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 作品,48

構想」49号より転載

 

「雁木坂追補」は現実と非現実が大胆にクロスオーバーされていて、その大胆さに作家魂を感じた。ひょっとすると「追補」が本編「雁木坂」を乗り越えてしまったのかもしれないと思った。
昔懐かしい飴である「変わり玉」の登場と、少女が歌う「変わり玉」の唄は「変わり玉」を知る世代には数万の言葉を費やさなくても通じる「絶対の共感」がある。

                                               推薦・小島義徳(出現

 


 
                         縦書きPDF版雁木坂追補
 

    雁木坂追補               陽羅 義光

 

 

 小説の構想には呆れるほど長い年月をかける。呆れるのは、それを聞いた仲間よりもわたくし自身だ。自分がこんなに執念深い人間だとは、とても思われないからである。その小説の長短には関係がない。執筆や手直しの時間は当然長編の方が多いが、構想となるとそうでもない。考えがまとまらなければ、書き出せないのは同じ事だから。
 それと考え云々前に、その小説の登場人物の姿が見えてこなければならない。その中心場面の情景が見えてこなければならない。できれば人物の声が聞こえ、情景が匂ってきてほしい。因みに登場人物が過去のわたくしなら、過去のわたくしの姿や声が蘇ってこなければ、書き出さないし書き出せない。
 短編『雁木坂』には丸々三十年かかった。それでもこの程度かと問われれば黙って肯く他はない。蘇るのが遅いのは、感性が鈍くなっているのではないか。そんな自省もないではないが、己のことながらどうしようもない。
 雁木坂を上り下りして三年経ったときに、構想が芽生えた。蕾になり花になるまで上り下りし続けた。単純計算をしても三十年間で一万回は上り下りしたことになる。それでようやく三十枚足らずの短編では情けないが、実はほぼ同時に長編の中心場面でも雁木坂を書いている。
 唐津新聞に十カ月に亘って連載した『愚家族』(おろかぞく)がそれである。こちらの方は構想およそ十年で執筆を続けることができた。
 主人公佐田京平は、新興暴力団の組長である義兄を撃ち殺した組織暴力団の鉄砲玉と、雁木坂で対峙する。佐田は仕込みの剣を手にし、鉄砲玉は短銃を構えている。前者は雁木坂の下段に位置し、後者は上段から見下ろしている。月の出てない深夜で風もなく人通りもない。街灯の明かりだけで各々相手の動きに眼を凝らす。鉄砲玉の短銃が佐田の左耳を弾き飛ばし、ほぼ同時に佐田の剣が鉄砲玉の右手を切り落とす。
 尤も『愚家族』は、ハードボイルド小説ではなく、あくまでも家族小説に他ならない。そしてこの場面は、(信じる者はほとんどいないだろうが)単純な空想話ではなく、作者の実体験が基になっている。小説の裏の事実というものはそういうもので、少なくともわたくしはそうだ。
 『雁木坂』でも、読者または評者から聞かれたものだ。「これは私小説ですか」と。『私小説私論』を発表している(単行本『私の文芸論』所収)わたくしは、私小説に関してはもう語りたくはない。純粋なる小説という云い方があるとしたなら、それはある意味総てが私小説であって、ある意味一般に云われる私小説というものではない。あえて一口で云うと、純粋なる小説は虚実皮膜なのだ。だから聞き手は、私小説か否かを問うているのではなく、実体験か否かを問うているのに違いない。 それがわたくしの解釈だ。わたくしは些か偏屈にこう答える。
「おそらく信じられないでしょうが、あなたがこれは実体験だと感じた部分は想像の産物で、あなたが想像の産物だと感じた部分は実体験なのですよ」
 さらに意地悪くこう付け加える。
「体験と文章とは、本質的に全く別次元のものですがね」
 『ガープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』等の作家、現代アメリカ文学を代表する一人、ジョン・アーヴィングはわたくしより百倍も上手に、このあたりの機微を書いている。わたくしのこのごろの作風同様、小説だかエッセイだか評論だか区別のしにくい問題作『ピギー・スニードを救う話』から引用する
【これはメモワールである。だが(まともな想像力をそなえた作家から見れば)どんなメモワールにも嘘がある。なかんずく小説家の記憶などというものは細かな嘘を垂れ流すようにできていて、どうせなら実際の記憶にあるよりも好ましく書いてしまおうと想像力を働かせるのが小説家なのだ。しかるべく書かれた細部が現実と合致していることのほうがめずらしい。もう少しで現実になったかもしれないこと、なるべきだったことにこそ、真実は宿るものである。私の人生の半分は改訂作業に明け暮れる。そのまた半分以上は小さい変更にかまけている。作家であるということは、見えるものへの細心の観察力と、見逃した真実へのやはり細心の想像力が、ごり押しにでも合体していることである。そうなったら、あとはもう頑固一徹に言葉を鍛えるしかない。私の場合でいうなら、何度でも文章を書き直し、自然な会話と同じくらい自然に響かせることである。】(小川高義・訳)
 『雁木坂』が「第二十一回信州文学賞」に決まり、その授賞式に参会するため松本まで行った。松本は亡き母の生地であり、母は松本城の家老の血縁であった。そして『雁木坂』は母のことを中心に書いた短編であった。何か縁らしきものを感じつつ感無量だった松本での一泊を冷ますつもりもあって、帰りに雁木坂に寄った。具体的には授賞式が平成二十二年六月二十日だったから、その翌日の二十一日夕刻である。
 神谷町で降り、『雁木坂』で書いた「旨い蕎麦屋」にまず寄った。けれども蕎麦屋はすでに立ち退いていて、代わりに若い人向けの美容室があった。茶髪や逆毛のポスターが貼ってあった。わたくしが最後に蕎麦を食ったときに、その蕎麦屋の主人が、常連客であるわたくしの顔を眺めつつ、「近くの大手が移っちゃうので、うちはもうやっていけないかもしれません」と嘆いていたのを想いだした。わたくしはその「大手」の寄生虫とも云うべき小さな会社の社員で、「大手」の引っ越し先に一緒に引っ越すのであった。
 わたくしは余計な注文が多いから、この蕎麦屋としては招かれざる客だったかもしれない。例えばこの蕎麦屋は天ザルを頼むと、タレと天つゆが併用なのである。わたくしは汁に油が浮くのを好まないから、タレと天つゆを別々にしてくれと頼む。それから食べ終わると必ずそば湯が出てくるが、わたくしはそば湯の匂いが厭だから下げてくれと頼む。それから決して日本茶を出してくれない。わたくしは蕎麦を食いながら日本茶を飲むのが好きなので、無いなら買ってきてくれと頼む。こういうことは常連客のわたくしでも、毎回頼まないとやってくれない。しかも首を傾げつつやってくれるのである。きっと何かこだわりがあるのだろうが、わたくしの方にだってこだわりがある。それでもこの蕎麦屋の蕎麦が、雁木坂と同じくらい好きなのだった。
 七年ぶりの雁木坂は、我が雁木坂とは些か異なっていた。左右の樹樹がずいぶん太くなっていて、小さな森の中の小さな坂という印象であった。季節のせいかもしれないし、わたくしの感情のせいかもしれない。下から念のため段を数えながら上ると、中途に踊り場がある。その踊り場の左は極めて細い路地になっている。一万回上り下りしたと豪語した割に、なんたる無頓着であったことか。しかも『雁木坂』では「三十三段」と書いたのだが、踊り場まで十五段、そこから上まで二十三、五段の、計三十八、五段ある。最後の零、五段は、段の高さが半分しかないという意味で、わたくしの小説と違って、最初から計算して作られた坂とは思われなかった。
 雁木坂を登りきったときに、もう一つ短篇を書かねばと思いついた。構想も何もない。こんなことは初めてだが、間違いを認めるためにも書かねばならない。タイトルは『雁木坂追補』に即決した。
 『雁木坂』が掲載された雑誌を最上段に置き、そこに腰を下ろした。足は二段下まで伸ばした。その場所で感傷に耽ったわけではない。ただ疲れていただけだ。それも大袈裟な疲れではなく、単なる足腰の疲れである。まったく、文学性からはほど遠い、年齢的な衰えである。
 二十分や三十分は座っていただろう。やや足腰が楽になってきて、そろそろ立ち上がろうかと思ったとき、下から一人の少女が上ってくるのに気づいた。一目で障害のある少女だと解った。左足を引きづり、その足を押さえる左手も裏返しになっている。下を向いているが、淡いピンクの小さなドレスから察して、コスプレ・オタクでなければ、おそらく十歳前後だろう。踊り場まで来た少女が右手で額の汗を拭ったとき、白く細く頼りなげな表情を初めて見ることができた。昔どこかで会ったことのある気がした。五十年前のわたくしの少年時代と考えるのが妥当だろうが、もしかすると四十年前かもしれない。その頃わたくしは大学生で、家庭教師をやったり学習塾の講師をやったりしていた。教え子はたまたま十歳前後の女の子が多かった。その教え子の一人に似ているのかもしれないし、これが幻影なら教え子の一人そのものかもしれない。
 少女はわたくしの前まで上ってくると、つと立ち止まり、不意に言葉を発した。不意にというのは、障害があるので立ち止まるのはともかくとしても、わたくしには少女が声を出すとはまったく予測していなかったからである。少女がわたくしの横を無言でもしくは吐息とともに上り切り、そのまま姿を消すのが、わたくしにとってもあるいは他に通行人がいたならその人たちにとっても、自然のなりゆきだったからである。しかもその言葉がわたくしをかなりうろたえさせた。
「待ったかしら」
 少女はたしかにそう云った。わたくしにそう声をかけてきたのだ。
「それって僕のことですかい」
 我ながら妙な受け答えだが、そんな言葉が普通に出た。
「お兄さんいがいに、どなたがいるのかしら」
 まわりをみまわしたが、なるほどわたくししかいない。それにしてもおしゃまな口調でまいる。
「つまり君は僕に声をかけたわけですね。とはいえ僕はおじさんかおじいさんであって、お兄さんではありませんよ」
 お兄さんと云ってくれるのは盛り場の女しかいない。
「そんなことは関係のないことですわ」
 少女は少し頬をふくらませた。白い頬がところどころ薔薇色に染まった。そのせいかわたくしは弁解口調になった。
「僕は実は疲れて座っていたのであって、君や君ほどは可愛くない女の人を、こんなところで待ち伏せていたわけでもないのですよ」
「でも何かを、誰かを、待っていた雰囲気ですわ」
「ぜったい考えすぎです。いやぜったいとは失礼でしょうか。ほとんど考えすぎですな」
「それなら考えなければいいのですね」
 と呟きつつ少女はわたくしの右隣に座った。長い髪が地面に届きそうだった。雑誌を譲ってあげる時間もなかった。たまたま人が通りかかると、邪魔になるのをおそれたためか、わたくしに一層寄り添った。知らない植物のよい香りがした。
(プリクラじゃあるまいし)と思ったが、そうは云わなかった。
「この接近はよいことでしょうかねえ」
「少なくとも自意識過剰になることではありませんわ。それともこんなからだだから、敬して遠ざけるの対象なのかしら」
 わたくしはまた言い訳をするしかなかった。
「君のからだのことよりも、君のことばに困惑してるわけですよ」
「ことばなんか愚の骨頂だと思いませんか」
「そんなもんですかね。その愚の骨頂を僕は僕の命の次に大切にしているんですが」
 このでまかせの台詞に、涼しげな眉と睫を揺らせて少女は嗤った。女教師に嗤われている気分になった。
「お兄さんはちっとも命なんか大切にしていませんわ。そんなことが見破れなくてここに座ってはいません。お兄さんには命より大事なものがあると、そう見えますわ」
「それは知らんかったですな。知らぬが仏」
「その仏が大事なのかしら。くだらないったらありませんわ」
 この少女に云われると、憎らしい気がしない。
「そのとおり。お兄さんの人生はくだらない六十三年間ですぞ」
 云ってみて気が付いた。母が自殺した歳に、ようやく到着したのだ。
「おかしいわ。お兄さんなんて自分でおっしゃってる」
「君の存在くらいおかしいですな。だからおじさんと呼んでください」 自分が話しかけられることが、もう不思議でも何でもなくなっている。
「呼びませんわ。呼んだら、花とおじさんみたいでいやらしいもの」
「君は充分花だし、ぼくは充分おじさんですよ」
 少女の名前を聞きたくなった。しかし花でいいじゃないかと思い直した。
「ひらさん、よしみつさん」
 少女が限りない優しさでわたくしを包んだ。何という声であろう。しかしそんなことに感心はしていられない。どうしてわたくしの名前を、しかも無名の作家の筆名を知っているのだ。これはもしかして美人局とか少女売春とか、あれとかこれとか。
 あり得ない。しかしわたくしが想像の産物だと感じた部分は実体験なのだ。自分でそう云っているではないか。
「あなた、つらいのでしょう」
 どうしてこんなに優しいのか解らない。冷たいほうがおそらく落ち着く。なにか裏でもなければ辻褄が合わない。
「つらいだなんて、そんなことが一度もなかったのが僕の人生ですよ」
「そうかしら。強がらなくてもいいのに」
「あんがいこれで鈍感ですぜ」
「鈍感のどん底なのね」
「意味が解りませんな」
「解らないのは意味だけなのかしら」
「いいことを聞いてくれましたな。君の正体も解らんです」
「解ったらどうするおつもり。お注射でもするの」
 色も形も申し分のない唇を歪めて、少女はまた嗤う。こんどは看護婦に嗤われている気分になった。冷静のつもりのわたくしは、さらに冷静になる努力をしつつ考えた。
 今まで「つらい」なんて思ったことがないというのは嘘ではない。けれども端から見ればつらそうに見えるのだろうか。そうだとしたならまさに不徳のいたすところだ。
「いやいや。どうせ僕にも僕のことが解らないんですから」
「あら、解っているくせに。血の涙」
「夕焼けでも映っているんでしょう」
 わたくしは目をこすった。少女はまた云った。
「血の涙」
「なんだか古くさいや。それに血の涙なんか出るわけがない」
 云ってみてから想い出した。二十一歳のときに眼から血が出た。或る医者は結核性結膜炎と云い、或る医者は出血性トラホームと云い、或る医者は原因不明の奇病だと云った。
 あれを血の涙と云うのだろうか。けれども辛いから血の涙が出たわけではない。血の涙が出たから辛かったのだ。
「やはり、血の涙が出たのね」
 そんなことは云わない。云わないのにどうして解るのだ。
「正直に云いますぜ。若いときはたしかに辛かったかもしれない。でもいまの僕には、辛いなんて感覚は針の先ほどもありはしませんね」
「作家にしてはずいぶん平凡な喩えですこと」
「そんならこう云いましょう。辛いなんて唐辛子ほども辛くはない」
「そんなに歳をとってらして、辛くはないだなんて」
 少女は上目遣いで嗤う。こんどはなぜだか娼婦に嗤われている気分になった。耳を塞ぎたくなる。
「あなた、耳を塞いでは駄目」
 それから少女は幽かな声で唄い出した。

 

 かわる
 かわる
 かわり玉
 白から赤に
 赤から青に
 それから黄色
 だんだんどんどん
 ちいさくなって
 さいごはなあに
 なんでしょね
 かかさん云った
 人生の滓
 ととさん云った
 まるで芥子粒

 

 唄い終えて少女はわたくしの目、もしくはわたくしの目尻の皺を見つめながら、
「お兄さんは、人生の滓」
 云ってしまって三センチくらい舌を出した。食べたくなる舌だった。「それは残酷な喩えですねえ」
「歳をとるというのは残酷なものですわ」
 少女はドレスのポケットから白い玉を取り出した。小さな掌の上のさらに小さな白い玉は、貝の中の真珠を思わせた。かわり玉の唄の後でなければ、そう勘違いしただろう。
「もしやかわり玉じゃないですか。いまどきあまり見ないなあ」
「どうぞ、おなめ」
 命令されて、わたくしは口に含んだ。おそらく五十年ぶりだ。懐かしい味がする。
 このとき何か感じるところがあって、失礼と思いつつも、黄昏のなかで少女の不虞の手足を凝視した。
 目を背けたいほどのケロイドであった。
(もしかして君は、お兄さんが生まれる前のお姉さんですか)
 わたくしは昭和二十一年生まれで、姉は十歳年上であった。姉はわたくしが生まれた年に原爆症で死んだ。自殺したという噂もあるが、詳しいことは解らない。わたくしは横須賀で生まれたが、姉は長崎にいた。
 姉のことは、わたくしが十歳になったときに初めて、何とはなしに聞いた。五十年以上前の事だ。幻聴ではないかと問われても、返答のしようもない。わたくしは自分の処女作である、『姉の海』という小説を想い起こそうとしていた。それも四十五年前に書いたものだ。何をどう書いたのか、よく想い出せない。
 わたくしが問いを発するのを戸惑っていると、何の前ぶれもなく少女が立ち上がった。すぐにわたくしの向かいに位置を移した。三段ほど下がったので、少女の顔と向き合う形となった。
 ルノワールの絵の美少女を連想した。だがこの絵は微笑んだ。微笑んだまま勢いよく後ろに飛んだ。丁度、背泳ぎのスタートのやりかただ。
 少女のからだは踊り場で一度大きく弾んだ。(一瞬わたくしは少女が曲芸師であることを祈った)
 それから階段の下で蟠った。少女が立ち上がってから落ちるまで、この間十秒も経ってはいない。わたくしは息を呑んだまま、しばし凍り付いていた。少女の頭付近から血液がアメーバ状に広がっていくのが見えた。
 ケイタイで救急車を呼んだ。わたくしが突き落としたと疑われないとも限らないと、こまかくわけも話した。
 藪蛇だったのか、救急車と同時にパトカーもやってきた。サイレンの音に合わせて、わたくしは階段を降りていった。
「それで、落ちた女の子はどこですか」
 救急隊員が辺りを見回しながら聞いた。
「あなたの足下の、ほれそこですよ」
 とわたくしは答えたが、ほれそこには誰もいなかった。血潮も見られなかった。わたくしは自分の後頭部を三度拳で叩いた。そんなことをしても、ついさっきあったものがいまはなかった。
「冗談は困りますね。罪になりますよ」
 警察官が額の脂汗を拭いながら云った。冗談じゃないとわたくしは云いたかった。冗談でなければ夢を見ていたのか。それとも少女は(わたくしの信じていないはずの)幽霊なのか。
「いやはやどうも。たいへん失敬なことを」云々と言い訳をしている最中に、わたくしの口中から何かが飛び出した。
 少女にもらったかわり玉だった。いまは赤くなっている。まだ芥子粒にはなっていない。わたくしは豁然とし、声にならない声を放った。
 わたくしは救急隊員と警察官に深々と頭を下げてから、再び雁木坂を一歩一歩登っていった。
 

     

構想」49号より転載

 

 

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