわのネグリジェの膝の上で、紙切れのしわをのばして、読みあげた。
「うみみとそららをおねがいします。上野の闇市でみんなといっしょだったときが、一番たのしかった。笑って、助け合って、残飯シチューがおいしかったな。あかちゃんができたと分かったとき、好きな人の子を産みたくて、でも言えなくて、みんなから離れてしまったけど。ほかに頼れる人がいません。うみみとそららを、どうか、どうか、おねがいします。」
 誰かしらね、とユリリはため息しつつ、
「上野の闇市周辺だけでも百人近いパンンパン仲間がいたし、いろんな子がやって来てはいなくなって。でも、なまえのつけ方からして仲間だったのは間違いないわ」 こんどはそららが左ポケットから茶色の紙を取りだし、差しだし、
 もう一枚あるのね、と読みあげる。
「三回日の病気です。薬局の薬じゃどうにもなんなくて、いつか脳までやられると思うと怖いです。まわりでいっぱい見てきた。お客に移して死のうと決めました。それが唯一できる復讐だから。でも落ちてくそばに、うみみとそららを置いとけないです。どうか、どうか、この子たちを育ててください。心からおねがいします。」
 ユリリのため息はさっきより深くなり、
「誰かな……、この手紙をみんなに見せて心当たりを聞くわ」
「開店初日に、縁起が悪いなあ」
 イチおじさんは困惑顔で、
「若いもんに施設のまえに置いてこさせるしかないな」「施設なんて、栄養失調で死んじゃうわ」
「初日に面倒起こしやがって」
「開店初日を選んだのよ。だったら、イチの子じゃない? 大きな目もぽってりした唇も、濃い髪だって、似てるわ」
「いいかげんなこと言うなよ」
 イチおじさんは全面否定しながらも、あたしとそららの顔を仔細観察、ユリリは追討ちをかけるみたいに、
「イチは上野の闇市を仕切っていたとき、わたしも含めて何人かの常連客だったじゃない。本気になった女の子もひとりやふたりじゃなかったわ」
 イチおじさんは、いまさら……、とつぶやき、あたしたちから顔をそむけた。
 ずっと黙っていたトミママが、寝巻きの裾を押えてしゃがむと、あたしとそららの未来看破で、
「器量よしの双子だね。大きくなったら売れっ子になるよ」
「先行投資でここに置いたらいいのね」
「問題が起きたら施設行きだからな」
 イチおじさんが背中を向けて部屋にもどろうとするのに、
「自分の娘なのを忘れないで」
 ユリリはしつこくいってから、口調をかえて、
「うみみとそららはここで暮らせるのよ」
 あたしたちは喜色満面でうなずき、
「ふたりそろって笑うと、千倍万倍、かわいいわ」
「どっちがうみみで、どっちがそららなの?」
「うみみ!」
 あたしが明朗快活に答えると、か細い声が追っかけて、
「そらら」
「いくつなの?」
 あたしとそららは顔を見合わせたが、答は出てこない。
「知らないの?」
「三、四歳というところだね」
 トミママが推定年齢して、
「あたしのベッドに寝かせよう。今日は忙しくなるよ。もうひと眠りしないとね。さあ、おいで」
 あたしとそららは、一件落着にうなずき、
 ふたりいっしょに長椅子からおりた。赤い厚地のワンピースは、袖付けがねじれてるみたいで、腕がうしろに引っぱられ、素足に赤い合成革の靴は指を締めてもきつかった。
 トミママは、赤いワンピースの膝小僧までかくれる裾を裏返し、
「ヘタな手縫いだけどリボンやポケットもつけて、きっと、精一杯かわいくして届けたかったんだろうね。おまえたちのかあさんが街に立つときに着る半コートから作ったんだよ」
「冬までもたないのね」ユリリがぽそっというと、
「ああ、形見だね」
 トミママとユリリのいっていることは分からなかったけど、百花繚乱に慈善事業してもらうしかないのは、明明白白、
 あたしとそららは、トミママの左右両側に立って、トミママと手をつないで、はじめの一歩を踏みだした。

 

 社交クラブ百花繚乱には、体でお商売するおねえさんたちが、二十一人、マリリコ、チヨヨ、ミキミキ、トトシコ、アユア、クコニコ、ユユカ、サキエエ…‥、
 うみみとそららに似たなまえがいっぱいあって、おねえさんたちは二階の廊下にならぶドアひとつ分の独立生活、トイレやお風呂や食堂やお客さんと和気藹藹する吹き抜けホールは共同生活で、
 あたしたちはトミママの部屋に入れたベッドで抱きあって眠った。百花繚乱でイチおじさんの部屋以外、そこが唯一無二の体のお商売に使わない部屋だからなんだけど、そんな思慮分別はなんの役にも立たなくて、
 適者生存の百花繚乱では、一ヶ月後にはトミママに、「うみみとそららに適任だよ」といわれての夜のお仕事が待っていた。
 三、四歳というところだね、のあたしたちは、もう子どもではいられない、日進月歩がはじまって、
 夕方になると、あたしとそららは雪みたいに白いふわふわのワンピースを着て、白いタイツに白い革靴、ワンピースの背中には肩甲骨くらいの大きさの白い翼が縫いつけてあって、天使の翼は針金で形を作って白いベルベットにつつまれ、ベルベットは羽の形が光る糸で刺繍してあって、手を背中にまわして撫でたくなる感触、
 肩より長い髪の毛だって、「男は長い髪に弱いんだ」とトミママが何十回も梳かしてくれて、白いリボンをてっぺんにつけ、あたしたち、双子天使!
 手をつないで吹き抜けホールの、上等なズボンやスリットが太ももまで入ったスカートのあいだを歩き、いろんな香水がまざったむせ返るような匂いをたっぷり嗅いで、長椅子に坐っておねえさんとお客さんの恋愛沙汰をながめ、お客さん待ちのおねえさんとしりとり遊びして、常連上客さんのなかにはキスチョコレートや明治の板チョコレートや不二家の金貨チョコレートをくれる人もいて、
 あたしたちはそろって笑顔になって、
「ありがとうぉ」
 トミママに教え込まれた、笑顔は天下無双、双子なら倍増計画、
 舌足らずにくり返す、「チョコ、だあぁいすき、ありがとうぉ」
 トミママがおねえさんたちに、若いうちは甘ったれ口調も効果覿面と教えているのをまねするのだ。
 あたしとそららが、翼を壊さないよう長椅子に浅く腰かけて、キスチョコレートの銀紙をむいて口に入れ、九時の時報を待っていると、ユリリの常連上客さんのひとり、ブライハさんがやってきて(ユリリは先客さんと二階の部屋で体のお商売中)、あたしたちのあいだに坐って、
「ショータイムを待ってるんだな。うみみもそららもいい趣味だ」
 あたしたちの頭をぐりぐりなでる。ブライハさんは「残夢消滅」っていう小説で、上野の闇市を舞台にパンパンや浮浪児や特攻帰りの若者の無軌道で不道徳な生き方を描いて、話題になった流行作家。いま書いてる「恋慕腐乱」についてあたしたちに話してくれるんだけど、熱を出した人のうわごとみたいに話があちこち飛んで、もともと、あたしたちには大人の恋愛沙汰は奇奇怪怪だけど、ぼさぼさの髪を振りまわして、眼鏡のおくの出目金みたいな目であたしたちを交互にみて、
 三、四歳というところだね、のあたしとそららに対して、大人相手と同じように話をするのがブライハさん、
「筆がぴたっと止まってしまってね。そんなときはユリリだ。ユリリの美と退廃、二律背反のベッドがまったくもって刺激になるんだ。うみみとそららもそんな娼婦になるんだよ」
 あたしたちは、しっかりうなずき、肩を上下させて翼でもうなずいて、
 ちょうど九時のジンタが流れはじめ、
「前にいこう」
 ブライハさんはあたしたちの手を取って、立ちあがる。
 吹き抜けホールには、壁をくり抜いて作った飾り窓が三つならんでて、赤い鍛帳が掛かっているんだけど、八時、九時、十時、十一時、十二時になると、時報代わりにジンタが流れて、赤い緞帳があがって、大きな水槽みたいな舞台に小さい女の人がひとりずつ、正真正銘、生きてる女の人で、歳はおねえさんたちと同じか、もっと上かもしれない、大人の女の人の顔と体つきをしてるのに、三、四歳というところだね、のあたしたちと同じくらいの背丈で、
 飾り窓の小さい女の人たちは、見世物芸人。
 ブライハさんと一番まえに立ってると、先客さんが終わったユリリがやってきて、プライハさんと腕を組み、あたしとそららはジンタの曲に合わせて体を左右にゆらし、飾り窓を見上げ、
 右端の舞台では、小さい蛇使いの女が裸の体に蛇をからませ、赤い目をした蛇の顔を肩にのっけて、にっこり笑って、蛇は口から、先がふたつに割れたピンクの舌をのばして、すぐに引っ込め、黒い縞模様をくねらせながら小さい蛇使いの女の乳房のあいだを這いおりて、お臍の上を通って降りていき、足のあいだをくぐつて(尻尾はまだ肩のところだ)、お尻から背中を這いあがって、また肩のところで素早く舌を出す。
 まんなかの飾り窓では、小さい一角獣の女が、おでこから生えた尖った円錐形の角を振りながら、お尻から生えた馬の尻尾をまわしてみせ、蹄の足でステップを踏んでいて、
 その隣りでは、小さい八つの乳房の女が、胸からおなかにかけて、だんだん小さくなっていく八つの乳房を上下左右に震わせ、ときどき乳首をつまんでみせながら踊り、
 おねえさんはお客さんにぴったり体をくっつけて、笑い合い、お客さんが耳もとで何かいうのに「わっ、やらしい」とお客さんの腕をたたき、「あたし、蛇ダメ」とお客さんの胸に顔を隠すのに 「じゃあ、二階に逃げようか」とその気にさせて、
 飾り窓の小さい女芸人は、おねえさんたちの容姿端麗の引立て役で、だったら、あたしとそららの人材登用だって同じ、頭でっかちの不恰好な体に、作りものの翼をゆらして大人の足のあいだを、うろうろうろうろ、
 偽者天使!
 あたしたちは赤い鍛帳があがるたびに、ブライハさんがいっしょのときも、ふたりだけのときも、ガラスの下のほうにおでこがくっつくほど近づいて、ジンタに合わせて翼やお尻を左右に振りながら、小さい女芸人たちに見入って、
 小さい女芸人たちは時報ごとに入れ替わって裸体をさらす。全身毛むくじゃらの小さい狼女、体の九つの穴に九匹のトカゲを飼っている小さいトカゲ女、胴まわりだけは二メートルもある小さいビア樽女、体をくねらせてリボン結びになったり三重巻きになったりする小さい軟骨女、腕が茶色のスズメみたいな翼で羽ばたくと十五センチは浮きあがる小さい鳥女、首に長さ三十センチほどの筒をはめた小さい首長女、みんな、ほんとすごい!
 あたしとそららは見惚れながら、
 いったい何歳なんだろう。どうして小さいままなんだろう。どうやったら、あたしたちも三、四歳というところだね、の子どものままでいられるんだろう。やっぱり親に捨てられたんだろうか。
 訊きたいんだけど、飾り窓のガラスがじゃまだし、小さい女芸人たちは決してあたしたちと目を合わせないし、あたしたちを嫌ってさえいるようで、
 そんなとき、あたしたちの学術担当ユリリに訊くんだけど、ブライハさんの小説はもちろん、トーマス・マンやドストエフスキーやジイドやアラン・ポーを読み聞かせ、四字熟語の書き取りをさせる、ユリリの答はそっけなくて、
「そりゃあ、一目瞭然、小さい意味が違うからよ」
「どこが?」
 あたしとそららが声をそろえると、
「うみみもそららも大きくなるから分かるわ」
「待てない」
「今すぐ知りたい」
「あと一年もすれば小さい女芸人を超しちゃうわよ」
 あたしたちは大きくなるのが恥かしいようで、もう十分だし、ふたりそろって、
「大きくなりたくない」
「このままでいい」とユリリに訴えていると、
 トミママがやってきて、
「さあ、子どもは眠る時間だ」
「児童労働からやっと解放ね」
 ユリリが皮肉って、
「子どもが家の商売を手伝うのはあたりまえだよ」
 トミママは動じず、あたしとそららの手をとって、階段をあがる。
 そんなふうに、酒池肉林の社交クラブ百花繚乱であたしとそららは、
 昼夜兼行の日日成長、体は自給自足で六、七歳になって、頭のなかは時期尚早の十一、二歳になった。

 

 百花繚乱は泊まりはなしだから、朝は静かだ。おねえさんたちは昏睡状態で、面会謝絶の絶対安静、六、七歳というところだね、になったあたしとそららは、反対側の壁ぎわのベッドに眠っているトミママを起こさないよう、そっと着替えて部屋を出て、台所の下働きのおばさんにごま塩むすびを握ってもらう。
「あんたたちが大きくなるのを見るのはつらいねぇ」
 おばさんは三角むすびをあたしたちの手のひらにのせ、まえは白かったらしい灰色の割烹着で手を拭きながら、「あたしならどんなに貧乏でも手放さないよ。こんなとこには捨てない」
 下働きのおばさんは、あたしたちの記憶喪失につけ込んで、低い鼻の横に開いた小鼻をひくひくさせて、自己陶酔の大言壮語、
「学校にも行かせず、籠の鳥だ。あたしならちゃんと世間に出すね。芸事を習わせたら、かわいい双子の子役として売れるよ」
 あたしは怒った顔で、そららは困った顔で、ごま塩むすびをもって台所からさっさと出て、吹き抜けホールの長椅子に坐る。
 ホールの掃除がすんで、階段の赤い絨毯も手摺も、床のすみずみも、いくつかの丸い小テーブルや椅子や長椅子もきれいになっているけど、
 昼も人工照明の霜がかった光に照らされて、椅子や小さな丸テーブルの輪郭がやわらかくなって、床や壁に淡い影ができて、昨日の夜の煙草やお酒や口臭やいちゃいちゃのあとの青臭くて甘ったるいにおい、数種類の香水が混ざったにおいが、わずかに残っているみたいで、
 おねえさんとお客さんたちの駆引きのことばや甲高い笑い声やささやき、小さい女芸人の飾り窓の赤い緞帳があがるときのジンタのメロディーが、ずっと遠くで響いているみたいで、
 ぜーんぶが終わって、あたしとそららだけが残されてしまったような、
 落ち着かなさに、お尻をずらして長椅子に深く腰かけなおすと、床に足が届かなくなってもっと不安定で、あたしはそららに訊いてしまう。
「ねえ、かあさんてどんな人と思う?」
「赤いワンピースしか知らないから……」
「もう、ちっちゃくなって着れないものね」
「顔を知らないと会っても気づかないよね」
「でも、かあさんはあたしとそららを知ってる」
「知ってても来ない」
「考えると胸がもやもやしてくる」
「気持が悪くなる」
「食べるときは考えないほうがいいね」
「いつだって考えないほうがいいね」
 ごま塩むすびを食べおえて、あたしはそららの顔を見た。前髪がのびて眉をかくし、ふたえの目、鏡で見るあたしの顔と同じで、そららの唇のわきにご飯粒がついてるのを、あたしは手をのばしてつまんで食べて、そららもあたしの唇の端っこからご飯粒をとって食べる。
 そららは濃い睫毛をふせて奥歯で噛みしめ、あたしは噛まずに飲み込んでしまって、あたしたちは一切合財のそっくりさんだけど、ほんの少しずつ違ってきてて、
「そらら、あたし、さびしい」
 そららも鏡を見るみたいにあたしの顔をみつめて、さびしいの意味を理解してるのを伝え、
「生まれたときからうみみといっしょだから」
「記憶喪失のくせに」
「いっしょだったのは覚えてる」
「でも、あたしとそらら、ちょっぴりだけど違ってきてる」
「いっしょじゃなくなるの?」
「いやよ!」
 あたしたちはご飯粒でべとついた手で抱きしめ合って、ほっペたをくっつけた。ぽってり、温かい。うみみとそららでいれば安心立命、死ぬまでいっしょの一心同体、鳥籠に閉じ込められたって、外に追い立てられたって、余裕綽綽。
 それに、あたしとそららは百花繚乱のなかで暮らしていても、おねえさんもお客さんも出入自由だから、外の世界と完全隔離じゃなかった。
 百花繚乱が何するところかだって知ってる。
 近くの向島百花園からなまえをつけた百花繚乱は、絢爛豪華な高級娼館だけど、「川向う」と呼ばれる隅田川の東側で、お客さんは千差万別、おねえさんたちはしゃべって笑って飲んで体をくっつけて、恋愛沙汰になりながらお客さんに傍若無人をみつけると、気づかれないよう警戒態勢、
 六、七歳というところだね、になったあたしたち双子天使の仕事は、吹き抜けホールをふらふらするだけじゃなく、おねえさんが「うみみとそららは寝台天使ね」といってウィンクしたら、
 手をつないで、ブライハさんが女の尻みたい湾曲した階段といっている、赤い絨毯が敷かれた階段を翼をゆらして一段ずつあがって、廊下にずらっとならぶドアからウィンクのおねえさんのドアをみつけて、爪先立ちしてドアの取手をまわし、部屋の半分を占めるベッドの下にもぐって待って、
 ベッドのいちゃいちゃが始まると、あたしは笑い声がもれないよう両方の手のひらを重ねて口にあて、そららはあえぎ声が聞こえないよう両方の手のひらで耳をふさぎ、もしも、お客さんが恋愛沙汰から暴力沙汰にかわって、おねえさんがなだめても規模拡大で、ケガしそうになって「う、そ!」っといったら、
 あたしはそららの手を耳から離して、
「叫ぶの!」
 そららがあたしの口もとをみつめてうなずき、
 あたしたちは、思いっきり、きゃあー、ぎゃあー、ぎゃぎゃぁー、きゃあー、ぎゃあー、ぎゃぎゃぁー、と百鬼夜行の小さな妖怪みたいに叫び、
 イチおじさんの若いもんの人たちが飛んでくる。
 でも、年がら年中そんなことをしてたら、体のお商売は成り立たないから、叫ぶのは一年に一回か二回くらいで、たいがいはベッドの下で、お客さんの我侭放題の卑劣行為でおねえさんが四苦八苦するのに、腹が立って叫びたくなるのをがまんして、
 あとで「ベッドの下にうみみとそららがいて心強かったわ」といわれて、あたしはうれしくて、そららは悔しくて、
 だから、あたしとそららは籠の鳥じゃない。こんなに知ってて、あたしたち、ほんとはいくつなんだろう。あの小さい女芸人みたいに、体は小さいのに何十年も生きてきたみたいで、何も知らない純真無垢な子ども時代なんてなくて、けど、嫌じゃなかった、あたしたちにはそれしかなかったんだし。
 そう、寝台天使のあたしたちが一番活躍したのは、百花繚乱にきて四ヵ月のミミナのときで、ミミナはまだ十八歳、一ヵ月の初見世だって百花繚乱でやった体のお商売はここがはじめての新人おねえさんで、常連上客さんをつくるために新規顧客さんとたくさん恋愛沙汰にならなくちゃいけなくて、あのときは、
 下駄履きの男の人の頬がひくひくして、咳払いをくり返しているのに、
「ミミナ、うまくいくよう寝台天使におまじないだよ」とトミママがいって、
 ミミナがウィンクして、
 あたしたちはさっそくベッドの下に潜ったけど、ミミナときたら使ったちり紙やおせんべいのあき袋や汚れた衣類なんかをベッドの下に突っ込んでたから、しょっぱいような饐えた臭いがして、あたしたちは足で蹴って壁ぎわに寄せて、鼻をつまんで腹ばいになって、
 トミママが、部屋が不衛生だと洗滌だっていいかげんになるから掃除をていねいにするように、とおねえさんたちにいってたけど、ミミナには厳重注意で、風呂に入ったら耳のうしろや腋の下や足のあいだをていねいに洗うんだよ、と点検してたのを思い出した。
 ミミナとお客さんはおしゃべりの声もないまま入ってきて、ドアを閉める音がして、
「やめて!」
 ミミナの声。そのあとは、むむむむむぅ、ぐぐぐぐぐぅ、と口をふさがれたみたいな声がして、下駄を放り出した足がミミナの足のあいだに差し込まれると、ミミナのきらきらビーズのサンダルが床にころげて、四本の足が宙に浮いて、ベッドの上に落ち、どおーん、とベッドが弾んで、腹ばいのあたしたちは背中を縮めた。
 たたく音、たたく音、そのたびにベッドがたわんで壊れて落ちてきそうで、あたしとそららは頭に手をやり、
 薄地ドレスを引き裂く音がして、
「おまえらパンパンはアメ公の腕にぶらさがって、うれしそうな顔をして、ニッポンの男をばかにしてきただろうが‥‥‥」
 お客さんをやめた男の怒鳴り声に、
 ミミナの声が、むむむむむぅ、と抗議抵抗すると、たたく音が二度、三度、
「派手な化粧して、腹いっぱい食って、約束を破りやがって、必死で帰ってきたのに……」
 ベッドがきしんで、きしんで、
「おまえらは裏切りもんだ」
 男の憎しみのこもった声が被害妄想して、同時に、ミミナのくぐもった声が叫び、
 あたしとそららはうなずき合って、ベッドの足もとのほうから、あたしが這い出し、そららがつづき、
 ミミナは手拭で口をふさがれ、手首を縛られ、ズボンをさげたお尻が上下してて、あたしたちは以心伝心で、ベッドの男のうしろに飛び乗ると、男の罵詈雑言より汚い左右のお尻に噛みついた。(げっ!)
 力いっぱい。
「うおぉー」
 男は叫び、お尻の動きがとまって、膝立ちになり、顔を右にねじって真っ赤な細い目であたし見下ろし、あたしの上目遣いとかち合って、左にねじってそららとも目が合って、
「この餓鬼がぁー」
 男のお尻が左右にゆすぶられ、あたしたちの顎もゆすぶられ、天使の翼がぐらぐらして、あたしたちは前歯と犬歯にもっと力をこめて、硬いお尻の肉に噛みつきつづけ、
 男の腕がのびてきて、分厚い手のひらがあたしたちの頭をたたく、たたく、
 あたしたちは痛いのをがまんして、男の胴体を引っ掻き、引っ掻き、爪のあいだに男の皮膚がつまって血まみれになるくらい引っ掻いて、お尻の肉だって噛み切るくらい力をこめて、
「ぐぐおぉー、くっそー」
 男は叫びながら、お尻を大きく振って、こんどは、拳骨であたしとそららの頭を殴りつけ、あたしたちは気を失いそうな痛さに、汚いお尻を噛みしめていた顎がすぽっとはずれ、男は向きを変えて、
「ちくしょうがぁー」
 あたしたちをベッドから突き落とす。
 あたしとそららは床にひっくり返って、天使の翼がぐしゃりとつぶれ、曲がった針金が背中を突いて、急いで起きあがろうとお互いの腕をつかみ、支え合って、
 立ち上がったあたしたちに、
「その羽みたいにつぶしてやるからな」
 真っ赤な顔をして細い目をつりあげた男は、ズボンを引きあげながらベッドからおり、あたしとそららはひしゃげた翼で部屋のすみに寄った。
 口と手が結わかれてる裸のミミナが、必死でベッドの上に立ちあがると、男に飛びかかって、男は壁にぶつかり、その勢いでミミナはあたしたちのまえに転がって、あたしとそららは裸のミミナにかぶさるようにして、口と手首の手拭をほどいた。
 男は頭を二度、三度と振ってから、
「覚悟しろよ」とあたしとそららを蹴り倒そうと足をあげた。
 そのときドアが開いて、
「覚悟するのはそっちだぜ」
 振り向いた男の脇腹をまわし蹴りするのはイチおじさんで、男はベッドにぶつかり立ち上がろうと上体を起こすが、イチおじさんは男の首に腕をひっかけ床に仰向けにたたきつけた。あたしとそららは思わず手をたたき、
 イチおじさんが男のみぞおちに足を乗せて、煙草をもみ消すように足先を左右にねじると、男はうめき、
「超過料金はたっぷりもらうよ」
 イチおじさんが足をどかすと、待ってたようにイチおじさんの若いもんのふたりが入ってきて、両側から腕をとって男を立たせた。
「待って!」
 ミミナは叫ぶようにいうと、
「あたしにもやらせて」
 ミミナは裸のままで、男の左右の頬をたたき、足を高くあげておなかを突いて、イチおじさんの若いもんのふたりがにやにや笑うのも気にせず、
「アメ公がむりやり女学生をジープに乗せたとき、日本の男は逃げたんだ。なのに、汚いものみたいに扱って」
 ミミナは男のおなかを蹴って、蹴って、蹴って、
「おまえみたいな奴が殺したんだ!」
 泣きながら蹴って、ミミナの足もとがふらつき、
「そこまでだ」
 イチおじさんがミミナを抱きとめ、若いもんのふたりが男を連れ出し、
「姉ちゃんはあたしに逃げろって……」
「もう心配ない。落ち着くんだ」
 すすり泣くミミナをベッドに横たえ、毛布でつつみ、腫れてきた頬をなで、
 入れ替わりのようにユリリがドアから顔を出して、
「うみみとそらら、いらっしゃい。よくがんばったわね。トミママの部屋で休もう」
 あたしとそららは部屋のすみからゆっくりとドアに向かって進み、イチおじさんがミミナの髪をなでながら、
「ふたりの大活躍のおかげだよ。ごくろうさん」
 あたしとそららは、おやすみなさい、と笑顔でいって、
ユリリの腕につつまれた。白いタイツがすり切れて膝がぱっくり飛び出して、背中に針金があたって痛かった。
 ユリリがあたしたちの肩をなんどもなでて、
「怖かったでしょ。がんばったわね」とくり返し、
「ミミナはイチが慰めるから心配ないわ。気持も体もていねいに愛撫して、さっきの恐怖を忘れさせるの。明日から仕事にもどれるようにね。イチはうまいの。若い子は惚れちゃうわ。この仕事をしていると必ず打ちのめされるような体験をするから、イチみたいな男は必要だけど、本気になっちゃだめ。泥沼よ。覚えておきなさい。二の舞にならないようにね」
 あたしとそららは誰の二の舞なのか、分かってた。
 ユリリはトミママの部屋に入ると、
「今夜は、小さいときのように顔や体を拭いてあげようね」
 あたしたちをベッドに坐らせ、服を脱がせ、洗面器にくんだお湯に薄荷水をおとして、顔と体を拭いて、
「おでこの生え際のところにたんこぶができてるわ」
 あたしとそららのおでこに手をあてて、
「まったく同じところに同じ大きさで」
 笑いながらユリリは両腕であたしたちの頭を抱いて、怖かったね、つらかったね、とささやき、
 あたしとそららは自分たちが怖くてつらかったことに気づいて、
「メンソレータムを塗っておこうね」っていわれて、
 泣き出した。
 ユリリはあたしたちの背中をこすりながら、
「うみみとそららは、あたしとトミママが守るからね。大丈夫」
 ユリリのことばと体をなでてくれる感触といっしょに、
 ベッドに横になって、あたしたちはいつもよりしっかり抱きあって眠りについた。トミママとユリリが何度かのぞきに来てくれたのを感じながら。
 そんなこんなの出船入船。
 百花繚乱は、「川向こうのパラダイス」「墨東の花園」と呼ばれ、雑誌取材もあって、人気沸騰。
 イチおじさんは突貫工事で三階を建増しして、一階の食堂をなくしてイチおじさんとトミママとあたしたちの部屋に改装して、おねえさんたちの部屋は四十六部屋になって、当初のおねえさんたちは身請けや恋仲でめでたく出ていったり、若い子ばかりになって居づらくて店をかわったり、そこに新進気鋭のおねえさんたちがやってきて、またたくまに新陳代謝、
 あたしとそららはユリリといっしょに古株年増になってしまった。

 

 百花繚乱は五周年を迎えたあとも、不朽不滅の人気で、お客さんは増えるばかり、
 物見遊山のお客さん向けに、道道に屋台がならび、玄関前の通路の両わきにも、広い庭にも屋台が出て、庭のほうでは木の枝から枝へとわたしたヒモに提灯を下げてのお祭り気分、トウモロコシやヤキトリ(豚の臓物だ)や鰯焼き、おでんに焼きそば、もんじゃ焼き、焼酎やビールやラムネやコカコーラ、バナナのたたき売りに籤引きに射的、もちろんイチおじさんは場所代をとって、
 そのうえ、屋台のまわりでお客さんをみつけて、近くの旅館や自分の部屋やときには庭の茂みで体のお商売する、おねえさんたちからは出入り金をとって、
 週末になると、お客さんは三百メートル先から蜿蜒長蛇、吹き抜けホールは入場制限、やっと入れたお客さんは右往左往、あたしとそららにとってはたくさんの足や腰は交通妨害、時報のジンタも聞こえず、小さい女芸人の飾り窓だって見えなくて、
 若いおねえさんたちは、ドレスの背中のチャックを半分しかあげないままに、お客さんと腕を組んで階段を駆けあがり駆けおり、大忙しだ。
 イチおじさんはさらなる規模拡大をめざして、百花繚乱の庭をつぶし、台所口のほうの狭い土地にも、八階建ての鉛筆みたいな細長ビルを建て、百一花、百二花、と名づけ、一階は飲み屋や食べもの屋、二階以上はおねえさんたちの部屋が何十とあって、お客さんはもっと、もっと、もっと増えて、イチおじさんはさらなる商売繁盛のために、
 ご近所の住人のみなさんや大家さんに、誠心誠意の土地提供をお願いした。イチおじさんが朝から晩までなんども訪ねて、何時間もかけて熱心に説明すると、誰もが心震えて涙して、二束三文という昔のお金で売ってくれるので、ご近所はすぐに更地になって鉄筋ビルの建設工事がはじまり、ビルは上へ上へと日日増殖で、十三階、十四階、と高くなり、
 建った順番に、百六花、百七花、百八花、百九花…‥、
 全体が百花歓楽と呼ばれるようになり、おねえさんもお客さんも何十倍にも増えて、お店も多種多様、にぎやかさは何百倍にもなって、さらにビル建設はつづき、新しくご近所になったみなさんは、昼の建設騒音と夜の繁盛騒音にいたたまれず、土地を売って出ていって、また細長ビルが建設されはじめ、またまた新たなご近所のみなさんができると、立ち退くしかなくて、細長ビルはどんどんできて、必ず新たなご近所のみなさんが生まれ……、と疾風迅雷に広がって、
 光陰如箭、二年が過ぎ、三年が過ぎ、
 百花繚乱のまわりにはすごーい数の細長ビルがくっつくように群れ建って、百三九花、百四〇花、百四一花、と百花繚乱をお臍みたいにまんなかにして、道路をはさみ、どぶ川をわたって、
 気がつくと、細長ビルにはさまれた道路には、ビルとビルとに支えられるようにして、道路の幅のビルが建ち、どうせ百花歓楽のお客さんしか通らない道だから苦情はないし、どぶ川は下水管にして風呂や洗面所、洗濯場、炊事場の入った専用ビルをつくって、もちろん有料、百花歓楽は自己増殖しつづけた。
 もうひとつ、大きな変化があった。一九五七年の四月一日、あたしとそららが百花繚乱に拾われて丸九年になろうとする、二日まえ、イチおじさんは商売繁盛を貸しビル業にかえてしまった。
 百花歓楽の全部の部屋が、もちろん百花繚乱も賃貸契約になって、お店をやっている人はもともと賃貸契約だけど、体でお商売するおねえさんたちも、毎月家賃を払うようになったのだ。体のお商売をしないトミママとあたしとそららは特別扱いの無料だったが、
 売春防止法というのができたからだ、とユリリが教えてくれた。
 百花歓楽のおねえさんたちは、ベッドと箪笥がついた小さな部屋に暮らして、独立独歩、百花歓楽を歩きまわっている男の人に一目惚れして、自由恋愛になって、あとは野となれ山となれ、時間恋愛の稼ぎはおねえさんたちの腕しだい、毎月の家賃が払えなくなったら、イチおじさんの若いもんの人たちに荷物を放り出されるだけ、一時間もしないうちに別のおねえさんが引っ越してくる。
 百花歓楽のビルが増えるたびに、いろんなお店も増えて、
 一階には、八百屋に肉屋に魚屋、果物屋、パン屋も和菓子屋も洋菓子屋もあって、二階以上に蕎麦屋に中華屋に洋食屋、たくさんの飲み屋があって、喫茶店もいくつか、新聞雑誌や煙草を売る売店、番号札をつけたおねえさんを選んで踊るダンスホールにストリップ劇場、小さい女芸人たちのリリパット劇場も移ってきて、
 麻雀、ビリヤード、パチンコ屋、手相やトランプや水晶の占い師、銀座並木の絵を背景に撮るのが人気の写真館、衛生用品のある薬局、元衛生兵のもぐり医者がやってる病院や歯の技工士がやってる治療院、散髪屋もパーマ屋も、洋服屋や布地屋やボタン屋、蒲団屋、家具屋、部屋の内装工事の店だってあって、
 昼夜を問わず、千客万来のお客さんたちは百花歓楽で食べて飲んで遊びながら、おねえさんたちと自由恋愛して、時がたつのを忘れて百花歓楽に居ついてしまう人もいて、お店で働いたり、新しい細長ビルの建設現場で働いたり、おねえさんのヒモになったりした。
 百花繚乱だってすっかり変わって、おねえさんもお客さんも民主主義にのっとった男女平等の恋愛関係、もう、トミママの出番はなくて御役御免、恋愛天使のあたしたちなんて問答無用、
「ここがどうなっても、あたしはここで生きていくしかないんだ」というトミママは、
 一日中、吹き抜けホールの長椅子に坐って、おまんじゅうや大福や最中を口に放り込み、おねえさんたちを眺めて過ごし、
 目のまえで、
「昼は暇だろう。もうちょい安くしろよ」「もともとが割引き値段なんだから無理よ」「ひとりで昼寝してもしょうがねえだろう。もうひと声引きなよ」「ケチねぇ」「だったら他をまわるさ」「百花歓楽じゃあ、ここが一番上等よ」「じゃあ、あと一割引けよ」「そのかわり、五分短縮の三十五分だからね」「せこいなあ」「おたがいさまよ」
 階段の踊り場からは、
「あたしの客に手を出したね」「お客が選んだのよ」「ちょっと若いからって得意になって、泥棒猫が」「八つも違うのにちょっとだって」「なんだって」
 ふたりのおねえさんの声が吹き抜けホールに響きわたり、叫び声があがり、先輩おねえさんが若い子の髪をつかんで、階段を引きずり降ろそうとしているのを、ほかのおねえさんたちが見上げて、「ちょっと売れてるからって、生意気なのよ」「先輩ねえさんのほうはここの家賃が払えなくて、他の部屋に引っ越すらしいよ」「どっちもどっちね」笑い声が起こり、
 トミママはため息をついて、
「いったん落ちたら、えげつない客ばかりになって、あの子たちもすさんで、もっと落ちていくしかないんだよ」
 トミママのお尻の形にへこんだ長椅子まで、ため息つくみたいに軋んで、
「悔しいね。あたしは何の役にも立たないんだ」
 トミママは膝にのせた袋から、どら焼きや羊糞や豆大福を取り出して、つぎつぎ口に放り込み、
「腹が立つと腹がすくんだ」
 トミママのやけ食いは、役立たずと腹立ちに比例して、
「これじゃあ、玉の井や鳩の街と同じだよ」「戦前の十二階下みたいじゃないか」「こんな場末の私娼窟を作るつもりでやってきたわけじゃないさ」
 腹を立て、腹がすいて、薄皮饅頭に酒饅頭に粟饅頭、銀つば焼きに金つば焼き、草餅に桜餅に柏餅、甘納豆、黒糖、角砂糖、甘いものならなんでも、あたしとそららに買ってこさせて、食べて、食べて、飽食終日、
 トミママは眠るとき以外は食べつづけ、太って、太って、豊満体形、百花歓楽が百五三花、百五四花、百五五花……と、とめどなく規模拡大していくのに、一蓮托生。
 そんなある日、昔の百花繚乱を知っている懐古趣味のおねえさんがやってきて、
 トミママのまえに椅子をもってきて坐り、
「トミママ、おひさしぶり」
「チヨヨだね」
 トミママは、頬がふくれて丸くなった顔の細くなった目を見開いて、吃驚仰天、長椅子いっぱいの体をぶるるんと震わせ、
「どうしておまえがここにいるんだい?」
「百三一花に部屋を借りてるの」
「おまえは大地主に囲われたはずだよ」
 チヨヨは肩までのパーマの髪を左右に振って、てらてら光る赤いギャザースカートの足を組みかえて、脱げそうになったサンダルを足先をゆすって直すと、
「だってぇー」
 昔のままの拗ねた口ぶりで、
「じいさん待つの退屈だったんだもの」
「誰とできたんだい?」
「孫の大学生。駆け落ちしたけど、見つかって」
「もったいないねぇ」
 チヨヨはもう一度、「だってぇー」といってから、アンパンがたくさん入った袋を差し出して、あたしたちにはクリームパンをひとつずつ、クリームパンが好きなのを覚えていてくれた。
「百花歓楽では午前中が安いの」
「昨夜の残りもんだね。おまえと同じ値引き品だ」
「いじわるね」
 チヨヨは肩をすくめてジャムパンをかじり、唇にイチゴジャムがついて、ちろっと舌が出てジャムを舐めとって、「ココヒロやミキミキもいるのよ。偶然、会ったの。百花歓楽には二千人はいるらしいから、きっとほかにもいるわ」
「もどったら安値になるって分かってるだろうに」
 トミママはアンパンを、ぱっくん、と口に放り込んで、むしゃりむしゃり、ごっくん、ふた噛みで飲み込んでしまい、袋に手をつっこんで、つぎのアンパンを口に放り込んで、ぱっくん、むしゃりむしゃり、ごっくん、十七個も食べて、
「アンパンが足りないね」
 トミママがいうのに
「さあ、商売、商売。月末だから、給料袋をポケットにねじ込んでやってくるわ」
 チヨヨは準備万端を理由にして、逃げ帰った。

 

 そんなふうに百花繚乱が千変万化するのを見ながら、あたしとそららは、十一、二歳というところだね、になって、トミママはひたすら太って、
 二階三階の部屋からは、ときどき、おねえさんとお客さんが争っている、叫び声やどなり声やののしる声が聞こえ、あたしとそららはトミママのお尻でいっぱいの長椅子の肘掛けに坐って、トミママの肩に頭をのせたり、太い腕をなでたり、アンパンを喉につめたトミママの背中をたたいたり、急いで水を持ってきたりの日日、
 イチおじさんは、百花繚乱の隣りの百一花に不動産会社をつくって、もう顔を合わせることはなく、
 ユリリの常連上客さんは離れてしまい、ブライハさんだけが残って、独占契約、ブライハさんはユリリの部屋に机と椅子をもち込んで、門外不出になると、ゼドリンという眠らないでいられる薬を大量摂取、三日、四日、五日とつづけて一睡もせず、万年筆を紐でくくりつけて握り、原稿用紙に文字を書きとばし、ユリリが誤字脱字を直しながら清書して、
 百花繚乱の吹き抜けホールまで取りにきた編集者に原稿をわたすと、つぎの小説を約束しての借金、
 さっそく、お客待ちのおねえさんたちを誘って吹き抜けホールで酒盛りがはじまり、お客さんも便乗して、ひと晩たっぷりの乱痴気騒ぎのはてに、ブライハさんは睡眠薬とユリリの体におぼれて眠った。
 娼婦の部屋で小説を書いて、娼婦に原稿清書させる作家(もちろん妻子持ち) と週刊誌に書きたてられて、ユリリの部屋でパンツ一枚で机に向かっている写真や、ユリリと抱きあって眠っている写真まで載って、ブライハさんはますます話題満載の作家になって、原稿依頼が二倍、三倍とふえ、眠らない薬は六倍、七倍にふえて、
 突然、パンツ一枚で廊下に飛び出して「なにを笑うんだ!」とお客さんに体当たりしたり、隣りの部屋のいちゃいちゃがうるさいと大音量でラジオをつけたり、ユリリの長い髪と美しい顔立ちが男を惑わすと責めたてて、ブライハさんの好きなコーヒーを淹れるため下にお湯を沸かしにいっただけで、二階の手摺から体が落ちそうなほど吹き抜けホールをのぞき込み、
「ほかの男と何してるんだ!」と怒鳴り、
 そんなときのブライハさんは、眼鏡のおくの血走った目でホールをぎろりと睨みわたし、髪がぼうぼうと立ち、
 ユリリは二階の手摺にしがみつくブライハさんを見上げて、「まったくもっての怒髪衝天ね」とあきれながらも手を振って、
 あたしとそららも長椅子から、
「ブライハさーん」と手を振った。
 もうすぐ梅雨が明ける七月半ば、
 ユリリに頼まれて、あたしたちはユリリの部屋のドアをそっと開けた。あたしとそららは小さいときからブライハさんのお気に入りで、そららのほうがより好かれているのにあたしは悔しい気もするけど、大多数のお客さんはあたしのほうに人気集中だから、まあ、いいとして、
 部屋は蒸暑く、腋の下に鼻を押しつけたみたいな汗臭さがこもって、パンツ一枚のブライハさんは、汗をびっしりかいた背中を向けて、頭をたれ、ぴくりとも動かない。
 スリップ姿のユリリがベッドに横坐りして、うちわでブライハさんを扇いでいて、あたしとそららはベッドにあがると、ユリリからうちわを受け取って、あたしが二十回扇いでそららに渡して、そららが二十回扇ぐと、
あたしがまた扇ぎ……、
 何日もまえから、ブライハさんは万年筆を手に縛りつけて握ったまま、椅子に坐って微動だにせず、おしっこだって洗面器にして、何も食べなくなったから出すものもなく、胃腸薬と何十錠ものゼドリンと水だけで、疲れきっていて、
 脂っぽい髪が目をかくし、眼鏡は汗でずり落ちそうで、頬から顎は白髪混じりのヒゲがびっしり、鼻の頭にも汗が吹きだし、
 肩から腕も汗が浮いて、肉がたるんだおなかは煮込んだちくわぶみたいで、
「六錠!」
 ブライハさんの左手がベッドに向かって差し出され、
 骨太の大きな体にくらべて指の長い手が、もうひと伸びしてユリリの胸のところに突きつけられて、
「三錠しか残ってないわ」
 ユリリは、ブライハさんの手のひらの上で、茶色のガラス瓶を逆さに振った。
「もうひと瓶あるはずだ。隠すな」
「六日間で百錠を超えたわ。これで最後」
 ブライハさんは手のひらを口にあてるようにして、錠剤を飲み込み、机のすみに置いてあるヤカンの口から水を飲んだ。ヤカンの取手をにざる左手が震え、右手は万年筆を結わえつけたまま震え、
「足りないんだ」
 そららが水玉模様のワンピースのポケットから、黄色のセロファンにつつまれた、人差し指くらいのものを取り出して、両脇のねじった部分をほどき、ひと粒、ブライハさんに差し出す。
「あたしたち、心配なとき、口に入れるの」
 ブライハさんは手を開き、そららがひと粒、ふた粒、と置いて、
「ラムネか」
 ブライハさんは、汗でくもった丸眼鏡のおくの虹彩がしぼんだ目で、手のひらの粒をみつめて、そららの顔をみて、そららは錠剤のようなラムネを、
「三粒、四粒、五粒」と数えながら足し、
 あたしもポケットから赤いセロファンのラムネを出して、ユリリに半分あげて、ブライハさんとユリリとあたしとそららは、五粒のラムネをひと粒ずつ口に入れていき、
 舌の上のラムネは粉っぽく、口のなかの唾液を一気に吸って、どろりととけて、飲み込んでも口のなかにラムネの味が張りついて、つぎのひと粒を口に入れ、
「このラムネは効きそうだ」
 ブライハさんがいうのに、そららは大人みたいな口調で、
「一時凌ぎなのは分かっているの」
 ブライハさんは、ああ、と弱弱しい笑顔でうなずいた。
 午後はそれですんでも夜中はそうはいかなかった。
 獣が吠えるような声と叫び声がして、重たいものが落ちた音、あたしとそららがパジャマのまま手をつないで、部屋から吹き抜けホールに飛び出すと、ユリリとブライハさんが手足をからませて倒れていて、ブライハさんは真っ裸で手に万年筆がくくられて、ユリリはスリップ一枚、かすかにうめく声がして、鼻や口から血を出して、ブライハさんの丸眼鏡がわきに転がってレンズが両方ともひび割れて、
 あたしとそららがふたりに駆け寄ろうとすると、二階や三階の手摺から見下ろしてるおねえさんたちに「へたに触っちゃ、だめ」「骨折してるから」といわれ、
 トミママがお相撲さんみたいな体に浴衣をはおって出てくると、昔のトミママにもどって、若いもんの人たちを指揮統率して、イチおじさんのところに走らせ、毛布を担架にしてひとりずつ乗せて、百花繚乱のおねえさんたちが常連上客になっている総合病院に運ばせ、丸眼鏡と白いサンダルを片づけさせ床にモップをかけさせて、おねえさんとお客さんを部屋にもどした。
 吹き抜けホールは急に静かになって、
「坐らせておくれ」とトミママはあたしとそららの肩に手をのせ、長椅子に坐ると、
「死ぬことはないようだから、安心おし」
 あたしとそららはうなずきながら、ポケットに手を入れようとしたけれど、パジャマにポケットはなく、ラムネもなくて、
「あたしの部屋から甘いもんをもってきておくれ」
 頼まれて甘味菓子が入った箱や袋を取りにいき、ついでにあたしたちのラムネも持ってきた。
 翌朝は、イチおじさんが指揮統率で、ユリリの部屋からブライハさんの机や椅子や原稿用紙や薬の空瓶、ユリリの服や靴や毛布や本を運びだし、午後には新しいおねえさんが引っ越してきて、
 イチおじさんの説明では、ブライハさんは薬物中毒を治さなくちゃならないので別の病院に移って、ユリリは股関節のところを骨折しているから、ギプスで固定しての丸一ヵ月の入院生活、もう百花繚乱にはもどらないし、あたしたちのお見舞いも望んでないそうだ。
「あの子も三十過ぎだ。この商売にもどっても落ちてくだけだからね」
 トミママはうなずいたが、
 あたしとそららはラムネを暴飲暴食しそう。トミママだって、ユリリの事件のあとは、もっともっと、おまんじゅうや最中やどら焼きや羊糞やアンパンを食べるようになって、太って太って、部屋の出入りにもつっかえるほどで、
 ある夜、自分の部屋にもどろうとして、トミママのおなかがどうしても入口を通らなくて、入室禁止、吹き抜けホールの長椅子に永住生活、あたしとそららも強迫観念のラムネの日日がつづいた。

 

 八月の暑い盛り、午後の百花繚乱はじっとり汗ばんで、お客さんも数えるほど、おねえさんたちはスリップドレスでうちわをぱたぱた、かき氷やアイスや蜜豆や葛餅を食べながらのおしゃべりで、トミママは、袖なしのテント型ワンピースのすそをぱたぱた、小豆モナカを溶けないうちにと十個も口に放り込んで、
「冷たいねぇー、頭の芯にくるよ」
 頭を拳でこんこん叩き、食道のあたりをこすり、あたしたちはホームランバーをなめながら、ホームランが出るともう一本もらえる(このあいだはふたりともヒットだった)のが楽しみで、
 玄関口がざわついて、チヨヨが大柄なミキミキを肩でささえてやってきた。ストリップの女王ジプシー・ローズに似た華やかなミキミキの顔が、日のふちや唇が切れて、鼻に詰めたちり紙が真っ赤にそまって、体まで縮んでしまったみたいで、
「どうしたんだい!」
 トミママが声を張りあげた。
「ミキミキの若いヒモよ」
「なんてこったい。あたしのベッドに寝かしな。内臓がやられてないか診てもらうんだ。百花繚乱ならしっかり金が取れるから医者が飛んでくるよ」
 ミキミキは腫れてふさがった目を開けようとしながら、
「ビール瓶で殴ったから心配なの」
「当然だよ。おまえの殴られ方はひどいよ。まともじゃないね」
 ミキミキの鼻に詰めたちり紙から、ぽとり、血が滴って、ぽとり、ぽとり、くしゃくしゃの黄色いワンピースを汚し、
「あたしがヒモと話をつけるよ」
「そうしてやって」
 チヨヨが新しいちり紙をミキミキの鼻にあてながら、「ひとつ置いた隣りの百一四花、二一八よ」といって、ミキミキをトミママの部屋につれていく。
 トミママは両腕を肩の高さまであげると、
「さあ、うみみとそららに手伝ってもらうよ」
「まかしておいて」
 あたしたちはそろって答えると、トミママの腕を片方ずつしっかり抱えて、立ち上がらせ、百花繚乱の玄関を出た。
 何年も外に出なかったトミママは、すぐ目のまえに他のビルの入口があるのに驚き、光が射してくるビルの上のほうを見上げて、あたしたちもつられて四角い空を見上げ、窓からゴミがぱらぱらと落ちてくるのに、急いで顔を伏せ、
「すごいもんになっちまったんだねぇ」
 トミママは驚きながらも、
 隣りのビルに入って、店屋のならぶ廊下を店先の品物に体をぶつけて、ナスやキュウリやトマトやスイカを落とし、玉子を割って、竹輪やごぼう巻きを転がし、ドジョウの入ったバケツをひっくり返して、そのたびに「請求はイチにしておくれ。トミママがそういったとね」 といって歩いて、
 非常扉をつないだ通路をとおって、隣りの百一四花までいき、トミママの幅くらいの階段を、あたしとそららに左右の巨大なお尻を押させながら、一段一段のぼり、やっとこさで二階に到着、
 体でお商売するおねえさんたちが、ドアのまえに立ったり、椅子に坐ったりして、廊下を歩くお客さんに声を掛け、お客さんの冗談に笑っているのを、横目で見ながら部屋番号を確かめ、二一八号室をみつけた。
 ドアが薄く開いてて、物音はなく、そららがもう少し開け、あたしがのぞくと、ベッドにミキミキの若いヒモ男とまだ少女時代の子が、染みだらけの夏掛けにくるまって眠り、
 部屋は暴れまわったあとがありありで、隣りのビルの壁しか見えない窓の花柄のカーテンが半分レールからはずれ、ひとつしかない椅子は主客転倒して、食べものも壊れた食器も割れたビール瓶も洋服も洗面器も石鹸も床に散乱状態、
「どんな関係か分かるよ」とトミママはあきれ、
「なんとしてもこの体を部屋に入れなくちゃならないね」
 そららがドアを引っぱって全開にすると、トミママはドアに対して横向きになって、
「おまえたち、容赦せずに押すんだよ」
 トミママは息を深く吸って、ほんのちょっとだけおなかをへこませて、蟹歩き、ドアにおなかがつかえるのは自然の法則、あたしとそららは一気呵成に押して、
「いたたたたぁー」
 トミママはドアの枠に擦られながら胴体がドアを通り抜け、肥満体形に比べて小さなサンダルの足が遅れて、もつれて前のめりになり、頭をうしろに倒してバランスを取ろうとして、
 なんだ? と目を覚ましたふたりの上に、どっかん、と尻もちをついた。
「ぎいえー」「ぎゃあー」と夏掛けの男女関係は叫び、トミママのお尻の下をまぬがれた手足をばたばたさせたが、トミママの体はびくともせず、若いヒモ男の顔を眺めて、
「貧相な男だねぇ」
「どけ! くそばばあ」
 若いヒモ男はどなり、少女時代の子は細い体を蛇みたいにくねらせて、ベッドの端によって、肩を抜き胸を抜き腰を抜いて、ついに脱出成功、栄養失調みたいに骨が浮いた体に、床に落ちている下着と薄汚れたワンピースを拾って身につけると、閉めたドアのまえに立つあたしたちを、からまった前髪のあいだから睨みつけた。
 トミママのお尻に敷かれたヒモ男はことばも貧相で、「でぶばばあ、どけってんだよ!」
「お黙り。話ができないだろう」
「うるせい! ばばあ」
「うるさいのはおまえだよ」
「なんだと、くそばばあ」
 トミママは「長くなりそうだから横にならしてもらうよ」と丸太のような足をベッドにのせ、重量鉄骨みたいな上半身を勢いよく倒すと、
「ぎゃぎゅぎょえー」
 若いヒモ男は悶絶絶叫、おとなしくなり、たぶん気を失ったのだ。
 少女時代の子は怒った口調で、
「このばあさんはなんなの?」
「トミママよ。百花繚乱の中心人物」
「ミキミキの対策事業できたの」
「あんたたちは?」
「うみみとそらら」
「一卵性の双子姉妹よ」
「見たら分かるよ」
 あたしたちは、一瞬、自己紹介をやめようと思ったけど、まあ、最後まで、
「三、四歳というところだね、のときに百花繚乱に捨てられて」
「十三、四歳というところだね、までになったの」
 少女時代の子は「捨て子なのにきれいな格好してるんだ」とあたしたちを上から下まで眺めてから、
「あたしは三年まえだから、十一歳のとき捨てられたんだよ。かあさんは上の階の部屋を借りてたんだけど、家賃が払えなくなって、階段の立ちんぼになった。お客さんと外にいくからって、揚げたてのメンチカツとコロッケを買ってくれて、おかしいと思ったんだ。それからひとりでやってる」
 トミママはいたく感心して、
「えらいね。なまえはなんていうんだい」
「スミッコ。かあさんの商売中、階段のすみっこにしゃがんでたから、そう呼ばれた。捨てられてからも百花歓楽のすみっこで暮らしてたしね」
「そうかい、そうかい」
 涙もろい年寄りになったトミママは鼻を詰まらせ、腹も立ったみたいで、おなかが、ぐぐぐぅー、と鳴って、 あたしとそららは、トミママにいわれてスミッコに安くておいしいパン屋に連れていってもらって、アンパンや鶯アンパン、三色パン、甘食、ジャムパンにクリームパンにピーナツコッペパンなんかを買占めて、みんなで飽食三昧、
 トミママはミキミキの若いヒモ男の上に泊ることにして、スミッコは部屋のすみっこに夏掛けを敷いて、あたしとそららは百花繚乱に帰った。
 翌朝、顔がボールみたいに腫れたミキミキとチヨヨといっしょに、二一八号室のドアを開けると、トミママの下にいたはずの若いヒモ男が仰向けで床に転がって、肘を曲げた形で両手を広げ、足はがにまたで、硬くなっていた。
 ミキミキは若いヒモ男に駆けよって、
「あたしが殺したぁー」と泣き出し、ひしゃげた鼻を指でなぞりながら、「ごめんね、殺すつもりはなかったの。ごめんね」
「違うよ」ベッドに横になったトミママが、
「あたしの体で圧死したんだ。スミッコに引っぱり出してもらったところだよ」
 部屋のすみに坐ってるスミッコが、
「簡単だったよ」
「ひどい死に方」
 ミキミキが若いヒモ男の大きく開いた唇をなぞりながらいうと、
「見事な圧死ね。うすべったく見えるもの」
 チヨヨが、くくくっ、と笑ってから、
「こいつを片づけなくちゃならないわ」
「夏は腐るのが早いからね。ここでは死んだやつはどうするんだい?」
「どうするんだろう。ミキミキ、知ってる?」
 ミキミキは、ヒモ男の怒ったように見開いた目を指先で閉じようとするが、できなくて、
「知るわけないわ」
「あんたの男でしょ」
 ミキミキは無視だ。
「ハエにたかられたネズミや猫や人間の赤ん坊も、女の人だって、ゴミ屋が片づけるんだよ」
 スミッコは得意満面、もつれて固まった髪を耳にかけ、
「隅田川のウナギの餌になるんだから」
 あたしとそららは、すごい、と驚き、
「ウナギ、好物なのに……」
 ミキミキはヒモ男の髪を指で梳きながら、食べれなくなる、と首を振り、
「スミッコはどうして知ってるの」チヨヨが訊くと、
「ゴミ屋を手伝ってた」
「いまも?」
「いまは体で稼ぐ」
「価格競争で負けるはずね。で、ゴミ屋とは連絡がつく?」
「おじいさんのゴミ屋と仲良しだよ」
「口は堅い?」
「耳が聞こえなくてしゃべれない。字が読めないし書けない」
「面倒な死体はそのじいさんに頼めばいいんだ」
 チヨヨが喜ぶのに、ミキミキが紫色にふくれあがった唇で、
「きっと高いわ」
「それだけじゃないよ。死体で遊んでもいいって約束するの」
「そんなぁー」ミキミキが嘆くのに、
「死んでるんだから。いいじゃない」
「おじいさん、男は嫌い。お尻はダメなの」
「生きてる女とやるのもダメなのよね」
 チヨヨが訊くのに、スミッコはうなずいて、
「だから、安心してそばにいられたんだ」
「スミッコは賢いね」
 トミママはスミッコがお気に入りみたいで、あたしたちは残念無念、そんなあたしたちの気持を逆なでするように、
「あたしは長くないからさ、あたしが死んだときに、じいさんに遊ばれるんじゃダメかね」
 あたしとそららは叫んだ。
「死んじゃだめ!」
「絶対だめ!」
「食べて太って、血圧も危ない。心臓だって限界だ。自分で分かってるさ。うみみとそららのことは考えてるから大丈夫だよ。スミッコ、じいさんを呼んどいで」
「うん」
 スミッコが部屋から走り出ていくのに、
「おまえたちもいくんだ」
 トミママのことばに弾かれるみたいにあたしたちはスミッコを追いかけた。
「おじいさんはあちこちいくから急ぐよ」
 あたしたちは必死でスミッコについていき、廊下を走り、非常扉をつないだ空中通路をわたり、階段を駆けのぼり、息を荒くしながら、
「紆余屈折ね」
「立体迷路ね」
「どのビルか分からない」
「何階か分からない」
 スミッコが振り返って、
「上の階にいくと違うよ」
 そのとおりだった。階段をなんどもあがっていくと、踊り場で部屋なしおねえさんが体のお商売の真っ最中で、廊下に並ぶおねえさんたちも乳房をあらわにして両手でささえてみせたり、下着なしでスカートを持ちあげたり、スカートをまくってお尻を突き出したり、お客さんのまえに立って派手な長襦袢をはだけたり、お客さんをつかまえようと必死で、
 お客さんも薄汚れたシャツとズボン姿で、値下交渉ばかり、歩きながらおねえさんたちの体を触ろうとして、「ただで触るんじゃないよ」と手を払われ、お客さんは、ぺっ、と唾を吐き、
 廊下にはちぎれたビニール袋や紙くずや使用済み避妊具が捨ててあって、ハエがたかって、ゴキブリがもぞもぞ動いてて、あたしたちは足の甲のあたりがむず痒くなってきた。
 おしっこの臭いのする廊下で、もう若くはないおねえさんが、パンツ一枚でしゃがんでいる幼い男の子に、経木に包まれたおむすびをひとつ握らせ、自分もひとつ取ると経木を廊下に放って、待ってたようにハエが飛んできて、経木にも、男の子のおむすびにも口のまわりにもハエはとまって、男の子は手で追い払いながらおむすびにかぶりつき、男の子の片方の目は目脂で閉じてて、そこにもハエが一匹とまっているんだけど、男の子は気づかない。
 あたしとそららは男の子が気になって、振り返り振り返りしていると、酔っぱらって寝ている男の人の足につまずきそうになり、男の人は乾いた吐鴻物に顔を突っ込んで、鼾をかいて、
「急いでよ」
 スミッコに叱咤激励されて、
 あたしたちは遅れないようスミッコの背中を追いかけ、こんどは階段をおりて、空中通路をいくつもわたって、やっと、
 灰色の髪をてっぺんでお饅頭みたいにくくり、顔の半分がヒゲにおおわれたおじいさんが、黒っぽい作務衣姿でカゴをしょって、ゴミを探しながらこっちにやって来るのが見えた。
 スミッコは走って、おじいさんに抱きつき、おじいさんのびっくりした顔が笑って、スミッコの背中をとんとんとんとたたき、
 スミッコは身振り手振りで伝え、わたしたちを忘れたまま、おじいさんと全身全霊のおしゃべりで、廊下を歩き、階段をおり、あたしたちはふたりの背中を追跡調査、さっきの立体迷路は消えちゃったみたいに、すぐにミキミキの部屋についた。
 スミッコが、トミママのベッドのまえで、トミママが死体遺棄になったら遊んでもいいので、代わりにヒモ男の死体処理をしてほしい、と再度説明すると、おじいさんはぎっしりゴミが詰まったカゴをおろし、トミママを見下ろし、爪やしわが真っ黒に汚れた手で、テント型ワンピースの上から体をなでさすり、トミママの足のあいだをつかんで、破顔一笑、
 チヨヨとミキミキを指さした。
 スミッコが通訳して、
「ふたりもだって」
「どれだけ長生きするつもりよ」
 チヨヨが不機嫌にいうと、ミキミキがなだめるみたいに、
「じいさんのほうが先に死ぬって」
「ミキミキの男は死んでもヒモなんだから、最低よ」
「ほんと最低だよ。あたしみたいな宿無しに売れ残りの弁当ひとつでやらせるんだ」
 チヨヨもミキミキも唖然として、スミッコをみつめ、うなずき、契約成立、
 あたしたちは床に散らばっているたくさんの物のなかから、包装紙の切れ端とちびたエンピツを探しだし、そららが文面作成して、あたしが口述筆記、
 トミママとチヨヨとミキミキは、死体遺棄になったら、おじいさんに遊ばれる。でも、死体処理は頼まない。遊ばれるだけ。
 三人になまえを書いてもらって、スミッコにわたし、
 スミッコは一字一字を指でさしながら読んで確認して(シタイイキとシタイショリの読みと意味はそららが説明)、おじいさんに身振り手振りすると、おじいさんは紙を懐にしまって、
 引取料金は、一万円、現金払い、
「明日払うといっておくれ。イチに払わせるよ。ひとり大儲けしてるんだから。あとで、うみみとそららにイチの事務所にいってもらうからね」
 トミママがきっぱりいって、スミッコの全身通訳に、おじいさんはうなずくと、
 床に置いた背負いカゴをひっくり返し、大量のゴミを放り出してから、ヒモ男の硬直死体を引き寄せて、くるりと返して背中を上にすると、腰に片足をのせ、腕と足をつかんで、
 ばっきん、と二つ折り、
「わっ!」「ええっ?」チヨヨとミキミキがびっくりすると、
「背中とお尻がくっつく形じゃないとカゴに入らないんだよ」とスミッコが説明して、
 おじいさんは、両腕を背中側に、ばきっ、ばきっ、
 膝も、ばきっ、ばきっ、と足先がお尻にくっつくように折り曲げて、
 若いヒモ男は胸をそらしたX字になって、
 おじいさんはV字のヒモ男を持ちあげ、カゴに入れ、カゴから飛び出している顔に両方の手のひらをあて、首を、ばっきん、うしろに折って、V字のあいだに収め、
 床からミキミキの破けた服を拾ってかぶせ、しゃがんで、カゴの肩紐に腕をとおして足の位置を確かめてから、一気に立ちあがり、腰のロープでカゴを補強するように体にくくりつけた。
 おじいさんは、トミママ、チヨヨ、ミキミキを指さして懐を三度たたくと、頭をさげて出ていった。
 床はミキミキの散乱状態に、おじいさんのゴミが――食べものの空袋空缶、履きつぶされたサンダル片方やすさまじい臭いの茶色のぼろぼろ運動靴、絡まった髪のかたまり、食器の破片、でこぼこのアルミのコップは取手がはずれてて、洗って再利用する衛生用品、汚れきったぼろ布、錆び曲がった釘なんかで大きな山になって、悪臭芬芬、チヨヨが、
「トミママの部屋を掃除しなくちゃね」
 そのことばによって、トミママの永住生活は、吹き抜けホールの長椅子からミキミキのベッドに変わったのだ。

 

 イチおじさんの事務所は百一花の一階すべてを使って、百花歓楽の土建屋と不動産屋、あたしとそららは、他の部屋とは雲泥万里の社長室の黒い革張りの長椅子にならんで坐り、埋まりそうに毛足が長い絨毯に白いサンダルの足をおいて、うしろに大きなリボンがついた小花柄のワンピース、ポニーテールにも共布のリボン、白い小さなバスケットを膝において、
 背広姿のイチおじさんと向かい合うと、トミママの遺憾千万が分かって、
 単刀直入、腹をわってイチおじさんに話すのは、まず、あたし、
「トミママとあたしとそららがいた百花繚乱のふた部屋と、百一四花の二階の四部屋を、交換条件してください。あと、死体遺棄するので一万円ください」
「あたしたち、十三、四歳というところだね、になって、そのまえだって、もう子どもではいられない人生でしたが、百花歓楽ですっかり大人になります」
「体のお商売じゃなくて」
「イチおじさんのヒモになるんです」
「あたしたち、ますますイチおじさんに似て、おかげで美人双子になって、感謝しています」
「だから、イチおじさんが寂しくつらいとき、あたしたち、ヒモになって慰めます」
「イチおじさんをしっかり働かせます」
「イチおじさんはあたしたちに入れ揚げます」
「今日は一万ずつでいいです」
「合計三万円です」
 イチおじさんは、大笑いしつつ、あたしたちそっくりの大きな目はちっとも笑ってなくて、
「百花歓楽じゃ、俺をゆするようなヤツは処分するんだ」
 イチおじさんの態度にあたしは切歯扼腕、
「いじわるね!」 
 そららは静かな闘志満満、
「死体愛好されて、隅田川のウナギになるんでしょ。ウナギは隅田川の名物ね」
 そららはトミママから教え込まれた天下無双の笑顔で、イチおじさんをみつめ、
「ウンチまみれでハエにたかられてる赤ん坊も、明日は解体処分されるの」
 あたしも戦線復帰して、
「赤ん坊の、父は分からず、母は梅毒、戸籍なし」
 にっこり笑う、
「おまえたちは、もう百一四花に移ってるんだな」
 イチおじさんがあきれ顔で首を振るのに、
「あたしたち、誠心誠意のヒモになりますから」
「イチおじさんとは長いつき合いですから」
 イチおじさんはにやりとして、
「部屋の交換条件に損はないから三万円は立退き料だ。ヒモの話は考えておく」
「大好き。とうさんのイチおじさん」
「ありがとう。とうさんかもしれないイチおじさん」
 あたしたちはイチおじさんのほっペたに両側からキスして、お礼をいった。
 手に入れた百一四花の四つの部屋は、あたしたちとミキミキとスミッコで、ひと部屋ずつ、残りのひとつはチヨヨの知合いの若いおねえさんに貸して、家賃収入、
 三日もすると、百花歓楽のおねえさんたちのあいだで、トミママがミキミキの若いヒモ男とのごたごたを解消してくれた、と噂が広まり、どんなふうに救ったのかの犯行供述まで伝わって、朝から、おねえさんたちがアンパンや最中やおまんじゅうや今川焼きや飴団子なんかをもってやって来て、
 あたしたちがトミママを訪ねたときには、おねえさんたちが部屋いっぱいで、身動きがとれず息苦しいほど、おねえさんたちは押し合いへし合いしながらベッドのトミママに近づくと、甘味菓子をトミママの口に押し込んで手を合わせるが、後ろから押されて、やめてよ、独り占めすんな、さっさっと終えなよ、うるさくてお願いできないじゃないか、とケンカになって、叫び声とともにトミママの上に将棋倒しになり、
 あたしとそららとスミッコは、必死でおねえさんたちを掻きだし、引っぱりだし、廊下にならばせ、待ってもらって、
「トミママ、大丈夫?」
「ケガしなかった?」
 トミママは喉を上下させて、甘味菓子を飲み込んで、
「おまえたちで入場制限しておくれ、ひとりずつ順番だ。そのまえに、朝の体拭きだよ」
 その日から、あたしとそららとスミッコは、おねえさんたちの機会均等で大忙し。スミッコは「これじゃ稼げないよ。せっかく部屋ができたのに」と文句をいいながら、おねえさんたちを二列縦隊で廊下にならばせ、あたしは部屋の入ったところで三人のおねえさんに立っててもらい、そららがトミママのそばで、ひとりずつお参りするのに付き添って、
 おねえさんは、トミママのそばに膝をついて、トミママの口に甘味菓子を入れて、ぶつぶつぶつぶつ、お願いします、また甘味菓子を口に入れて、ぶつぶつぶつぶつ、どうか叶えてください、どうか、どうか、と祈願拝伏しながら、感情がたかぶって、泣き言、迷い言、恨み言、呪詛のことばを吐きながら、大泣きしたり叫んだり、そららは興奮したおねえさんの背中をなで、肩をそっと抱いて、立ちあがらせて、
 あたしはつぎのおねえさんをトミママのまえに連れていき、おねえさんはトミママの口に甘味菓子を入れ……、
 誰が名づけたか、トミママ参り、と呼ばれ、大願成就ともいわれ、
 トミママは、おねえさんたちの甘味菓子で、全身膨張、ベッドからはみ出てしまい、あたしたちとスミッコは、チヨヨとミキミキにも応援を頼んで、手足と頭をもってベッドからもちあげ、イチおじさんの社長室からもらってきた毛足の長い高級絨毯の上にのせようとして、トミママの重さに耐えきれず落としてしまったが、肉厚の体にケガはなく、トミママは絨毯いっぱい(長い毛足はぺっしゃんこ)に横になって、
「のびのびできるよ」と満足顔で、
 ベッドを廊下に出すと、順番待ちの列のなかから、屋上にテントを張って体のお商売をはじめたおねえさんが「願いがかなったわ」とマットレスをもらっていき、
 中年双子姉妹のおねえさんたちが、ぼってりした体に赤地に花が散った長襦袢に山吹色の伊達締姿で、「もうひとつベッドが欲しかったの」「くっつけてダブルベッドにするの」と鉄枠だけになったベッドをずるずる引っぱりながら、
「あたしたち夜鷹姉妹」「駒鳥姉妹より人気だったのよ」「あんたたちならすぐに売れっ子になるわ」「あたしたちの若いころを思い出すわね」「百三六花の二〇五号よ。遊びにいらっしゃいな」「双子姉妹の特技を伝授するわ」
 ブルドックみたいに垂れた頬に厚化粧して、真っ赤な唇でにぎやかにしゃべっていった。
 あたしとそららは、ありがとうございます、と礼儀正しく頭をさげながら、あの夜鷹姉妹があたしたちの前途有望だったら、やっぱりヒモになろう、と決心した。
 そんなこんなで、トミママ参りはますます話題になって、おねえさんたちが引きも切らずにやってきて、そのなかには、百花繚乱のなつかしいおねえさんたちはもちろん、小さい女芸人たち――小さい蛇使いの女や小さい八つの乳房の女、小さい狼女、体の九つの穴に九匹のトカゲを飼っている小さいトカゲ女がいて、再会がうれしく、でも、あたしとそららは小さい女芸人たちの倍近く背が高くなっているのが、恥かしく、拒絶されそうで、しゃがんであいさつすると、
 小さい女芸人たちはまえと違って気さくに、
「うみみとそららは大きくならなくちゃ生きていけなかったのよ」
「体の成長をとめた人生も難難辛苦よ」
「うみみとそららも体より気持が何倍も年取ってるから」
「たいへんよね」
 みんなが慰めてくれて、あたしたちが、
「芸を観にいきたいな」「劇場はどこなの」と訊くと、
 四人は首を振り、
「もう芸人じゃないの」
「体のお商売よ。あたしたちサイズのお客さん相手にね」
「サイズが合っても男は男。勝手放題するわ」
「劣った体と見下すの」
 小さい女芸人たちは、小さいため息をつき、
 ほかにもスミッコの仲間の宿無し少女やスミッコをひと晩だけ泊めてくれたおねえさんなんかも来て、あたしたちは百花歓楽のおねえさんたちと親しくなっていき、
 そして、十月の初め。ドアを閉めてのトミママとあたしたちとスミッコの半時間の昼休み、おねえさんたちも廊下に坐り込んで、ご飯を食べて、おしゃべりして、暴力沙汰のお客さんの情報交換して、トイレにいくのに順番をとっててもらって、床に寝転んで昼寝のおねえさんもいて、
 なにしてんだい! 順番守りなよ! うしろに並びな! とおねえさんたちの不平不満の声が聞こえるのに、あたしとそららがドアを開けると、目のまえに、浴衣のまえをはだけて胸からおなかが丸見えで、浴衣を結わえている紐がお臍の上をとおって、
「やぁあぁー」
 ブライハさんだ。ごま塩になったオールバックの髪をゆらして、顔の左側だけが笑い、
「こんにちは。三ヵ月振りかしら」
 ユリリがブライハさんの後ろから顔をだし、
「左足をまえに出して。あせっちゃだめよ」というのに合わせて、
 ブライハさんは左に傾いだ姿勢で、運動靴の左足を一歩、つっぱった右足が床をこすりながら二歩目、交互に足をまえに出すが、体の右側は固まっているみたいな動き、
「癇癪起こすと倒れるわよ」
 声をかけながら部屋に入ってきたユリリも、片足を引きずって銀色の杖をついて、足首までとどく黒いワンピースに、一本の長い三つ編みを背中にたらして、昔、ユリリが話してくれた物語の、アマゾン流域から裸の女の子をさらってきて、洋服とスペイン語と神を信じよ、で閉じ込めた尼僧みたいな格好、
 あたしたちはアマゾン少女の物語が好きで、なんども話してもらった。大昔のギリシャでは、アマゾンは弓をひきやすいよう片方の乳房を切り落とした、世界の果てに住む女戦士たちで、ユリリの物語では、アマゾンと呼ばれる女戦士たちが尼僧院から熱帯アマゾンの女の子を救いだして、
 その後、女の子は熱帯密林の女戦士になって、吹き矢が武器なので両方の乳房そのままの裸で、両脇に双子姉妹の赤ん坊がお猿みたいにからみついて、乳首をくわえて、戦闘のときは双子の赤ん坊だって毒矢を放てるから、戦力増強、スペイン人やポルトガル人やアメ公とも戦って大勝利、
 だけど、話してくれたときのユリリは今は昔、四角四面の尼僧みたいな格好をして、黒い服に銀色の杖をこつこつ。でもやっぱり才色兼備の魅力はそのままで(よかった)、あたしとそららに、
「切磋琢磨してる?」
「百戦錬磨よ」
「常住坐臥で」
「ふたりとも百点満点ね」
 ユリリはほめてくれてから、床に横たわってるトミママに、
「立ったままでごめんなさい。わたしは股関節に障害が残って」
「気にしないよ」と顔が大きくなったトミママは、口がユリリの膝の高さくらいのところにあって、
「ブライハさんは薬を断ったら右半身が動かなくなっちゃったの。お医者さんは精神的なものだっていうんだけど、ぴくりともしないの」
「そぉお、なぁんだぁー」
 ブライハさんの声は部屋中に響いて、部屋のすみに立ってるスミッコまで吹きだし、
「原稿依頼もなくなって、家にもいられず、あたしのところに帰ってきたの」
「あぁー」
 うなずいたブライハさんの顔は、右側は眉も目も頬も口も顎も硬直してるけど、左側は目尻も鼻の穴も口の端も笑って、百花繚乱のときみたいにきーんと緊張してなくて、左手であたしとそららの頭をなで、左足はトミママの小山みたいな体をくいくいと押している。
「百五八花の十三階に住んでるのよ」
「ユリリはずいぶん安くなったじゃないか」
「イチがあたしの荷物を突っ込んでおいたの。家賃が安い部屋に。それをそのまま使ってて、イチの紹介で、貧しく汚いところで、女教師や修道女の格好をしたあたしに責められたいお偉いさんがいてね、この杖で突いてやるの」
 ユリリが、くふふふふっ、と笑うと、
「かぁーんさぁつだぁー」
「ブライハさん、百花歓楽を書くんですって」
「おまえはブライハが致命傷だねぇ」
「こんどは共同執筆よ」
「ところで、ブライハがさっきからあたしを靴の先でつついてるのは、なぜなんだい?」
「作家魂ね。トミママはどんどん大きくなってるっていう噂だから、確かめにきたの。ほんと、部屋いっぱいの迫力ね」
「足でつつかなくても、確かめようがあるだろう」
「作家は触って確かめなきやだめなのよ」
 廊下で待ってるおねえさんがドアをたたいて、昼休みが終わったのを伝え、ユリリとブライハさんは、また取材にくるわ、といって引きあげていった。
 トミママがどんどん大きくなっているのは、あたしたちも気になっていたんだけど、
 トミママはもう部屋の八割がたを占め、大きくなる度合いも日日増しているから、部屋を広げなくちゃならない。二一八号室の両隣りの部屋を確保して、どうせベニヤ板一枚みたいな薄壁だからぶち抜くのはあたしたちでできるし、両隣りのおねえさんは、「これじゃあ、客が寄りつかないよ」と嘆いていたから、交換条件で別の部屋を用意すれば文句はないだろう。イチおじさんに頼まなくちゃ。
 で、さっそく交渉にいくと、社長室で待たされたあげく、
「要求がエスカレートしていくな」
 イチおじさんは不機嫌顔、
「へたなヒモでごめんなさい」
「憎らしいのに断れないよう、がんばります」
 あたしとそららは、たくさん謝って、努力を約束して、心を込めて舌先三寸、部屋がほしい理由を説明した。
 イチおじさんも、おねえさんたちのトミママ参りがすごいのは知ってるはずだから、トミママが部屋いっぱいになってお参りできなくなったら、悲しみや怒りのやり場がなくなったおねえさんたちは茫然自失、一度知ったものを失うのはもともと無かったのとは大違いだから、百花歓楽は七転八倒の支離滅裂、イチおじさんの平穏無事にもかかわることで……
 イチおじさんはあたしたちに、
「うみみもそららもうまくなったな」
 と感心しっつ、これ以上つけあがらないよう厳重注意してから、部屋を融通するといってくれた。あたしたちはなんども、ありがとう、をいって、
 そのくせ、あたしとそららは事情説明しつつ、テーブルのガラスの灰皿のわきに立っている、たいまつをもった右手を高く掲げた女の人の白い像が気になって、四十センチの女の人は威風堂堂、
「この人、誰なの?」
「なんていうなまえの人?」
「アメリカの自由の女神だ」
「どんなお話の人?」
「強い人?」
「建材屋からの貰いものさ」
 イチおじさんが、自由の女神像のたいまつのところをかぱっと開けて、手首のあたりを親指でこすると、炎がついて、
「ライターさ。こけおどしだ」
「もらってもいい?」
「イチおじさんのものを身近に置いておきたいの」
 あたしはびっくりして、
「あたしたち、この女の人が気に入ったからでしょ」とそららに訊いてしまい、
「ヒモがほしいものを手に入れるとき、そういうの」 
イチおじさんはおもしろそうにあたしとそららを見比べ、
「やるよ。いつもこの程度の要求にしてほしいもんだね」
 あたしたちはふたたび、ありがとう、と八方美人の笑顔になって、ついでに一万円ずつ生活費ももらって、キスして、ウィンクして帰った。
 広くなった部屋は、午前十時から午後九時まで両側のドアが開放されて、一度にふたりずつ、右と左から甘味菓子をトミママの口に放り込んでの参拝祈願、一日に倍のおねえさんたちがお参りするようになって、倍の甘味菓子、数倍のトミママの膨張拡大、
 百花歓楽のすべての大願成就がトミママのところにやってくるから、あたしとそららもたくさんのことを知ることになり、
 おねえさんたちはお客さんやヒモによって罵倒されたりケガさせられたり、お酒におぼれたり薬が手放せなくなったり、とつぜん部屋の窓から飛び降りたり睡眠薬を大量に飲んだり手首を切ったりして、死んだり大ケガしたりすっかり元気になったり、ほんのたまに金貸しやドプロク作りや駄菓子屋をして小金を貯めてるおねえさんもいたけれど、
 多くのおねえさんは、なんども性病にかかっておしっこのたびに苦しんだり、おなかが痛くて転げまわったり、おなかの赤ちゃんに困って体温計や鏡のうらの水銀をなめたり、おなかを叩いたり、針金を差し込んだりして、赤ちゃんといっしょに死んだり、半死半生、産んでしまうほうが得策というおねえさんもいて、体のお商売の部屋に三人四人の子どもたち、
 そのうえ、古株年増になって家賃が払えなくなると追い出され、立ちんぼでもお客がつかなくなると、ゴミ拾い、若いおねえさんの仕事中に子どもをみて小銭をもらって、あとは廊下や階段にぼんやり坐って、誰かがおむすびやパンの耳を握らせてくれることもあるけど、ゆっくり衰弱していくしかなくて、
 だから、五、六歳というところだね、になると子どもは自分で稼ぐ。商店の掃除を手伝って、ゴミ拾いして、おねえさんが体を洗う水を運んできて、酔っぱらったお客さんを知合いのおねえさんのところに連れてって、お客さんが泥酔してればお金も時計も靴も上着もズボンも取って……、ご飯やコッペパンや飴玉やせんべいやばら売りの煙草一本を買って、
 百花歓楽の上階には子どもが増えて、赤ん坊や幼い子が病気になって死んで、治っても脳や目や耳や手足に後遺症が残って、それでも、いつも笑い声がして、ゴミだらけの廊下でハエの死骸をご飯にしてのおままごと、ゴム段遊び、かくれんぼしておねえさんの部屋に入り込んで叱られ、缶蹴りしてお客さんにぶつかって叩かれ、悪態をついて走り逃げ、十代になると階ごとにグループができてケンカも起こって、不良仲間のリーダー格の少年を、イチおじさんの若いもんの人たちが目をつけ使い走りにして、少年たちは見たこともないイチおじさんにあこがれた。
 年が明けて、一月の夜遅く、あたしとそららのドアがたたかれ、ユリリが呼ぶ声がして、どうしてもトミママに会いたいの、と頼まれ、あたしたちはパジャマの上にオーバーをはおって隣りの部屋のスミッコを起こし、
 トミママの部屋に向かう。ユリリは黒い細身のコートに銀色の杖をつきながら、母親らしい若いおねえさんはあぁーあぁーと泣きながら首がかくんと垂れた赤ん坊を抱いて、青い半纏を着たブライハさんは体を左右にがくんがくんと傾けながらついてきて、
 スミッコがトミママの部屋の右側のドアを開け(左の部屋は小さめでトミママの体でだいぶふさがってしまった)、あたしとそららとスミッコとユリリと死んでるみたいな赤ん坊を抱いて泣いてる母親の若いおねえさんとブライハさんが、つめつめで部屋に入って、
 あたしたちのほうに首をごろんと動かしたトミママに、
「遅い時間にごめんなさい」
 ユリリは謝ってから、死んでるみたいな赤ん坊を抱いて泣いてる母親の若いおねえさんの背をおして、
「この子は、いつも赤ん坊を椅子に寝かして仕事するのだけれど、仕事中に烈しく泣いたらしくて、お客が足で椅子を蹴飛ばしたの。この子、耳が聞こえないから体に乗っかった男が何をしたか分からなくて、赤ん坊は椅子といっしょに床に転げて、お客は終わると知らん顔して逃げたわ。この子が床から赤ん坊を抱きあげたときには息がなかった。わたしたち、赤ん坊があんまり泣くと、預かりもしたんだけど……」
「あたしにどうしろっていうのさ」
 トミママは眠くて面倒臭そうな声だ。
「この子、トミママが赤ん坊を生き返らせてくれるって信じてるのよ」
「むりだね」
「トミママからいわないと納得しないわ」
 トミママは黙っている。
 あたしたちも黙り、あぁーああぁーとうめくように泣いてる母親の若いおねえさんは、薄汚れた布につつんだ死んだ赤ん坊を、トミママの大きな顔の目のまえに差し出すと、
 うっうぅー、うああぁー、と喉を鳴らすようなかすれた声で訴えて、トミママの細い目をみつめ、
 トミママは重い頭をごろんごろんと振って、
「むりなんだ」
 ため息が蒸気みたい吹きあがり、
「あたしも潮時だね。もう死ぬよ」
 突然のことばに、死んだ赤ん坊を差し出している母親の若いおねえさん以外は、そろってびっくりして、
「弱気になるなんて、トミママらしくないわ」
 ユリリが銀色杖で床を二、三度一突き、
 あたしとそららは、だめよ、そんなのだめよ、絶対だめ、だめだめ、だめだから、そんなのイヤよ、イヤ、とうわごとみたいにくり返し、スミッコは肩をすくめ、
「おぉーもしいろい、はぁーなし、にいなるぞおー」ブライハさんは興味津津の声をあげ、
「こんなに膨張して、あたしの体も限度だよ。あたしには、その赤ん坊を生き返らすことはできないんだ。かわりに、あたしのおなかにずっと入れてるってのはどうかね。スミッコ、説明できるかい」
 スミッコが「やってみる」と身振り手振りで伝えると、母親の若いおねえさんは死んだ赤ん坊をぎゅっと抱きしめ、トミママのおなかと腕のなかの赤ん坊をなんども見比べて、赤ん坊の薄く目をあけ口をあけた顔に向かって、あうぅ、あう、ああぁー、とあやすように話しかけ、頬ずりしたあと、
 スミッコにうなずき、話がついた。
 トミママは昔のように指揮統率、
「まんなかのドアを開けて、うみみとそららとスミッコで、赤ん坊を裸にしてあたしのなかに入れるんだ。それが終わったら、スミッコはゴミ屋のじいさんを呼んでおくれ、ヒモ男の死体処理の借りを返すからさ。それから、明日からお参りに甘いもんはいらないよ。死んで、赤ん坊をおなかに入れて、腐らず、このままの姿でいるからね。まんなかのドアを開けての、トミママ参りだ。たのしみにしておくれ」
 トミママは雷が鳴ってるみたいな声で、たのしそうに笑って、
「ユリリとブライハにはあたしのことをしっかり書いてもらうさ」
「まぁか、しいとけぇー」
「トミママ……」
「湿った声を出すんじゃないよ。ユリリ、うみみとそららを頼むよ。スミッコもね」
「それはもちろん」
「さっ、三人でやっておくれ」
 あたしとそららとスミッコは廊下に出て、まんなかのドアを開けた。
 トミママは巨大になった足を廊下に飛び出させないよう、テント型スカートのなかで両膝を開いて立てていたが、足をあげて足裏を壁にぴったりくっつけると、オシメを取り替えるときみたいな格好になり、スカートの奥の床についているお尻が見えた(トミママは百花繚乱の着物姿のときから下着をつけたことがない)。
 あたしとそららはドアのなかに入って、トミママの大きなスカートを膝まで巻きあげ、スミッコが母親の若いおねえさんから死んだ赤ん坊を受け取って、ユリリとプライハさんが廊下から見守って、あたしとそららがトミママの足のあいだの暗く大きな洞窟の扉、ゴムみたいな感触のひだを左右から引っぱり、広げて、
 スミッコが死んだ赤ん坊の首をささえて顔をまっすぐにして、トミママの暗い洞窟のなかに、髪の毛がぽやぽやした赤ん坊の頭を入れ、首から肩、腕、胴体、と注意深くゆっくり足まで押入れると、死んだ赤ん坊は生まれたときとは反対方向に、吸い込まれていき、
 あたしとそららが手を離すと洞窟はぴたりと閉まった。
「呼んでくるよ」
 スミッコはゴミ屋のおじいさんのねぐらに走っていき、 あたしとそららはスカートの裾を足首近くまでのばしながら、ユリリに向かって、
「トミママは死んでも千年万年ね」
「トミママは未来永劫のトミママ参りね」
「そうよ。トミママは百花歓楽のすべてのおねえさんと子どもを受け入れるの。生まれた者、死んだ者、すべての命をね」
 ユリリは鼻をぐずぐずさせて、
「さよならじゃないの」
「かぁーくぅぞおー」と作家魂のブライハさんが叫び、
 母親の若いおねえさんはトミママの股間に向かって、柏手を打って、いつまでも手を合わせていた。
 翌朝早く、
 あたしとそららとスミッコは、まんなかのドアだけを開けて、トミママのスカートをくるくる丸めて膝にのせ、左右にきれいなひだを作ってから、ドアのところに『トミママ参りは、足のあいだに賽銭を 甘味菓子は無用』と張り紙して、あとは待つだけ、
 まだ、おねえさんたちはやって来ない。あたしたちはドアのまえに立って手持ちぶさたで、気持も落ち着かなくて、どうしよう? トミママの足のあいだの洞窟祠をながめて、思いついた。
 トミママが死んで新しいトミママ参りになったことを廊下や階段や空中通路を歩いて知らせなくちゃ。
 もう一枚、張り紙を書いて、スミッコにわたし、あたしたちは目印になるものがほしくて、自由の女神像を交代で掲げることにした。
 あたしとそららは自由の女神みたいに胸を張って、威風堂堂、まっすぐ前途遼遠をみつめて歩き、スミッコがすぐうしろを、『トミママ参りは、足のあいだに賽銭を 甘味菓子は無用』と廊下のおねえさんたちに見せながら歩き、
 ドアのまえで体のお商売をはじめたおねえさんたちが、「トミママが死んだんだね」「あたしたちの代わりにだね」「参列するよ」「いっしょに歩くよ」とあたしたちについて歩きだし、朝寝坊してたおねえさんたちも部屋から出てきて、泊まりのお客さんがいるおねえさんたちも手早くすませて、
 トミママは死んでも千年万年、トミママ参りは未来永劫の告知の列は長くなって、廊下、階段、空中通路を進み、どんどんどんどん、おねえさんたちが加わり、子どもたちが走りまわり、店からお客さんや店員が廊下に出てきて見物して、たくさんの息と声と体臭と気持があふれ出し、ひとりのおねえさんが歌いだした。
「落ちてくよ ったら、落ちてくよ
 十四階から、飛び降りて」
 別のおねえさんがつづけて、
「落ちてくよ ったら、落ちてくよ
 あたしの値段、この体」
 いろんな声が重なって、歌ができていって、手拍子が起こって、「落ちてくよ」がくり返され、おもしろい歌じゃないか、覚えやすいねぇ、あたしたちにどんぴしゃだよ、と自画自賛の拍手喝采、調子を合わせてみんなが歌う。

 

 落ちてくよ ったら、落ちてくよ
 十四階から、飛び降りて
 落ちてくよ ったら、落ちてくよ
 あたしの値段、この体
 落ちるにまかせて
 ちょちょんが、ちょん
 ちょん ちょん ちょん
 誰がいったか
 トミママ参り
 大願成就だ
 ちょちょんが、ちょん

 

 おねえさんたちは歌いながら振りまでつけて、列に加わったおねえさんたちもすぐに覚えて、歌声は強く大きくなって、怒りをはらんで渦巻いて、沸き立って、
「うみみとそらら、もう十分だ。やめろ!」
 イチおじさんの若いもんの人たちが、突然、あたしたちの数メートルまえに現れて、行列を止めようとして、そう若くないひとりがまえに出て、
「ふたりが拾われたときから知ってるよ。手荒なことはしたくない」
「覚えてる。マッちゃん、十六歳だって自己紹介してくれた」
「十一歳で浮浪児になったって教えてくれた」
「だったら、俺の顔をたてて、やめてくれよ」
「もう、止らないの」
「誰も、止められないの」
 あたしとそららとスミッコは歩きつづけ、おねえさんたちも歩きつづげ、
「解散だ! 痛いめに遭いたくなかったら、すぐに部屋にもどれ!」
 古株マッちゃんが、怒鳴ると、若いもんの人たちが棍棒を振りあげ、今にも襲いかかろうとして、おねえさんたちの歌声が小さくなって消えていき、足がとまり「やばいよ」とざわつき始め、おねえさんたちは他力本願、
 あたしたちも立ちどまり、
 そららが、あたしが握ってる自由の女神のたいまつのところを開けて、親指で、白い手首をカチッとこすると、
 赤い炎、
 あたしは自由の女神をもっと高く掲げて、最近のそららはこんなときには才気煥発、スミッコに「貸して」とトミママ参りの張り紙を借りると、筒状にして、
「百花歓楽で火事が起こったら、すべておしまいです」 そららはマッちゃんにおだやかに話しかけ、筒のさきを自由の女神の炎に近づけ、
「だから、火遊びしている子がいたら、大人は気を失うほど殴って教えます」
「脅すつもりか」
 マッちゃんがいうのに、「違います」とそららは首を振り、
 あたしはそららが何を考えているか理解してるから、「あたしとそららは、トミママが死んで悲しいけど、完全無欠のトミママ参りになったのが嬉しくて、百花歓楽に知らせてるだけなの」
「たった一日のトミママ行列、それが許されないなら、あたしたち、何もないのと同じです」
「燃えても、失わない」
「最初から、ないから」
「捨てられたときみたいに」
「拾われたときみたいに」
 おねえさんたちが大きな声で歌い出した。さっきより、どすが利いた声が重なって、
 落ちてくよ ったら、落ちてくよ
 十四階から、飛び降りて
 落ちてくよ ったら、落ちてくよ、あたしの値段……、
 歌はずっとまえのほうからも聞こえて、イチおじさんのところの若いもんの人たちは振り向くと、棍棒をおろすしかなくて、あたしやそららのまえをおねえさんたちが背中をみせて歩いていく、
 落ちるにまかせて
 ちょちょんが、ちょん
 ちょん ちょん ちょん
 誰がいったか トミママ参り 大願成就だ…‥、
 チヨヨやミキミキが振り返って手をあげて、ユリリやブライハさんも、小さい女芸人たちもいて、あたしとそららは自由の女神をできるだけ高く掲げ、
 もう、先頭も後尾もなくて、おねえさんたちは怒鳴るように叫ぶように、歌いつづげ、
 落ちてく音頭だ、
 ちょちょんが、ちょん、
 トミママ行列は、歌いながら、ゴミを蹴散らし、見物してるお客さんからコップ酒をせしめ、店先からパンの耳、昨夜の残り弁当やコロッケをせしめ、百花歓楽のすみずみを歩き踊りまわり、
 偶然みたいにトミママのドアのまえを通るときには、柏手を打って、拝み、一円玉、五円玉、大奮発で十円玉をトミママの足のあいだの祠に向かって、投げ、まんなかに命中すると、病気も移らず、いい客もつき、まともなヒモもみつかると言い出して、御利益の話は行列のおねえさんたちに波のように伝わり、
 そりゃあ、いいねぇ、しっかり狙わなくちゃね、百発百中しなきや、稼ぎを賽銭につぎ込むわけにはいかないからね、あんたなら手前に落ちてる賽銭を拾って投げそうだ、当たりゃ御利益だもん、そりゃいいねぇ、その賽銭の持ち主にね、と笑い合って、
 落ちてくよ ったら、落ちてくよ……、の歌声まで、笑いを含んで、
 あたしとそららは行列のまんなかで、
 百花歓楽で暮らすと決めた。拾われたんじゃなくて。

 

 

「繋」4号(2010/10/10・吹田市)より転載

 

 

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