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作品No,41

 
小手先の文章ではない、魂から出てくる小説です。
                    推薦 納富泰子さん 胡壷」(福岡県)

 

現実と文学44号(2009/04)より転載      090527genjitsutobungaku44.jpg (16383 バイト)

 


 

縦書PDF版               

 

続・駅前茶屋日録

                         久間一秋

 

 

 某月某日(寝言)

 何年ぶりかで親父の墓参りにいってきた、といいながら、従弟が店に入ってきた。遠方に住んでいてめったに会う機会がないので、部屋に上げ、妻に酒と肴を用意させた。私より三つ下で、近くに住んでいた頃は、近所の子も交えて隠れんぼなどをして遊んだものだった。叔母さんの消息を訊くと、おふくろは九十過ぎのいまも元気に妹たちと暮らしているといった。

 そのあと彼は、親父は死ぬまでおふくろにも自分たちにも、ひとことも戦地でのことは口にしなかったけど、生き残り兵の聞き書きの新聞連載を読んで、初めて親父の心の内がわかった気がする、と声が小さくなった。その叔父のことは、私も従弟からよく聞かされていた。その新聞記事や、むかし周囲の復員兵たちから聞いていた生々しい話などが、重なってくる。……

 ある人は、隊長の命令で、訳もわからぬまま、中国人たちの首を斬った。死体は、本人たちに掘らせた穴に蹴落とされた。

 ある人は、大隊長の命令に逆らえず、命乞いする男性を射殺した。その人は、昭和二十八年、復員軍人に恩給が支給されるようになったが、県の民生部などから受給するように執拗に勧められても、いまだに拒み続けているという。生活は楽ではないが、戦争の本当の犠牲者である中国や東南アジアの人々の金銭的・精神的な救済も行なわれていないのに、自分だけ金を貰うのは筋違いだと。それに、恩給の支給額は戦時中の階級が上の者ほど多いというが、上の階級の者ほど戦地で日本軍がしたことに重い責任を負うべきだ、と怒っていた。

 ある人は、一部の兵隊がやったことではあったろうが、と前置きしたうえで、初年兵のときのことを語っていた。

 村で幼児たちの子守をしていた十一か二くらいの女の子を、上等兵が小屋に連れ込んだことがあった。悲鳴がして暫くしたら、上等兵が晴々した顔で出てきた。だいぶ経ってから女の子は出てきたが、虚ろな目をしていて、もう幼児たちの中へ戻っていくことはなく、しゃがみこんだ。そのときの女の子の虚ろな目が、いまも忘れられないという。

 またある人は、戦地から復員してくると、人が変ったようになっていた。心を病んでいて精神病院に入院し、退院後は酒にすがるようになった。そして酔いが覚めると泣き、中国でみんな惨いことばかりしてきた、と独りごとのように話す。日本刀による首の試し斬り、度胸つけと称する刺殺、放火した炎の中への幼児投げ込み、両腕を縛ったロープを二頭の馬に巻き付けて両方へ走らせる引き裂き。それに、略奪……。

 でも俺はやっとらんぞ、やっとらんけんね、と叫ぶ。ふだんは何にも話さないのに、酒が入ると、戦地での話ばかりした。そして最後にはきまって、俺はやっとらん、と。

 あれだけ、やっとらん、やっとらん、といい続けるのは、何かやっとったからですかねえ、何かやったから、辛くて飲まずにいられなかったんじゃないですかねえ、と奥さんは語っていた。

 その後、その人はアルコール依存症で入退院を繰り返し、人前に出るのを極端に恐がるようになった。娘の結婚式にも出なかった。晩年は認知症になって、やっと心の安らぎを得たふうだったが、それまではずっと、戦場での記憶に苛まれ続けたようだったという。

 叔父は、従弟が九歳のとき、四十近い歳で徴兵され、中国に派遣された。そして、敗戦によって二年後に復員してきたときには、酒ばかり飲むようになっていた。左官仕事で賃金が出ると、帰りに何軒も酒屋のハシゴをしてくる。

そのうち、夕方早引きしてまで飲み歩くようになった。そんなふうだから左官の注文は減り、狭い家の片隅で寝転がっていることが多くなった。

 生活は、従弟の新聞配達と母親の農家への日雇い仕事でなんとかしのいでいたが、口減らしのため、弟は四歳で近くのお寺へ養子に出された。母恋しさに泣きながら逃げ出してくると、母が宥めなだめしてまたお寺へ連れていく。その母も、涙を流しながら帰ってきた。

 親父は夜中によく、すまぬ、すまぬ、と大声で寝言をいっていた、と従弟はいう。その声で家族は目覚め、本人も目を覚ます。すると、起き上がって台所へ行き、残り僅かな酒をラッパ飲みする。量が少ないと、いまから買ってこいという。金がないときでも、付けで買ってこさせようとする。計り売り用の瓶を持っておふくろと出かけていくが、酒屋はもう寝静まっている。それをいっても、親父は寝間着のまま家を飛び出し、酒屋の戸を叩く。辺りかまわず喚き散らす。そのため、近所からの苦情が絶えなかった。

 酒代は嵩み、借金は増える。私の父は――私の家も貧しかったが――妹婿である叔父の借金の保証人になり、何度か金を払わされていた。それだけに、父が説教をすると、叔父はおとなしくなるふうではあった。そしてときには反省するのか、自分から精神病院に入院して断酒したこともあった。が、それは一年と続かなかった。

 村祭りのときだった。私の家に親戚の人たちが集まり、叔父も招ばれた。酒が出たが、叔父は盃を伏せたままだった。それなのに父たちが、少しだけならいいくさい、と盃に酒を注いでやった。欄つけ役の私は、それを隣の部屋で見ていた。

 そのうち、酒の匂いに我慢できなくなったのか、叔父は吸付けられるように、盃に口をもっていった。と思うと、手を震わせながら隣の膳の二合徳利をとって、ラッパ飲みをはじめた。そげな飲みかたはいかん、それ以上はいかん、と父たちは慌てたが、もうやめさせることはできなかった。

 精神病院での断酒効果も無駄になり、そのときから、以前にも増して酒浸りになり、仕事もほとんどしなくなった。酒をやめさせようとすると、妻子を殴ったり、手当たりしだい物を投げたりするようになった。従弟は震える幼い妹を庇いながら、いっそ親父を殺してやろうか、とさえ思ったという。しかし、茶餉台の脚が揺れてコップの酒が零れたとき、慌てて野良猫のように這つくばって台に口をつけた父親の浅ましい姿を見て、殺意は消えたらしい。

 従弟が、親父は還暦を前に酔っ払ってドブに落ちて死んだけど、親父もあの新聞記事の人たちのようだったのだろうと、目をしばたいた。そして、これからは毎年、墓参りにくるといって、酒は飲まないことにしてるからと、お茶だけ飲んで帰っていった。

 

 某月某日(落穂)

 田圃が欠伸しとりますなあ、勿体なか、と近所の吉田さんが、店先の縁台で紅茶を飲みながらいう。耳納連山の麓の集落の辺りまで、地肌が剥き出しの田圃が広がっていた。

 いま頃は麦の穂が出てきて、青々としとったもんですけどねえ、と私も縁台に掛けた。

 こげん何もかんも輸入に頼っとったら、相手国に早魅がきたり、内戦が起きたりしたら、大変なことになるでしょうなあ、と吉田さんは遠くへ目を向ける。

 わたしたちはもう先が短いけど、若い人たちはこれからまた、昔のような生活をせなならんようになるかもしれんですね、と私は、落穂拾いをしていた頃のことを思い出した。

 小学生の頃、母と隣の小母さんと三人で、稲刈りのあとに落ちている僅かばかりの落穂を拾って歩いたものだった。幾人もの同じような人たちも、あちこちの田圃を廻っていた。

 半日がかりでやっと集めた落穂は、大事に持ち帰り、一升壜に入れて細い棒で搗き、籾殻と米糠を落とす。五合枡の半分余りにしかならないが、貴重な米だった。配給が遅配・欠配続きのため、米に芋や大豆や大根を交ぜて飯を炊くのだが、それらの物も、金ではめったに買えなかった。農家も、供出割当が厳しいようだった。

 だから、小学校から勤労奉仕で行かされる農家での握り飯は、ありがたかった。ただ、昼食でみんなが食べ残したものをおひつに戻し、三時に出されると食べる気がしなかった。だが農家の人たちにとっては、自分たちが汗水垂らして作った米を、一粒でも無駄にはできないようだった。

 あん頃は、田の草取り、稲刈り、麦踏みと、小学校に上がったばかりの頃から働かされてきつかったけど、楽しかったこともあった、と吉田さんはいう。稲刈りがすんで麦蒔きが始まるまでの間、広い田圃で兵隊ごっこをしたりして、思う存分遊べたからだった。

 その記憶は私にもあったが、私には一つだけ、苦い思い出もある。脱穀したあとの藁小積みの近くを通りかかったときだった。友達がその中へ入っていこうとしていた。宝物でも隠しているのだろうか、と思った。近よっていくと、来るな! と彼は怒鳴った。そういわれると、かえって興味を覚えた。そばまで行って、藁小積みの中を覗いてみた。

 なんと、その中には女の子が上半身裸になって寝ていたのだった。淡いピンクのサクランボのようなものが、二つ見えた。私が密かに想いをよせていた子だった。彼女は慌てて、両手で胸を覆った。二人はお医者さんごっこをしていたのだろうか。

 私は心の中で、馬鹿野郎! と、友達へともなく、女の子へともなく叫びながら駆け出した。……そのあと暫く、友達とは口をきかなかった。

 あのときの友達が、いまは町長になっている。彼女のほうはどこかのサラリーマンと結婚し、その町にはいない。

 吉田さんが、あん頃は貧しかったばって、何もかも手作りじゃったけん、安心して食うことができたですけどねえ、と紅茶代を置いて立ち上がる。そして、いまの食べ物には何が混ざっとるかしれん、何ば食わされよるかしれん、と呟きながら、杖をついて帰っていった。

 

 某月某日(老々)

 町内会長の竹野さんが、署名集めにきた。森山さんの嘆願だった。森山さんのことは、新聞に詳しく報じられていたので、よく知っていた。

 八十過ぎの森山さん夫妻は同じ町内に住んでいて、老妻は脳梗塞の後遺症などで何年間も寝たきりだった。夫のほうも足腰がよくない。杖にすがってやっと買物にいったり、炊事をしたりしていた。妻の食事は、匙で口に運んでやっていた。

 それがある夜、妻がベッドから転げ落ちた。自分では這い上がれない。しかし夫にもベッドに戻してやる力がない。二人は長いこと、ベッドの横で、無言のまま、涙を流した。

 そのうち妻が、もつれる口で、コ、ロ、シ、テ、といった。これまでにも何度かそういわれてきた。もう、限界だった。これ以上生きてても、何の望みもない。一緒に死のうね、というと、妻は力を振り絞るようにして、ゆっくりと両手を胸にもってゆき、目を瞑った。

 よろめきながら台所へゆき、刺身包丁を取ってきた。儂もすぐ後から逝くからね、と両手に力を込めて、妻の心臓へ突き刺した。そのあと自分の胸へも刺したが、うまくいかなかった。呻きながら、二人から流れ出た血の中に倒れ込んだ。

 寝る前に町内を一廻りすることにしている竹野さんが、森山さんの家からの呻き声を開いたのは、そのときだった。裏戸をこじ開けて入ってみると、老婆のほうはもう、こと切れていた。老人のほうは、血が溢れ出てくる胸を押さえて苦しんでいた。死なせて、死なせて! と精いっぱいの掠れた声で哀願された。

 そういわれても、死にかけている人を目の前にして、見殺しにはできなかった。すぐに救急車を呼んだ。そのため森山さんは命をとりとめたが、傷が癒えると、殺人容疑で逮捕されたのだった。

 竹野さんは、本当ならお二人は手を取り合って逝けてただろうに、なまじ自分が助けたばかりに森山さんは殺人犯にされてしまった、という。そして、心中を図るまでには随分と心の葛藤もあったろうし、やっと決断したものを邪魔してしまって……と沈んだ声になった。

 それでせめてもの思いで、嘆願書を集めて廻っているけど、そのこともこの頃、疑問が沸いてきたというのだった。刑務所入りを希望して万引きをしたり、人を傷つけたりして、わざと捕まる独居老人などが増えているという新聞記事を見たからだった。

 町内のみんなは進んで署名してくれたけど、これを提出して森山さんが執行猶予か何かで出所してきたら、あの人の生活はどうなるだろうと、心配しているのだった。

 なるほど、一人分になった国民年金だけでは家賃を払うと幾らも残らず、食っていくことさえ難しいかもしれない。病気になっても、医者にもかかれまい。刑務所に入っていれば、三度三度の食事は保障されている。病気になれば医者が診てくれる。はたしてこの嘆願書を出したほうがいいかどうか、竹野さんは迷っているようだった。

 私は初め、汚名をそそいで上げたほうが、と思っていたのだが、竹野さんの話を聞いていて、嘆願書に署名したものかどうか、わからなくなってきた。

 

 某月某日(借間)

 近所の老人が世間話のあと、孫が東京の大学に入ることになったけど、部屋探しにはずいぶん苦労したらしかった、といいながら帰っていった。

 部屋といえば、昭和二十八年頃に借りていた東京での三畳間が思い出されてくる。

 陽が入らないので、湿気を帯びた畳は波打ち、徴臭かった。染みだらけの三尺押入の襖を持ち上げるようにして開けると、ナメクジが這い廻ったあとの銀色の筋が、幾条も付いていた。ヤモリがごそごそと逃げた。壁土が隅に落ちており、剥き出しになった竹の桟ごしに、流れようのないドブの黒い泡粒が見えていた。

 坂道の脇に沈むようにして建つその家には、チンドン屋夫婦や、病気の夫を抱える酒場勤めの中年女性など、五、六所帯が薄暗い廊下を挟んで入っていた。どの部屋も、ひっそりとしていた。

 ところが、秋が深まってきた頃、ひとつの騒動が持ち上がるようになった。痛いよ、何するんだよ! 助けて! 殺される! その声で私たちは目を覚まされるようになった。廊下を隔てた高橋氏夫妻の喧嘩であった。それは、日々、苛烈さを増していった。

 原因は、食べ物の争いだった。高橋氏の部屋の障子は破れるにまかせ、廊下から中が丸見えになっていた。高橋氏は、もとはちゃんとした会社の課長だったというが、会社が倒産してブローカーになり、それがうまくいかなくなった頃に、ここへ越してきたのらしかった。そして仲間に資金を持ち逃げされてからは、不貞腐れたように仕事をしなくなっていた。

 まだ六十にはなっていないらしいが、私が移ってきた頃は、夕方になると、よれよれの着物の裾をはためかせながら、どこかへ出かけていっていた。脊が高いだけに、その後ろ姿はよけい飄々とした感じがした。

 むかしの知人からでも貰ってくるのか、あるいはよその家の前に出ている塵箱でも漁ってくるのか、僅かばかりの芋か何かを袂に入れて戻ってくることがあった。騒ぎは、そんな夜に起こるのだった。

 芋を蒸すときは高橋氏が七輪の前に陣取るようになっていたが、まだ煮えないうちに妻の手が鍋の上を掠めると、お前の分はそれでおしめえだ! と高橋氏の怒声がとぶ。妻は、そんな馬鹿な! 煮えたかどうか見てみただけじゃないかよう、と辺りに聞こえるように喚く。高橋氏のほうは、ひとことも喋らない。が、いきなり手元の棍棒で、妻を殴る。

 初めのうち小学生の息子は、母親と一緒に外へ逃げたり、泣いたりしていたが、だんだん口をきかなくなり、そのうち烈しい夫婦の争いのときも、部屋の隅にただ黙って座っているだけになった。

 あたしにも少しおくれよう、昨日から何にも食べてないんだよう、ごらんよ、こんなにおなかがへっこんでるじゃないかよう、坊や、お前も何とかいっておくれよう、といくら母親が哀れっぽい声で訴えても、息子は頑なに黙りこくったままである。かわりに高橋氏の立ち上がる気配がしたと思うと、妻は外へ叩き出されていた。彼女は何か叫びながら戸を叩くが、錠がかけられていて開かない。こうして、日に一度きりの食事からいつも妻だけが閉め出されていた。

 あるとき隣室の奥さんが、男の子が可哀相といって外で握り飯を与えたことがあった。それを知った高橋氏の妻が、うまく騙して息子を部屋に呼び入れた。と思ったら、どさどさと三人が一個の握り飯を奪い合って食べるのである。出勤しようとして廊下に出たとき、私はそんなところを見てしまったのだが、高橋氏は私と目が合うと、きまり悪そうにむこう向きになった。高橋氏の妻は私を見上げて、あはあはと、まるでゲームでもやったあとのように笑った。

 それから幾日も経たない日の夕方だった。仕事から帰ると、高橋氏の妻が私を待っていた。明日、皆さんを箱根へご案内しますからね、ご飯はたくさん用意してますよ、という。私が戸惑っていると、高橋氏が妻の後ろから、しきりに自分の頭の上で人差指を巻いてみせる。やっと事態を呑み込んで、じゃお世話になります、というと、彼女は、ああ忙し忙し、と次の部屋へ出かけていった。高橋氏が、おろおろとその後ろから蹤いて歩く。

 煩いね、お前さん、気狂いじゃあるまいし、いちいち蹤いてくるんじゃないよ! と今度は妻のほうが夫を殴るようになった。高橋氏はそれに黙って耐えていた。部屋から出すまいと気を遣うだけが精いっぱいのようだった。

 だが高橋氏の妻は何度か寝間着のまま部屋を飛び出し、そのたびに警官に連れ戻されてきた。高橋氏は、民生委員の家や区役所などへ出かけて行っては、俯きながら帰ってきた。公共の施設に入れることは容易でないようだった。

 そのうち、高橋氏の妻は戻ってこなくなった。どうなったのか、高橋氏はあちこち捜し廻っているふうだったが、わからないようだった。それと前後して、とっくに学校へも行かなくなっていた息子のほうも、どこかへ出ていって帰ってこなくなった。……借間は、やっと静かになった。

 この一家から受けた私のショックは大きかった。たとえ現在は安定した所に勤めていて、ちゃんとした生活をしていても、そこが倒産したり、何かの理由で賊になったり、あるいは交通事故にでも遭って右手首を失ったり、長い病気に握ったりすれば、家族は高橋氏一家と同じように四散させられるかもしれず、しかもその可能性は誰にもあると思うと、自分が金以外に頼るもののない大都会の渦の中を漂う一本の藁屑のような、心細い存在に思えた。

 この家が静かになって一カ月ほど経った頃だった。夜中に、なにい! と高橋氏の部屋で怒声がした。襖を細目に開けて覗くと、ところどころ綿のはみ出たドテラに首を埋めるようにして座っている高橋氏の前に、三人の若い男が立っていた。

 立退き料まで取ったんだろ! ちゃんと一週間以内に立退きますという証文あるんだぜ、と一人の男が紙片をひらひらさせていた。家主の老婆が数日前、部屋代をずっと払っていないくせに立退き料まで取られたと、憎々しげに触れ歩いていた。三人の男は、そのさい仲介を依頼された周旋屋らしかった。男たちは、穴だらけの蒲団を紐で縛り、そこらに散っている物を風呂敷に包んで、高橋氏に突きつけた。

 高橋氏は、風呂敷包みだけを持って外へ出ていった。私は襖から離れ、硝子窓のカーテンを開けてみた。

 外は雪。横の坂道は薄く白ばんでいた。その坂道を、ドテラで着膨れた高橋氏がのろのろと上っていく。街は死んだように静まり返り、電柱の裸電球の笠の下だけ、小雪が生きもののように舞っていた。

 

 

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