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 作品No,44       構想」No,46(2009/6/20発行)より転載

 

 『幼心の記』(「構想」46号)は、〈追憶、イギリス海岸〉、〈思い出の花巻、注文の多い料理店〉、〈追悼「可哀想な姉」〉の三つの小品から成る、(作者の得意とする)メタフィクションである。
 けれどもこの小説にはそういう分類を超えて伝わってくる、郷愁に似たしみじみとしたものがある。それはまさしく文学の香りであり、享受する読者の至福である。 読後不覚にも涙ぐんだのはわたくしばかりではあるまい。最近益々文章に磨きがかかってきている、畠山文学の代表的短編である。ぜひこの機会にご一読をお勧めしたい。
 加えてもう一言。(同人雑誌に発表した小説の多さでは他の追随をゆるさない)畠山拓の小説から漂ってくるものは、一貫している。それは「書くことの愉しさ」というものである。

推薦 陽羅義光(「構想」「小説と詩と評論」)

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      2010年・第6回森田雄蔵賞受賞作

 

幼心の記

                         畠山 拓

 

 

      一、追憶、イギリス海岸
                             
 愛された記憶は甘いが、愛した記憶は苦い。
 私は十三歳で恋をしていた。
 画家のマックス・エルンストが少年の頃から好きだ。画家のコラージュ作品、「両眼のない眼、百頭女は秘密を守る」を何気なく、眺めていた。
 突然、幼い日の恋を思い出した。
 コラージュ作品には、海や卵や水母。裸体の男と天使。馬と紳士と子供と女。虹やベッドや鳥、が組み合わされている。コラージュ作品から思い出を想起させるものは見当たらない。
 私の故郷は岩手県の花巻市だ。少年のころ、花巻の中学に通っていた。
 宮澤賢治の作品に「イギリス海岸」がある。北上川の一部の川岸が、現在、イギリス海岸、と呼ばれる理由である。
 「夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処がありました。
 それは本たうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上川の西岸でした」・・「イギリス海岸には、青白い凝灰質の泥岩が、川に沿ってずゐぶん広く露出し、その南のはじに立ちますと、北のはづれに居る人は、小指の先よりもっと小さく見えました。
 殊にその泥岩層は、川の水の増すたんび、奇麗に洗はれるものですから、何とも云へず青白くさっぱりしてゐました。」「イギリス海岸」
 青白く光り、広がる岩畳に私の「愛人」は骸となって横たわっていた。
 水にはほとんど浸かっていなかったけれど、全身、びっしょりと濡れていた。白いブラウスもグレーのスカートも体に張り付いていた。そのためか、房子は細く小さく見えた。濡れた髪の毛が張りついた命が消えた顔を見た。
 死に顔からは居丈高で、愛撫するような房子独特の表情は消えていた。
「そこにいてはだめだ。向こうに行っていろ」と、誰かが言ったようだったが、私はどく筈もなかった。房子は私のものだった。
 暫くすると、制服の警官が駆け付けた。写真を撮ったりするのが腹立たしかった。写真が欲しいとも思った。
 私は房子に付きまとった。司法解剖されるらしい房子を病院まで追った。私は房子に近づけなかった。誰も私に気をかける者はいなかった。私は犬や影になって、房子を追った。
 葬儀には両親も列席していたが、私はふたりとは離れていた。
「房子の部屋に入ってもいいですか」
「何かあるのかい」
「貸してあるものが、あります」
「それなら、探してごらん」
「そうします」
「ひとりで、出来るね」
 房子の祖母は部屋に入るのを許してくれた。私は二階の房子の部屋に行った。房子の部屋に入るのは二度目だった。
 部屋に入ってどうしようとも考えていなかった。ベッドと学習机があった。窓のカーテンは花柄だった。縫いぐるみの熊があり、ラジオがあった。壁には房子が描いた画が張ってあった。宮沢賢治の本があった。太宰治の本があった。「グットバイ」「女学生」「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」 
 壁には画のほかに写真が貼ってあった。かなり大きい。画用紙程もある。北上川の川岸を写したものだ。白い川床と水のながれしか写っていない、寂しいほどのものだ。カメラのレンズは水の微妙なさざめきを見詰めている。
「どうしてもその白い泥岩層をイギリス海岸と呼びたかったのです。
 それに実際そこを海岸と呼ぶことは、無法なことではなかったのです。なぜならそこは第三紀と呼ばれる地質時代の終り頃、たしかにたびたび海の渚だったからでした。その証拠には、第一にその泥岩は、東の北上山地のへりから、西の中央分水嶺の麓まで、一枚の板のやうになってずうっとひろがって居ました。」「イギリス海岸」
 房子に何を貸したというのではない。私は嘘を言ったのだ。房子の傍にいたかっただけだ。見えない房子が居るような気がした。私は房子のベッドに腰をおろした。ベッドは片づけられておらず、夜具はそのままだった。
 私はベッドに寝転んだ。布団の中にもぐりこんだ。房子の匂いはしなかった。家中に線香のにおいが充満していたためだろうか。私は布団を頭からかぶった。  
 私は房子になっていた。透明な房子と私が重なり、混じり合っている。私は自分が死んだ房子だと感じた。急に下半身がうずき出し、性器が硬直した。
 何故、遠い昔を思い出したのか。 
 眼は網膜、水晶体、毛様筋などで出来上がっている、という。目は徐々に進化してきた。恐らくは光を感じる神経が体の表面の一部に集まった。次にその部分が陥没して、光の方向を感知できるようになった。角膜が出来、水晶体が出来、物の像をとらえることができるようになった。
 記憶をとらえるシステムはどのようなものだろうか、と私は考える。
 農学や地質学に詳しい、宮澤賢治の作品「イギリス海岸」には、北上川の大地が古代は海であった事が記されている。海が隆起して大地が出来、川が流れていると語られている。
「北上山地のへりの赤砂利から、牡蠣や何か、(ハンカン)のところにでなければ住まない介殻の化石が出ました。」・・「こゝを海岸と名をつけたってどうしていけないといはれませうか。それにも一つこゝを海岸と考へていゝわけは、ごくわづかですけれども、川の水が丁度大きな湖の岸のやうに、寄せたり退いたりしたのです。」
 科学者らしい理屈つけと、詩人らしい感性が言わせた言葉であろう。
 宮沢房子と初めて会った時を今でも思い出す事が出来る。
「こいつを頼むよ」
 父が私を房子に引き合わせた。少し照れた顔をしていた。
「はい。・・」と、言って房子は私を強く見詰めた。
 子供の私は小児ぜんそくで、虚弱だった。
 小学校には数えるほどしか行っていない。どうにか、中学に進学できた。父は教え子の女子大生を家庭教師に雇った。家に集まってくる学生の一人が、青白い子供を見て、申し出たのだ。
 大学一年の宮沢房子は週に一二度、家に現れた。父は岩手大学教育学部の教授だった。父の教え子は将来教育者になる学生たちである。
 私は人嫌いな子供だった。兄弟も居なかったし、母以外愛情を感じる人間はいなかった。父の発案は迷惑なことだ。父と母が相談して決めたのだろ。
 房子は熱心に勉強を教えてくれた。私は本が好きな少年だったから、体育以外は成績が良かった。房子も読書が好きらしくカバンに何時も何冊かの本が入っていた。ツルゲーネフの「初恋」を読んだのも、房子から教えてもらったからだ。読んだけれど、あまり面白いとは思わなかった。今、思えば、房子は告白していたのかもしれない。
「初恋」は少年が恋した女が、少年の父の愛人だった、という物語なのだから。
「ごめんなさい。もう来られない」
「何故なんだ」
「家を出るの。大学も辞める」
「父さんは知っているの」
 父さんとは、父の事だった。教え子が、大学を辞め、家を離れる事を父は許したのだろうか。承知したのだろうか。
「先生には話したわ。叱られた」
「駄目だよ。俺は嫌だ」
「拓ちゃん。先生にそっくり」
 宮沢房子は泣き出した。泣くのは嫌だった。泣く理由が分からないし、母親も泣かなかったから、泣く女を見たことはなかった。
 私は宮沢房子が私の「愛人」だと信じていたし、愛されていると感じていた。失うことなど出来る筈もなかったから、房子の言葉に怒りを感じた。
 最初は嘘だと思った。房子は時々私をからかう。傲慢で、無慈悲で、興奮し我を忘れて、愛らしく、悪魔でもからかう風に、房子は振る舞う事がある。
 私は勿論房子の態度は私への贈り物だと信じている。
 お父さん、そっくりね、と房子に言われたのは初めてではない。
 私は宮沢房子の「肉体」にとても興味があった。午年の私は馬が好きだった。馬の馬体、姿は美しく、神秘的なものだと感じていた。女の肉体も美しく、房子の肉体は私を興奮させた。房子の裸体を始終想像した。私は勃起し、性射した。
 私は虚弱だったことを、祖父は心配し、滋養のある食材を手に入れてきた。生の馬肉だったり、蝸牛だったりした。現在の日本だったらフレンチのひと皿として喜ばれるかもしれない。蝸牛を食べる習慣は、当時は無かったろう。祖父が手に入れた蝸牛が木製のたらいの中にうようよとしていた。母は蝸牛を生のままで私に飲ませた。串焼きにして食わせた。
 今ではエスカルゴ料理は好きだ。
『「あゝ、いゝな。」私どもは一度に叫びました。誰だって夏海岸へ遊びに行きたいと思はない人があるでせうか。殊にも行けたら、そしてさらはれて紡績工場などへ売られてあんまりひどい目にあはないなら、フランスかイギリスか、さう云ふ遠い所へ行きたいと誰も思ふのです。』
「何処へ行くの。花巻から遠いの」
「まだ分からない。どこに行くかは」
「如何して、遠くへ」
「遠くへ行きたいの」
 そう言いながらも、房子は相変わらず、私の家に通ってきた。家に父は居たのだろうか。いつも居なかったように思う。
 房子は鞄から何かを取り出すらしかった。また、外国の本かと思った。ツルゲーネフの「初恋」の感想を上手く言えなくて、私は何となくひがんでいた。今日は本を借りなくてもいいと言おうと考えた。
 房子が取り出したのは世界文学ではなくカメラだった。私はカメラの知識はない。小型で黒光りして、レンズが本体に比べ大きい。丸みがあり、金属の眼玉を思わせた。
 房子のカメラは私を写すためだった。私は房子の写真が欲しいと思った。私を写して良いから、房子も写させろ、とせがんだ。
 房子は「ちょっと、こんな感じがいいかな」と、言いながら、ブラウスのボタンを幾つか外した。房子の首筋から胸の一部が現れ、美しかった。
 嘲るような、挑むような、怯えたような房子の表情を今でも思い出せる。
 それなのに、写真を房子から貰った記憶はない。自分の写真を房子は私にくれなかったのかもしれない。私は催促したのだろうか。それとも、言いだせなかったのだろうか。
 私と房子は時には、一緒に外出した。天気の良い暖かい日などには、房子は私を散歩に誘った。私の健康を気遣ってくれたのかもしれない。
 私と房子は北上川の岸辺、イギリス海岸を散歩した。
 房子は歌を口ずさんでいた。私の年代では誰もが知っている「北上川」の歌。
 白い平らな川床の岩のところどころにくぼみが出来ている。
「私たちは泥岩層の上をあちこちあるきました。所々に壷穴の痕があって、その中には小さな円い砂利が入ってゐました。
この砂利がこの壺穴を掘るのです。水がこの上を流れるでせう、石が水の底でザラザラ動くでせう。まはったりもするでせう、だんだん岩が穿れて行くのです。」「イギリス海岸」
 岩に穿たれた目は次第に深く大きくなっていくのだ。ついに、本当に目玉になることがあるかもしれない。壷穴の目は記憶の遠くから、こちらを見詰めているかもしれない。
 イギリス海岸の岸辺の遠い風景を思い出す。
 鮮やかに思い出せる。明るい日差しに浮かび上がった、青白い川床。川岸に横たわった房子の骸。
 あれから、半世紀も経っている。父も死んだ。
 思いついて、探してみると、文庫本が出てきた。
「初恋」ツルゲーネフ、神西清訳、新潮文庫。
「父はいきなり、今まで長上着の裾の埃を払っていた鞭を、さっと振り上げたかと思うと、肘までむき出しになっていたあの白い腕を、ぴしりと打ち据える音がしたのである。私は思わず叫び声をあげようとして、あやうく自分をおさえた。ジナイーダは、ぴくりと体を震わしたが、無言のままちらりと父を見ると、その腕をゆっくり口にあてがって、一筋真っ赤になった鞭の後に接吻した」
 房子の自殺は、父と何の関係もない事だった。父は房子のゼミの教授だったにしても、学生のひとりの死に責任はないだろう。ましてや父と房子が何らかの関係があったとは思えない。
 一方では、教え子の死を防げなかった、父に何の責任もなかったと言いきれるだろうか、とも思う。
 父と房子の関係は万一にも、ツルゲーネフの「初恋」ではないのだ。言いきれる根拠は何もない。ふたりには何も無かった、と思うしかない。房子の自殺の原因は私にはこれからも分からないのだ。房子も父も死んでしまっている。
 ぼんやりとして、「イギリス海岸」と呟いていた。房子の墓は花巻にある。墓参りをしようかと思い付く。イギリス海岸にも行ってみよう。五十年間も、忘れていたのだ。謝って、線香をあげてこよう。
 白百合の花を墓前にたむけよう。百合の花の一輪は、イギリス海岸に立ち、北上川に流そう。
                          
      二、思い出の花巻、注文の多い料理店
                               
 私が子供のころ父は仕事の関係で家にいないことが多かった。私は祖父に可愛がられた。祖父は現在の私ほどの年であった。
 祖父の趣味のひとつは猟だった。私はまだ幼すぎて、祖父の猟には付いていけなかった。
「もっ、すこし、大っきくなったら、連れてぐ」と、祖父は言った。  
 何時になったらその日が来るものか。猟犬の「クマ」と深い雪を蹴散らして、獲物の鹿を追う、自分の雄姿を想像し、私は興奮した。
 家の暗い大きな座敷の梁には、鹿や狐の剥製が飾られていた。硝子玉の眼玉を入れられた、獣たちは生き生きとしていた。再び、雪の原野に解放されるのを、じっと待ち望んでいる。
 岩手県、花巻市が私の故郷である。数十年ぶりに花巻の駅に立った。金属のオブジェの風車には驚いた。駅前はすっかり変貌していた。変貌していたが、駅前旅館の看板の屋号は中学の同級生のものだった。
 全国、何処でも縁の有名な文化人を観光に利用する。花巻市は宮澤賢治である。
 私も子供のころは賢治の童話を読んでいる。宮澤賢治は日本で最も研究されている人物の一人だ。文学者であり、宗教家であり、科学者でもあった。
 賢治の物語「注文の多い料理店」は子供の頃、好きだった。
『二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云いながら、あるいておりました。
「ぜんたい、ここらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ。」
「鹿の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞いもうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒れるだろうねえ。」』「注文の多い料理店」「新潮文庫」
 祖父には弟がいた。兄の祖父は体格がよく格闘家のように逞しかった。弟は背が高く色白だった。弟も国鉄の工場で機関車を造っていたから、身体は頑丈だったろう。
 弟は狩りが嫌いなのだった。「俺は殺生が嫌りぇだ」と、言っていた。兄弟は仲が悪かったのか。良かったのか、子供の私には解らなかった。
 童話は残酷な記述が多いものだ。祖父の弟だったら、物語の「紳士」の言葉に怒っただろう。
 講談社新書、「グリム童話」鈴木晶、に紹介されていた物語には残酷極まりないものがある。物語の要旨はこうだ。
・・・子供達の前で父親は豚を屠畜した。兄弟の兄は弟に「おまえは豚になれ、おれは屠畜人になる」。遊びだった。でも兄は本当にナイフを弟の首につきたて、殺してしまった。それを知った母親は兄の心臓をつき刺し殺した。その間に、母親が行水させていた赤ん坊はおぼれ死んだ。母親は悲しみ、絶望して首つり自殺した。夫はそれを発見して気がくるって死んだ。・・・
 物語は最初の「グリム童話集」には収録されていた、と筆者は教えている。
 残酷さとナンセンスは童話には付きものなのだろう。「注文の多い料理店」も料理を食べにレストランに入った客が、料理の材料にされ、食われてしまいそうになる、という話なのだから。ブラックユーモアの典型である。
「帽子っこ被れ」
「何処さ、行ぐの」
 寒い日だった。晩秋である。祖父は私を誘った。ふたりはしっかりと身支度をして出かけた。
 祖父はどこに行くとも、言わなかった。私は何処か分からないけれど、特別な所に行くような気がしていた。汽車に乗り、私の知らない駅で降りた。しばらく歩くと、川があり、橋を渡った。川は北上川だろう。
 水の流れを見ながら、土手の道をしばらく行くと、目的の場所らしかった。洋館風の木造の二階建ての家だった。
 玄関のドアにはステンドガラスがはめ込まれていた。店なのだろうか。看板は見当たらない。普通の家には見えない。紅葉した庭木の高い梢から、落葉がしきりに降った。
『風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
「どうも腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ。」
「ぼくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」
「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」
「食べたいもんだなあ」
 二人の紳士は、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを云いました。
 その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。
 そして玄関には
RESTAURANT
西洋料理店
WILDCAT HOUSE
山猫軒
という札がでていました。』「注文の多い料理店」
 私は宮澤賢治の童話を思い出していた。あの物語では「山猫軒」と看板が出ている。なんだか嫌な予感がしたが、祖父と一緒なのだ。心配する必要は何もない、と思いなおした。
 建物はやはり、料理店らしかった。入ると、幾つかのテーブルが目に入った。木製のがっしりしたテーブルと椅子である。部屋の中央には火が入っている薪ストーブがあった。部屋の中は温かい。誰もいない様子だ。
 祖父は外套を脱ぐと、戸口の外套掛けに掛けた。座って待っていろ、と私に言うと、奥に姿を消した。祖父は家の様子を全て知っているのだ。
 ストーブの火が小さく爆ぜた。私は大きな木製の椅子に腰を下ろし、部屋を見回して、待った。
 暫くして、祖父と見知らぬ女の人が二階から降りてきた。女の人の歳は私の母と同じぐらいか。綺麗で色白な人だった。
 女の人はズボンとセーターにエプロンをしていた。今まで厨房に入っていたのかもしれない。
「はじめまして」と、僕は祖父に紹介されて、頭を下げた。普段、言いなれていない、言葉だったので、少し得意な気がした。女の人は私に良い感じをもった、と思った。
 女の人は私を二階に招いた。一階とは違っていた。二階は普通の住居らしい。カーテンや壁も温かく、ソファーやテーブルも柔らかい感じがした。映画で見る北欧の家の居間を思わせる。
「お腹がすいたでしょう」と、女の人は言った。
 私はすぐに気がついていたが、女の人の言葉には花巻の訛りがない。都会の人なのだと感じた。ラジオのアナウンサーの言葉と同じだった。
 祖父は私の名前を女の人に言っていたが、女の人の名は言わなかった。祖父との関係も言わなかった。子供の私には必要ないと思っているのだ。
 『二人は戸を押して、なかへ入りました。そこはすぐ廊下になっていました。その硝子戸の裏側には、金文字でこうなっていました。
「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」
 二人は大歓迎というので、もう大よろこびです。
「君、ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。」
「ぼくらは両方兼ねてるから」
 ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗りの扉がありました。』「注文の多い料理店」
 女の人の料理は美味しかった。今まで食べた事もない料理だった。真っ白な皿に盛られ、銀のスプーンとナイフとホークで食べた。私は料理が「ビーフシチュウ」であることを知らなかった。キュウリやトマトが刻み込まれた彩り鮮やかに盛り付けられたサラダさえ、珍しかった。クロワッサンを食べたのも初めてだった。
 美味しさが口に広がる。私の心には謎が広がっていた。女の人と祖父がとても親しいらしいことは解った。親戚の誰かなのだろうか。祖父は普段より無口なのだ。女の人もあまり口を利かない。優しそうであり、祖父の一寸した世話をする様子は感じが良い。私の母などより細やかである。
 穏やかで、寛いで、親密な中に、微かな緊張感も流れている。雰囲気は容易に理解できないものだった。現在なら想像がつく。
『そしてそのわきに鏡がかかって、その下には長い柄のついたブラシが置いてあったのです。
 扉には赤い字で、
「お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それからはきもの
 の泥を落してください。」
と書いてありました。
「これはどうも尤もだ。僕もさっき玄関で、山のなかだとおもって見くびったんだよ」
「作法の厳しい家だ。きっとよほど偉い人たちが、たびたび来るんだ。」
 そこで二人は、きれいに髪をけずって、靴の泥を落しました。
 そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否や、そいつがぼうっとかすんで無くなって、風がどうっと室の中に入ってきました。』「注文の多い料理店」
 美味しい料理を食べながらも、私にはもうひとつ気がかりなことがあった。祖父と私は夕方に来たのだ。秋の夕暮れは早い。外は暗くなっている。隣家の明かりは見えない。土手の向こうに河の流れている気配がする。夜の北上川だ。
川面は闇の底で微かに光っているだろう。
 居心地の良い部屋で、美味しい料理を食べさしてもらっている。女の人も優しく、私の面倒を見てくれる。
「拓ちゃん。葡萄ジュースを飲む」
「はい。飲む」
「いっぴゃ(沢山)、け(食え)や」
 祖父も満足そうである。私に、沢山食べなさいと勧める。私は夢中でシチュウ料理を食べた。甘い葡萄ジュースを輝くグラス(切子模様)で飲んだ。
 満足しているはずだったが、帰りの事が気になった。外出は祖父が急に言い出したので、私は母に告げずに出てきた。祖父から聞いて、母も承知している、に違いない。祖父に確認するもの憚られる。女の人がそばにいる。
 祖父は帰りを気遣うようではない。食事の後の酒を飲んでいる。見慣れない綺麗な酒瓶が出されている。祖父が手にしている小さなグラスも珍しい。
 シチュウを食べ終わると、今度はチョコレートのお菓子が出てきた。
『すこし行きますとまた扉があって、その前に硝子の壷が一つありました。扉にはこう書いてありました。
「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」
 みるとたしかに壺のなかのものは牛乳のクリームでした。
「クリームをぬれというのはどういうんだ。」
「これはね、外がひじょうに寒いだろう。部屋のなかがあんまり暖いとひびがきれるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほどえらいひとがきている。こんなとこで、案外ぼくらは、貴族とちかづきになるかも知れないよ。」
 二人は壺のクリームを、顔に塗って手に塗ってそれから靴下をぬいで足に塗りました。それでもまだ残っていましたから、それは二人ともめいめいこっそり顔へ塗るふりをしながら喰べました。』「注文の多い料理店」
 食事が終ると、女の人はテーブルを片づけた。祖父と私はストーブの傍に椅子を移し、温かいストーブと向き合った。
 祖父は黙っていた。私も黙って、ストーブから漏れる火の赤さを眺めていた。祖父は口数の多い人ではなかった。いつもより祖父の沈黙が深い。理由は分からなかった。私の気の所為かも知れなかった。
 私は知らぬ間に眠ってしまった。片づけものが終わった、女の人はストーブの前の私と祖父に加わったらしい。二階から降りた、女の人に気付かなかった。何やら話声がする。眠りの霧の中で、意味は分からない。
 気がつくと、女の人が泣いているようだ。私はびっくりしたが、恥ずかしかったので、眠ったふりをした。
 眠ったふりをするのは悪いことだ。思いなおして、目をつむったまま、うなって、伸びをした。祖父は私の頭を静かに撫でた。
「起きたのか」
「うん。眠たい」
「そっか。きゃるが(帰るか)」
 祖父と女の人が何を話していたのか。女の人が何故泣いていたのか。祖父に尋ねる事が子供の私にできるはずもなかった。
 何時までも、心に残り続けた。大人になって、私にも解ってきた。祖父と若い女は特別な関係だったのだろう。親子ほども年が離れていたけれど、恋人同士だったろう。辛い事情があって、若い女は祖父の前で泣いたのだ。
『「沢山の注文というのは、向うがこっちへ注文してるんだよ。」
「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。
「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、もうものが言えませんでした。』「注文の多い料理店」
 女の人の家を出ると夜の空から白いものが舞い落ちていた。女の人は祖父を引きとめていたが、祖父は私がいるから帰る、と言っていた。祖父が何故私を連れてきたのか、分かった気がした。
 女の人は祖父にコートを着せてあげていた。襟巻きも丁寧に巻いてあげていた。とても仲むつまじく見えた。きっと、喧嘩をしていたふたりは仲直りをしたのだろう、と思った。祖父は気まずくて、一人では来られなかったのだ。
 祖父と一緒に土手の道を歩いて、駅まで戻った。暗い夜のなかに雪が舞った。
 夜の情景を今でも思い出す。祖父の手は温かかった。
 祖父はとっくに亡くなっている。
 祖父は晩年、糖尿病の悪化により、失明し、片足を切断した。祖父は体が不自由になったことを嘆き悲しんだ。猟にも行けない。立ち上がって歩くことさえできないのだ。時々、私は見舞いに行った。祖父は昔、仕留めた大熊の敷物の上で身を揉むようにして泣いた。「早ぐ。死にディ」
 私も、祖父の歳を過ぎている。あの当時の私と同い年ほどの孫が遊びに来るのが、楽しみだ。
 宮澤賢治の童話を読んで聞かせる。孫たちは賢治の童話が好きなのだ。居間のソファーに行儀良く座って、私を待ち構えている。
「おじいちゃま、お話を読んでよ」
「お話を読んでよ」
『風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
 犬がふうとうなって戻ってきました。
 そしてうしろからは、
「旦那あ、旦那あ、」と叫ぶものがあります。
 二人は我かに元気がついて
「おおい、おおい、ここだぞ、早く来い。」と叫びました。
 蓑帽子をかぶった専門の猟師が、草をざわざわ分けてやってきました。
 そこで二人はやっと安心しました。
 そして猟師のもってきた団子をたべ、途中で十円だけ山鳥を買って東京に帰りました。
 しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。』「注文の多い料理店」
 キッチンから孫たちの母親が顔を出す。
「あなたたち、御飯よ。手を洗って、いらっしゃい」
「御飯だ。今日は何」
「わあ。僕たち食べられちゃうよ」
「何、言っているの、シチューよ」
「シチュー、大好き」
「お父様も、お疲れになったでしょう。子供達相手では」
 私は何か言って、立ち上がる。祖父と同じような仕草をしているのに気がついた。

 

      三、追悼「可哀想な姉」
                              
 二十七歳。自動車事故で亡くなった作家、渡辺温に「可哀想な姉」という作品がある。最近読み返すことになった。
 作家の陽羅義光とは一日に何度か電子メールのやり取りをしている。「あの作品を読んだことがある?いまや、あんな作品をかけるのは畠山拓ぐらいのものか」と言われた。言われ時は意外な気がした。
「可哀想な姉」は丁度、手元に置いてあったので再読した。硬質な抒情性の強い作品である。鮮やかな影絵を思わせる描写で、孤児と病と貧困の暗い内容であるが、「モダン」な感じがする。
「夕方になると、夕風の吹いている街路へ、姉は唇と頬とを真っ赤に染めて、草花の空籠を風呂敷に包んで、病み衰えた体を引きずって出かけた」。
 演出家の久世光彦は「あらゆる小説の中から、一番美しい文章を選べと言われたら、私はほとんどためらいもなくこのフレーズを挙げるだろう」「美の死」所収・「空の花籠」。ちくま文庫「短編礼賛」の編者・大川渉の解説にある。
 貧困、孤児、戦後の都市、を私は書いたことはない。
 どういう思考の働きか、私は「思考の紋章学」澁澤龍彦、河出文庫のエッセイ、「姉の力」を再読した。
 内容はほとんど忘れていたが、「山椒太夫」の物語について言及されていたはずだ、と思い至ったからだ。
 渡辺温の小説「可哀想な姉」も姉の弟に対する情愛を描いたものだ。親ではなく、まして血の繋がりもない、娘が男の子を育てる、という物語。
 神話、民話、童話、等にしばしば語られている「物語」だ。
 私は「物語」の閉鎖性が好きだ。姉と弟の、ふたりきりの世界は温かく美しい。外部の世界は冷たく過酷である。
 閉鎖された物語空間には愛やエロティズムや秘密が育つ。
 私は姉と妹の三人兄弟なので「姉の力」なるものに無関心ではない。現在まで「小説」にしたことはないが。こだわっている。息苦しさを感じて書く気がしないのだ。そろそろ勇気が必要なのだが。
 作家の陽羅義光から暗示を与えられた気がした。何か書こうと考えた。
 パソコンから離れ、立ち上がる。どんな物語を書こうかと考えながら、キッチンに向かう。コーヒーを入れるためである。執筆中はコーヒーを飲み続ける。
 私はコーヒーに砂糖を入れない。砂糖・・・。
 砂糖から姉の思い出話をする。
 実は私の記憶ではない。私の母が語った思い出話のひとつだ。幼い姉が幼い私をいかに可愛がったか。母が練り上げた、家族の神話である。
 幼い姉に留守番をさせた。
 幼児の私は姉に預けられた。「拓がぐずったら、あげなさい。こっちは、お姉ちゃんの分よ」と、母は砂糖を幼い兄弟に残して出かけた。
 戦後甘いものが枯渇していた時代だった。
 母が帰ってみると、姉の皿は手つかず。「だって、泣いたらあげようと・・」姉の美談として、母は何十年も繰り返し語った。私は母が話すたびに、くすぐったさに耐えたものだ。今も砂糖を見ると思いだすから不思議だ。
 小説「可哀想な姉」の姉は弟を養うため、街に花を売りに行くのだった。夜更けて血の気のないほど青ざめて帰ってくると、弟に食事をさせる。弟といっても血のつながりはないのだ。
 弟は姉が売っていたのは花籠の花ではなくて、姉自身だと知る。姉は「フラワーハウス」という、売春窟で体を売っていた。売春窟で男たちに食われて得た金で弟は育っていた。弟はまさに「姉を食べておおきくなった」のだ。
 弟は姉の秘密を知ると、姉を抱いている最中の客を刺し殺し、姉に客を刺し殺したナイフを握らせる。姉に殺人の罪をきせる。弟はやっと姉から解放されたと感じる。姉も売春から解放される。
 小説「可哀想な姉」の凄いところは、弟が姉を警察に売り渡す事だ。ふたつの「解放」がある。病身の姉が弟に身を食わせる事からの解放。大人になることを姉から禁じられた、弟の姉からの解放である。残酷さと救済がある。溺れかけた者が自ら這いあがる。
 私、拓は姉に三度命を救われている。
 子供のころ田舎の親戚に遊びに行った。温泉地で、渓谷沿いに温泉旅館が立っていた。私と姉は家族と一緒に温泉に来ていた。
 露天風呂に入り、ふざけ散らして、私と姉は遊んでいた。露天風呂の直ぐ間近に川の流れがある。雨上がりで水かさが増え、茶色に濁った水が盛り上がり、流れを早くしていた。
 前後の事情は覚えていないが、私は川で溺れたのだ。
 姉がとっさに助けてくれた。川岸に私の体を押しやった姉は、逆に水に流されていった。姉はどうにか自力で川から這い上がってきた。ふたりとも溺れ死ぬところだった。
 恐ろしい出来事とも、子供の私は感じなかった。子供の時代に姉と私は命を失っていたかと、今思うと恐ろしい。姉と一緒に死んだのなら、私達は離ればなれになった、と言うことか。一緒だった、ということか。
 姉は幼い私に絵本を読んでくれた。私は姉の声の調子が好きだった。
 澁澤龍彦のエッセイ、「姉の力」を読み、森鴎外の「山椒大夫」を読み返したくなった。
 子供のころ姉が読んでくれた絵本の「言葉」はほとんど覚えていないが、絵本の絵はおぼろに浮かんでくる。
 ひとつだけ覚えているフレーズがある。
「安寿、恋いしや、ほうやれほう。厨子王、恋しや、ほうやれほう」
 母親が穀物を啄む鳥を追い払う、奴隷労働をしながら歌う歌である。
 鳥を追っている女の人の絵が描かれていた、ページ。
 角が丸くなっている絵本。
 森鴎外の小説「山椒大夫」をネットで探して読んでみた。忘れ、薄れた記憶が蘇ってくる。
「姉は塩を汲み、弟は芝を刈って、一日一日と暮らして行った」「山椒大夫」
 絵本の絵が蘇ってくる。海水を大きな柄杓で汲んでいる若い女。薪を背負った少年。絵本にもそのように書かれていたろう。姉は声をあげて私に読んで聞かせたのだ。私は絵本を覗き込み、頭を姉に押し付けるものだから、姉はうるさがったに違いない。
「二人は死んでも別れぬと言った。奴頭が大夫に訴えた」
 奴隷のふたりが、決死の覚悟で、説得したのだ。姉と弟は別れない。
『「それについてお願いがございます。わたくしは弟と同じ所で為事がいたしとうございます。どうか一緒に山へやって下さるように、お取り計らいなすって下さいまし」蒼ざめた顔に紅がさして、目がかがやいている』
 姉、安寿の逃亡計画が、弟、厨子王も知らぬ間にはじまったのである。
「厨子王は姉の様子が二度目に変ったらしく見えるのに驚き、また自分になんの相談もせずにいて、突然柴苅に往きたいと言うのをも訝しがって、ただ目をみはって姉を見まもっている」。
『厨子王は黙って聞いていたが、涙が頬を伝って流れて来た。「そして、姉さん、あなたはどうしようというのです」「わたしのことは構わないで、お前一人ですることを、わたしと一緒するつもりでしておくれ。お父さまにもお目にかかり、お母あさまをも島からお連れ申した上で、わたしをたすけに来ておくれ」』
 安寿はすでに覚悟していたのだ。弟の厨子王はここでも、姉の心を分かっていない。
「あくる日に国分寺からは諸方へ人が出た。石浦に行ったものは、安寿の入水のことを聞いて来た。南の方へ行ったものは、三郎の率いた討手が田辺まで行って、引き返したことを聞いて来た」。
 姉の安寿は身をもって、弟の逃亡を成功させたのである。
 姉が私の命を救った二度目は、姉の血で、だった。
 子供の私は或る悪性の病気になり、輸血が必要になった。
 姉の血が私の命を救ったのである。有難いとも、思っただろうが、子供の私は女の血が「男の子」の私の身体の中に入り、廻っているのだと、考えると、嫌な気がした。今考えると申し訳なく思うのだ。
「どんなに姉は私を愛しんでくれたことか!
 姉は腕に太い針で注射をした。姉の病気はこの頃ではもう体の芯まで食い破っていた。
 姉はそして昼間中寝てばかりいた。姉は眠っているとき泣いていた。涙が落ちくぼんだ目のくぼみから溢れて流れた。
 私は真昼の太陽の差し込む窓のガラス戸に凭れかかって、半ズボンと靴下との間に生えている脛毛を、ながめてばかりいた。
(・・・私は、姉を食べておおきくなったようなものだ。)」渡辺温「可哀想な姉」
「姉を食べて大きくなったようなものだ」この、言葉はすごい。主人公は姉の自己犠牲をどのように感じているのか。
 主人公の男の子は大人の男になりたい。
 姉は大人を憎んで、弟が何時までも子供であることを望む。何時までも、庇護する対象でいてほしい。姉自身の悲惨な人生の唯一の支えだ。
「可哀想な姉よ!
 だが、私は髭も生えたし、これからは誰はばかるところもなく、一人前の大人として世を渡って行くことができるのだ」。
 残酷さと優しさに溢れている、作品「可哀想な姉」は素晴らしい。
 澁澤龍彦は「姉の力」の存在として「守護神であり、母と愛人との中間的な存在である」と、或るギリシャ宗教研究の学者の言をひいている。
 渡辺温の小説「可哀想な姉」はまさに、「姉の力」の物語である。森鴎外の「山椒大夫」の物語と同じ構造を持っている。
 違うところがあるとすれば、「残酷さ」と「性」だろう。「可哀想な姉」には「残酷さ」と「性」が濃厚である。森鴎外の「山椒大夫」には苦いふたつの味が不足している。
 余談だが、柳田國男は「性に関する民族学」を無視したという。漂泊民、被差別民、等の研究も無視したらしい。柳田國男が置かれた立場を考えれば、そういう事なのだろう。
「山椒大夫」の物語でも、人攫いの被害に遭う、母と娘、子供が性的暴行を受けない筈はない。子供のころ読んだ絵本に、書かれていない事は当然なことだけれど、森鴎外の「山椒大夫」も薄味である。性を書き切ってこそ、現代小説だと思う。「可哀想な姉」には震えた。
 姉が私の命を救った三度目は交通事故だった。
 車と私の間に飛び込んで、姉は私を救ってくれた。姉は死を覚悟していたかは分からないが、自分の危険も顧みずに、身を投げ出したことは事実だ。
 姉も私も入院した。私は姉の御蔭で、軽症で済んだ。姉は重傷で車いすの人となった。
 私が姉の面倒を看なくてはならないはずだった。看て当然なのだが、私はしなかった。出来なかった。姉は私に面倒を看させなかったのだ。後になって姉の心がわかった。姉は弟の私の自由を願っていたのだ。
 姉は魅力的で、積極的な性格だった。結婚もした。子供はなかったけれど、夫婦仲は良く、ふたりで企業をして、成功した。事業の成功は姉の力に負うところが大きかった。車椅子で、飛びまわって、事業を拡大していった。
 私は姉から命を何度も救ってもらった他にも、金銭など、色々と助けてもらっている。姉は私の守護神なのだった。
「(・・・私は、姉を食べておおきくなったようなものだ。)」「可哀想な姉」
 食べる事は快適なことだ、生き物は生き物を食べて、成長する。大きくなるのだ。食べることが快楽であり、必要なことなら、小説の主人公は、少しも悲嘆していなかった。悲嘆すべき事ではなかった。
 主人公は姉を食べつくす。明日に本当の「私の美しい恋人」を呼び寄せる、赤い明かりをともす。姉は真の恋人ではなかった。
 恋人と母との中間的な存在として、姉は、存在していたのだから。
 車椅子で飛び回り、事業を続けていた姉も初老になり、癌を発病した。最後は痩せこけて、目が落ちくぼみ、悲惨な状態になった。
 遠い地の病院に見舞うと落ちくぼんだ目に涙をためた。「もう、借金をしては駄目よ」と、言われた。
「もう、しないから、元気になって」と、私は訳の分からないことを言った。
 私は姉の葬儀に向かう車中で、一枚の写真を取り出した。
 六十年以上以前の写真だ。
 若い母と赤ん坊の私と姉が写っている。
 季節は冬だったろう。分厚いコートを着て、ふくら雀のように膨らんだ、あどけない顔。おかっぱ頭の姉が写っている。赤ん坊の私は母に抱かれて眠っている。姉は口をぽっかりとあけて、カメラを見詰めている。
 私は姉の写真をしばらく見詰めていた。
「お姉さん」と、呟いてみた。
 恥ずかしくて、懐かしくて、たまらなかった。
                                              了                        

 

「構想」No,46(2009/6/20発行)より転載

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