アンケート

 

 


作品39

 

  携帯中毒                   中村 斎(いつき)

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「何故?」創刊号(大分県)より転載

 

現代誰もが携帯電話を持つ時代に一組の男女がその時代の中で翻弄されていくという話で、とても現代的な作品だと思います。
短い小品ですが、うまくまとまっていると思います。

推薦 森井聖大さん 「何故?」(発行所・大分県)


 

 

「今月は八十五万だよ。」
 輝男は、妻に通帳を見せながら、今月の入金額を告げた。
「百万、いかなかったのね。」
「うん、ちょっとずつだけど少なくなってきてる。メールの文面を練り直すのと、他の入り口も検討した方がいいかもしれない。」
「ふーん」
 妻の早樹は何か言いたげな返事をする。
 輝男はセラーからワインを取り出し、コルクにオープナーを突き立てる。
「もう飲むの。せめて昼ピークが終わってからにすれば?」
 咎める早樹に、輝男が答える。
「大丈夫。能率は下がらないさ。」
早樹は、ふんと鼻で笑ってリビングのソファーに座った。
 輝男は、ワインのコルクを抜き、鼻歌を歌いながら窓際にあるマッサージチェアーのサイドテーブルに、ワインとグラスを運んで行く。そこは輝男の定位置であった。
 キッチンのすぐ横にあるガラステーブルの上には、携帯電話が八台無造作に置いてある。早樹は、そのうちの二つを手に取る。
 輝男も携帯電話を二つ取り上げて、マッサージチェアーのところへ戻り、深々と腰掛け、グラスに注いだワインを一口飲む。
 時計の針は十二時前を指していた。輝男と早樹は、それぞれ携帯電話を両手に持ち、パチンと開く。

 

 ぷちぷちぷちぷちぷちぷちぷち………

 

 空調の音と、携帯電話のボタンを指で押す音だけが部屋に充満する。
 しばらくして、輝男がワインをゴクリと一口飲んで声を出した。
「きたきた…。」
 送信されてくるメールに、どんどん定型文のコピーを貼り付けて返信してゆく。ただそれだけの単純作業である。この作業を昼の十二時から一時まで続けるのだが、この時間帯のことを二人は「昼ピーク」と呼んでいた。
 仕事の内容は、出会い系サイトの「さくら」である。
 適当な出会い系の掲示板に、若い女を装ってメッセージを打ち込む。すると、信じられない量のメールが男たちから届く。その届いたメールに、「定型文」を貼り付けて返信してゆく。その「定型文」は、出会い系サイトへの「誘導」であった。この誘導を経由して馬鹿な男がそのサイトに登録すれば、それが二人の収入につながる。
「登録一人につき○百円」という約束で、二人はこの仕事をしていた。家にいながら一日数時間働くだけで、月に何十万も稼ぐことができる。ヤバい仕事ということは分かっていた。人を騙す仕事であるということも。
 しかし、輝男にはそれに飛びつかざるを得ない事情があった。

 

 輝男は、もともと料理人である。八年前に独立し、繁華街で居酒屋をやり始めた。店は繁盛し、独立して二年後に早樹と結婚した。美人で、おしとやかで、申し分のない妻だった。誰の目にも、その前途は洋々としていた。
 しかし、開業して四年目くらいから、ここ最近の不況のあおりを受け始めた。売り上げは下がり、すぐに金の巡りがあやしくなりはじめた。取引先の信用金庫に頭をさげ、いくばくかの金を借りたが、その金もあっという間に霧散した。
 綱渡りのような経営状態の中、電話代や電気代を最終期日にやっと支払うような状態が続く。さすがにこれはまずいと考え、輝男は知人友人にくまなく相談して回ることをはじめた。そうして、何人もの知人や友人に相談しているうちに、後輩の前田という男につきあたった。
 前田は、経営が苦しいと打ち明けた輝男に
「先輩、生きていくためには、背に腹変えられないときって、ありますよね。」
と言った。
 その通りだとこのときの輝男は思った。
「どんなことでもやりますか?」
そう言って教えてくれたのが、「出会い系サイト」の「さくら」の仕事だった。
 前田は三つの会社の社長をしている。それ以外に、友人と共同出資してやっているのが、この出会い系サイトということだった。
「やるか、やらないかだけです。俺はめんどくさいので、誰かにやってもらいたかったんですよ。先輩には、綺麗な奥さんもいらっしゃるじゃないですか。お二人でされたら儲かると思いますよ。」
 藁にもすがる思いで、輝男は引き受けた。だが、二人でやれば売り上げが倍になることと、自分の妻が「綺麗」であることには、何の相関関係もないと輝男は思った。

 

 初期投資は、数台の携帯電話を新規に購入するだけだった。
 輝男は必死になった。どうせ店は暇である。最初の月に得た報酬は、予想以上のものだった。次の月は、前の月よりも多くの金を得ることができた。はした金ではない。数十万の収入である。居酒屋の仕事が馬鹿らしくなってきた。
 そのうち、早樹もやりはじめた。早樹は、輝男がやり始めた仕事のいかがわしさにずっと眉をひそめ続けていたが、輝男に金の振り込まれる通帳を見せられ、
「これが倍になってみろ。」
と言われてやりはじめた。
 早樹は、すぐに輝男と同等に稼ぐようになり。その翌月に、居酒屋はたたんだ。
 
 二人でその仕事をやり始めてから、夫婦関係も変化した。
 夫婦関係と言っても、それは主に「夜の生活」のことである。
 早樹はもともと、そんなに擦れた女ではなかった。恥じらいながら感じる早樹の姿に、女の可愛らしさを感じ、満足していた輝男であった。ところが、最近の早樹はベッドの中でも自分から積極的に動くことが多くなってきた。急速に妖艶さを増してゆく最近の早樹に、輝男は複雑な思いを抱かずにいられない。年とともに性的に擦れてくるということはあるだろうが、早樹の変化はいくら何でも急すぎるように思える。そして、この早樹の急激な変化は、今やっている仕事と無関係ではないと輝男は考えていた。
 下心丸出しで送られてくる男達からのメールには、さまざまな画像が添付されてくる。添付画像は顔写真か男性の屹立した局部を撮ったもののどちらかであった。そんな画像を見て、早樹が頬を赤らめたり奇声を発したりしていたのも、最初の2日くらいだった。メールの返信は、ただコピーを貼って送信するだけの無機質な作業である。それでも、目に入るものは目に入ってしまう。毎日大量の「男性自身」を目にしながら仕事をすることが、早樹の日常になってしまっているのは事実だ。
 ある晩、ベッドの上で早樹が輝男の股間に顔をうずめながら
「今日ね、これの2倍くらいの『もの』を見たわ」
という言葉を聞いたとき、輝男は初めて早樹をこの仕事に巻き込んだことを後悔した。

 そう言う輝男も、以前なら絶対にあり得ない行動に走った。
 先月、輝男は結婚して初めて「浮気」をしたのである。
 いつか前田と飲みに行ったときに、
「ここ業者もいますけど、マジで出会えますよ。」
とあるサイトを紹介してもらった。
 輝男の浮気相手は、そのサイトであっけなく拾った女だった。

 

 前田が教えてくれたのはポイント制のサイトだった。少々の金をつぎこんで、輝男はさくらではない「本物」を引き当てた。
 それはいわゆる援交で、その女とは一回きりだった。教わったメールアドレスが翌日には無効になっていたのだ。
 輝男は、また別の女を探すことにした。
 ところが、今度は最初のようにはうまくいかない。どいつもこいつも「さくら」ばかりで、ポイントだけがいたずらに消費されてしまう。実は、このサイトにしても、ほとんどが「さくら」で、輝男が会えたのはたまたま運がよかっただけで、あとは夥しい「さくら」に金を吸い取られ続ける日々が待っているだけかもしれない。自分が、世の中の男達から金を吸い取っているように。輝男はそう思いながらも「あと少し、あと少し」とサイトに金をつぎこんだ。
 それに、自分の妻がそうであるように、「さくら」をやっている人間には、女性もいるはずである。毎日あれだけのメールをこなしていれば、魔が差して「会ってみてもいいかな」と思うときもあるのではないだろうか。輝男はそこまで考えて、はっとなった。もしかしたら、早樹だってそういう風に考える時があるかもしれない。いや、早樹に限ってそんなことは……。

 

 昼ピークが過ぎ、早樹がため息をつきながら、両手の携帯電話をガラステーブルの前に置く。輝男はまだ両手に携帯を持っていたが、「仕事」をしているのは左手だけで、右手は例の出会い系サイトで新しい女を探し続けていた。
 先月の売り上げがいつもより十五万少なかったことが、自分のせいであることを輝男は分かっている。早樹がそれについて何も言わないのが、輝男にはかえって不気味だった。
 それにしても、あれから「さくら」にしか突き当たらない。最初の女はやはり偶然だったのだろうか。そんなことを考えながらワインを煽っていると、早樹が一枚の紙を持って輝男のところへやってきた。
「なんだろう?」と輝男が思うと、
「名前書いて判子押して、市役所に出しといてね。」
早樹がそう言って、緑色の用紙と一枚の写真をサイドテーブルに置く。
 早樹はバッチリメイクを決め、いつの間に用意したのか、大きなバッグを抱えていた。
 写真は、ホテルに入ろうとする男女の姿が映っている。男はまぎれもなく輝男であった。輝男は驚愕のあまり声も出なかった。先月、あの女と会ったところを撮られていたのである。しかし、一体誰が?なんのために?
「あ、それとね、今仕事してるサイトは、法改正に合わせて今月いっぱいで閉鎖だって。前田クンが言ってた。あと、離婚届けは今日中に出してくれたら財産分与は放棄してあげる。ごねてもテルに勝ち目がないのは、その写真見てわかるよね。じゃあさよなら。」
そう言って早紀はさっさと玄関から出て行ってしまった。
 あっけに取られた輝男は、玄関を出る早樹の後を追うこともできなかった。
 予想外の事態に輝男は停止ぎみの思考を無理矢理働かせようとしたが、うごめく思念はどれもどす黒い姿をしていた。性欲、金欲、騙し、裏切り……。自分は今、何と醜い世界に生きていることか。前田という悪魔に、魂を売ったのは自分の意志だった。生きるためにやむなく今の仕事に手を染めた自分がいたことも確かだ。しかし、その後生活に困らなくなってからも、小金を手にして喜んでいたのは自分である。
 我に返り、ベランダに出て下を見ると、マンションの玄関前には、前田の白いベンツが停まっていた。右側の助手席のドアを開け、バッグを抱えた早樹が乗る姿が見えた。
 白いベンツが走り去った道を、しばらくぼう然と眺めていた輝男は、虚空に向かって一声何か叫んだ。それから自室のマッサージチェアーに腰掛けて、再び右手に携帯を持ちサイトにアクセスした。
 仕事のためではなく、新しい「女」を得るために。

          

 

 

 

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