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 秋海棠の家           中沢正弘

 

推薦 小島義徳(文芸誌O

「層」100号(長野ペンクラブ)2004年6月

「農民文学」267号・2004年11月転載

小説集「風に訊く日々」(二人舎)2008年7月所収


  
  真希を訪ねて下宿へ行った。真希に会うのは、一年振りぐらいのことである。
 雨は、乗り継ぎのバスに乗るときから降りだしていた。車窓を斜めに走る雨足を見ながら、宙一は傘を持って来なかったことを悔い、同人会の会場よりも近い、真希の下宿のことを考えていた。
 しかし真希には、しばらく逢わないでいよう、と告げてあり、突然顔を出すことに、逡巡するものと思いあぐむものがないではなかった。
 バス停に降り立った三・四人の降り客は、それぞれ傘を拡げて歩き出す。バスを降りなかったら、そのままバスは市の中心部へ向かい、会場近くの停留所で降りればよいのである。だが宙一は、降りる人に連鎖し促されるように降りてしまっていた。バスの中で想像していたより、雨粒は大きかった。宙一は真希の下宿へ向けて駆けだした。
 人口十万足らずの城下町の、市街地を外れた古い住宅地である。平屋が多く、ぽつぽつと二階屋が建つ。板垣の黒い塀が続いていたり、柾の生垣があったりする。路地を三つばかり曲った二階屋が、真希の下宿だった。
 家主は老婆の一人住まいだった。二部屋ある二階の一部屋を真希は借りて住み、下宿人は真希が一人いるだけだった。真希の話では、老婆は下宿する人を積極的に探すわけでなく、真希一人で充分だと言っている、ということだった。真希はその老婆と一緒に食事をするだけでなく、台所で食事づくりもしたりするという。そして老婆は、夫としていた仕立屋の仕事を、今は表通りにあった店をたたんで一人でひっそりとやり続けている。
 軒下に立った宙一は、ジャンパーのポケットからハンカチを出した。髪を拭い、肩のあたりも拭き取った。日曜日ではあるが、それとも日曜日なので、連絡など取り合っていない真希は、居るかどうか判らなかった。
 この前下宿を訪ねたのは、もう二年以上も前のことになるかもしれない――と、そんなことを想いながら宙一は、「こんにちは」と表戸へ向かって声をかけた。それから軽く、とんとんと板の戸を二つ叩いた。更に間をおいて「ごめん下さい」と言った。
 すると思いがけず、戸のすぐ内側から、
「ちょっと、待っておくれな」
 老婆の声が返って来たのである。
 中で何か掃いている気配があって、それから鍵のねじが回された。
「お恥ずかしいところ、見られちまった」
 戸を開けた老婆の左手には、手箒が握られたままだった。
「ちょっと待っておくれ、いま端へ片付けるから」
 町屋にしては広い、畳二枚程はありそうな三和士(たたき)の土間を、老婆は箒を持ちかえて掃く。土間には皿やら茶碗の砕けたものが、大小無数散乱していた。
「今日は一人でいたら、何だかムシャクシャしてきてさ」
 瀬戸物の細かい欠片を、老婆は丁寧に土間の片隅へ掃き寄せる。瀬戸物は、故意に割ったものとしか思えなかった。挨拶と、それに続いての二言三言の言葉を交していた。その二度か三度のふれ合いから、なかなか気丈な年寄りだ、と宙一は想っていた。だがそれは表向きのことで、背後の深い内面をいま見ている気がしたのである。
「真希ちゃん、じきに帰って来ると思うから、あがって、わたしと一緒にお茶でも飲んでいておくれ」
 気のせいか哀願する響きがあった。瀬戸物の寄った隅へ箒も立てて置くと、老婆は先に茶の間へ上っていった。小柄だが背筋は伸びていた。老婆は、自分の哀しみを吹っ切ろうとしている、と宙一にはそれが判った。だが宙一は、いまこの年寄りと向かい合って卓につくのは、何か憚られるのだった。
 暫く付き合うのを止めよう、と真希に言ったとき、真希には、いい人が現れたらその人と付き合っていいんだぜ、と言ってあった。それから一年近くになるわけで、真希には今いい人が見つかっているかもしれなかった。それを真希に確かめるのが先であり、その確かめを今日でいいのかどうかを、バスの中でもずっと想い巡らしていたのだった。
「雨、吹き込むから、早く上がって」
 語尾をあげて老婆は言い、茶の用意をした台から宙一を招く。
 やはり手紙で日時を記し、この街の駅へでも出て来てくれるように、と頼んだ方がよかったかな、と先刻バスで考えたことが再び頭を過(よぎ)る。しかし訪ねてみて、居なかったら居ないでそれも天の計らいだ、と肚を括ったのである。それに下宿を変えていることだって、ないことはないのだ。
「夕飯いらないとは言ってなかったから、真希ちゃん、そのうちきっと帰って来るよ」
 老婆は真希が帰って来ることを強調した。真希は「ばあちゃんが」と言って女主のことを話し、老婆は「真希ちゃん」と呼ぶその人間関係も、全く変わりないものに思われた。同時に、老婆の宙一に対する面持ちや親しみの感じられる言葉の様子は、真希から宙一以外の男のことは、何も聞いていないことを窺わせた。
「そんな所にいつ迄も立っていないでさ。それとも真希ちゃんの部屋へ行っているかね」
「いいえ、どうもすみません」
 いつか真希がいなかった時、宙一は部屋に上って待ったことがあった。だが、今はそれは出来ないことである。茶の間に続く襖は開いていて、黒っぽい布地が長く広げられているのが見えた。
「こうやって、今年また一雨ひと雨寒くなっていくだけだと思ったら、何だか生きていることに腹が立って来てさね」
 小さな卓袱(ちゃぶ)台に寄った宙一に、老婆は茶をすすめながら言った。
「茶碗の割れる音、外まで聞こえたわな」
 宙一は首を振った。
「いいだよ、聞こえていたら聞こえたって言ってくれて。その方がわたしも気が楽だ」
「いいえ、本当に。いま来たばかりで」
「まあ、どっちでもいいことなんだけどさ」
 老婆は自分の気持を既に収束しっつある、と見えた。大き目の茶飲茶碗を両掌の中に持ち、湯気の立つ茶を畷った。
「次男の戦死公報があったと思ったら、シナと南洋の方で、長男と三男迄戦死だというんだから、誰でもいいからどうしてわたしと入れ代って呉れなかった、って、そう言いたくなるじゃないの。だから年に二・三回、傷ついて貯めておいた瀬戸物を、ああやって土間へ想いきり叩きつけて、気を紛(まぎ)らわすようにしているだわね。ほかにやりようがないもの」
 半分は自分に言い聞かせている口振りだった。奥側に座っている老婆の目線は、宙一の横を通り抜けて庭に面しているガラス戸の方に当てられていた。外の光を受けているその日は、虚ろに止められていたが暗く沈んでいるわけではなかった。宙一は、言葉の掛けようがなかった。
「オリンピックだ何だって、日本中浮かれて賑やかにやっているけどさ」
 吐き出すような呟きだった。高一は小さく頷いて畏って茶を飲み、茶碗を置くと聞いてみた。
「ご家族は――」
 何か少しでも明るい材料はないのか、と想って訊いたのだった。
 魔法瓶から急須に湯を注ぎつつ、老婆はそのまま黙っていた。立ち入ったいけない事を訊いてしまったかと、宙一は自分に見苦しく慙愧を覚えた。
「二人で座って仕事をしながら、よく話しかけてくれたお父ちゃんだったけど、それからはすっかり無口になってしまってさ。でもそのお父ちゃんも死んじまって、ほかに子供はなかったから、今は本当の一人ぼっちさね」
 痛切な経過を喋っているのに、老婆の口調は淡々としていた。その感情のぶれのなさに、堆積した時間というものの重みを感じつつ、しかし宙一には、直前眼にした土間に砕け散った茶碗の残像が、それを覆って浮かんでくる。この矛盾した情景は、目前にいる自分(おれ)のことを忖度(そんたく)してのものかと宙一は思ってみる。老婆の立居は元気そうに見えても、老婆にまとわる空気が悄然とみえてくるのは、天涯孤独の身を、こっちが知ったためか――。
 その老婆に重なって、母が亡くなってからの父の姿が浮かんで来る。
 母は今年の寒い最中(さなか)、家族と炬燵に当ったまま事切れた。心不全だった。父と母は夜は別別の部屋で眠り、昼間仕事から帰っても、父は母の傍を極力避けた。昔のことにしか記憶のなくなった母は、新しい村づくりの為だといって出奔した、三十数年も昔の父のことを、事ごとに恨み詰(なじ)るのである。母のそれが始まると、父は畑へ出掛けて行くか近所の家へ行くか、或いは自分の部屋へ引き上げるかなのだった。農地が狭く地主と小作の争いが絶えず、そんなところへ樺太(サハリン)の日本領属だった。父は、そこに第二の安徳村をつくる、として家を出たのである。高位高官はともかく、壮年期に入っての青雲の志の発露だった。
 その父が留守の間、自分は子供を育てながら舅たちと如何にして家を護り、田畑を耕して、それがどんな日常だったかを父にしきりと語り聞かせるのであった。死ぬ直前までそんな毎日だったが、死んで父一人になってみると、日々、とりわけ夜にはその後姿が頼りなく、寂しげに宙一には映るのである。
 父にはそれでも子供という家族がいる。それは救いにはならなくとも、生きる紛らし位にはなるのではないか。それに比してこの老婆は、自分に繋がる語る相手がいない――。
「そうそう。一人ぼっちと言えば、四・五年前になるかな、真希ちゃんここへ初めて来た時だけど、おかしかったっけ」
 いきなり話を変えた老婆は、その口振りと同じく顔つき迄が晴れているのだった。
「ムセン(無線)の方へさ、一人者の娘さん、ということで、下宿する人を頼んでおいたんだよ」
 無線と老婆が言うのは、山手に出来た大手の会社のことだった。
「そしたら真希ちゃんが、会社で聞いて来たと言って、家へ来たんだわ。それじゃ上がって下さいと入って貰ったら、真希ちゃん、いきなりわたし父も母も死んじゃっていないんです、と言うからびっくりしちゃってさ。わたしも一人者の娘さん、じゃなくて娘さんとだけ書いておけば良かったんだけどね。
 でも真希ちゃんからすれば、一人者の娘さんとあったので、自分のことを呼んでくれている、と思っちゃったと言うんだから、後で二人で大笑いしちまって」
 老婆は、つい昨日のことのように笑顔なのである。
「でも考えてみれば、一人者と書いたのはわたしの本当の気持だったんだと思うし、やっぱり御縁だったんだって、時々思い出すんさね。それにしても、真希ちゃんには養父母がいるんだから、一人ぼっちと言うのは、ちょっと違うと思うけどね」
 そこ迄話してから、急に老婆の表情は固くなった。
「あんたさん、水野さん、つて言ったよね。真希ちゃんのこんなこと、聞いているんだよね?」
 老婆は、自分を口が軽いとでも思った様子で、余計なことを喋ったかと心配し念を押しているのだった。それにしても宙一は、老婆から水野さんと呼ばれたのは、初めてのような気がした。
「ええ、聞いて知っています」
 頷きながら宙一は、笑みをこめて老婆の目に応えた。真希は老婆と同じ屋根の下で、自分のことをどんな程度に話していたのか、何となく宙一は理解した。好意とまではいかなくても、悪意だけはなさそうだった。
「そうだよねえ、ああよかった」
 老婆は心底安心したように目を細め、茶碗をまた両手の中へ取るのだった。
 真希には養父母(ヽ)だけでなく、妹がいることを老婆は知っているのだろうか、と宙一はそのことが気になった。それに養父母(ヽ)というのも違っていた。
 真希の父親は都会の酒屋で年季があけ、主人から店を持たせて貰うのを契機に世帯を持った。兄が生まれ真希が生まれ、続いて第三子を身寵ったとき、母親は妊娠中毒が不治のものとなって他界した。父親は、店を続けるのに二人の子供を育てるのが至難となり、田舎町の老父母に子供を預かって貰うことになる。
「女の児は、いずれ嫁にやらなきゃならないものだから」と真希の祖父母に口を利いてくれる人がいて、真希は山合いの温泉町のラーメン屋へ、養女として貰われて行った。
 真希自身には全く覚えのない幼児の時の出来事である。小学生となって、それは戦後の物資の乏しい時代なのだったが、真希は継接(つぎはぎ)一つない衣服で学校へ通い、友達からは随分と羨ましがられたという。更に疎開して来ていた踊りの師匠のもとへ、日本舞踊を習いに通わせて貰い、筋がいいと褒められる。三味線も持たされたが、「でも、わたしはいやだった」と恥じらいながら真希が話した。養母はそんな心根の在りようで真希を育て、真希は中学半ばまで、自分が養女であることを知らなかったのだ。
 だがその養母も癌で死んでしまい、高校を終る前に来た継母に、やがて妹が生まれたのだった。そしていつ誰からともなく、都会で店をやっていた父親も死んだ、と聞かされていた。それは自分が養女であることを知った頃だったと思うが、一人になった父親は店には酒はあり物で、それが命を縮めた、というような話だった。多分聞いたのは養母からだったと思う、というのが真希の話だった。
 これら真希の世界を繋ぎつなぎ聞いたのは、真希を誘って高原の湖へ出掛けた時のことだった。宙一には、それ迄自分の周りで人が死んだのは、八十五才で他界した祖母一人だけだった。死というのはその祖母の時のように、年老いて枯木が折れるように訪れるもの、と宙一には想われていた。しかし、人の死というのはそんなものではなかったのである。いつ何時(なんどき)、どこで誰にめぐり来るかしれないもの、身の周りに待っているものなのだ。
 葦の立つ湖岸に二人で佇み、夕暮れの細かい無数の波のある湖面を眺めながら、宙一は真希の小さい肩を静かに抱き寄せた。そしてから掌に力をこめた。肉の薄い肩は、強張ったようだった。宙一からすれば、薄倖ともいうべき親との縁の冷酷さ、に真向かいしての、励ましの言葉に代る自然な行為だった。
 両親が死に養母がまた死ぬ。一方宙一の親二人は、共に生きつつ憎悪の語りを、仇を前にしたように繰り返していた。この対比した姿が頭にあって、宙一には真希にかけるべき言葉がなかったのである。自分の下瞼に泪がたまってくるのを、宙一は抑えられなかった。
 後日宙一は、自分のこの真希に傾いていく心の有り様は、同情と呼ぶべき類のものではないのか、と自問することになる。そのたび真希の伏目がちな愁いを含んだ瞳が浮かんできて、もし同情だと言われても、これは自分にとって変わることのない大きい情(こころ)なのだ、と自身を確かめるのだった。それに対して恋愛という男女の情は、いっとき激しても激する分だけ、移ろいやすく危ない脆(もろ)いものに思われた。
 そして何よりも、真希は孤独を知っている、と高一は思った。宙一の独善(ひとりよ)がりかもしれなかったが、孤独の寂しさを知っている者が自分には向いている、と宙一は自分を内察したのだった。加えて真希のことを考えると、幼児期から養母に慈まれ大事にされてきたことによるのだろうか、温かみと大らかさも窺えるのだった。
 人気のない闇の迫る葦の中で、宙一は真希を抱いた。身の周りの死を語りながら、うっすらと泪を掟べている真希が、この上なくいとほしかった。身近かに人間を感じ、そんな真希が欲しかった。真希はその時、「怖い」と言って宙一の躯の下から、宙一にしがみついて来たのである。
 終えて身繕をしながら、宙一には自慰行為などの後に覚える空しさはなかった。下に敷いた自分の上着を、高一は真希の肩にかけた。そして真希の髪を撫でながら、「いけなかったかな」と訊くと、その時真希は微かに首を振るのだった。
 老婆は熱い茶を宙一に注ぎ、
「水野さん、煙草やるんだったよね」と腰を上げた。綺麗なガラスの灰皿を持って来ながら、一緒に新聞もけの傍に置いた。
「急に雨になっちゃって、傘、持って行ったんかねえ」
 立ったままガラス戸の向こうに眼をやり、真希のことを心配している。宙一もつられて外の気配に首を回した。強くもならない雨は、そのまま降り続いている。
「そうそう、奈良漬つかり込んだ頃だと思うから出してくるで、ゆっくりしていって」
「すみません」とけは恐縮しながら、老婆の後姿に人恋しさの影みたいなものを感じるのだった。死んだ祖母の様子から推して、七十は越しているだろうが八十にはなっていないと患われた。
 けは腕時計を見た。樹林″の同人会が始まる時間に近づいていた。そば屋の二階一室を借り、月一回第四日曜日に開く会は、終ると軽く酒をとり、それから夕食のそばを注文するのが習だった。仲間達は、同一高校の定時制に通った者が中心に集まっており、このあたりで一番早く出来た同人雑誌の会であった。一人遠方から通って来る宙一は、気がつくと最終バスになっている、といった仲間の雰囲気だった。
 今日は無断欠席になってしまうな、と宙一は想う。老婆の様子からも宙一はこの場を立ち難いものがあったが、それよりも老婆との話のやりとりから、久し振りに真希の顔を見たかったし、真希と自分との想いを、一年の白紙を経た後の今、確かめてみたかった。
 真希に、暫く逢わないでいよう、と言った暫くとは、一年ということではなかった。一年逢わないでいよう、と言ったのでは、宙一の意とするところは全く違ったものになってしまうのだった。その時の宙一からすれば、一年さきになるか二年になるのか判らない未知の先の時点で、真希がどのようになっているか、それを知りたかったのだ。
 一年先二年先の真希が信じられなかったのか、ともし問われたら、それは全く逆なのだった。今の真希の、宙一のことは理解していると言い、信じきっている気配に、自分が価するものなのかどうか。それが宙一には不安で息苦しいものがあり、時に怖かったのだ。それにそんな真希を、自由に解放してやりたい、という憶いが一方で強かったのである。
 親友の新村と赤線に行って女を知り、それからも何度か女を抱いていた。後の自己嫌悪と虚ろな淋しさを知りつつ、そんな行為に及ぶ動物的な自分が疎ましかった。それにあの華奢な躯つきの真希に、農家の肉体労働をともなう現実と、詰りあう両親と住む運命共同体の日常を、信じているという言葉にこと寄せて、投入させ担わせていいものか――、と自分を責め畏れるものがあった。
 もし運命というものを司どる神がいるとしたら、宙一と真希の付き合いを否として、白紙で空白のしばらくの間に、真希にふさわしい男を廻り合せるだろう、と、それが宙一の意としたところであり、宙一はそれに従う気持だったのである。
「お若い人には、ちょっと塩っぱかったかねえ」
 老婆は自分でもその一切れを噛みながら、卓袱(ちゃぶ)台に漬物の小皿を置いた。
「構わないで下さいばあちゃん。世話かけちゃって、すみません」
 宙一自身かつて祖母をそう呼び、真希の話からも聞いていたばあちゃんという言葉が、意識せずに口から出た。老婆の頬が、瞬間苦しそうに複雑に綻んだ。
「よね、つて、名で呼んでくれていいだよ」
「いえ、それじゃあんまり……」
「いいだよ。あんたさん、もう立派な男衆(おとこし)さんなんだから、ばあちゃんなんて子供の呼び方じゃ、おかしいよ」
「……」
 宙一は言葉につまった。表戸の横の柱には、古びた板に薄れた墨で、川田、とだけ表札があった。老婆は川田よね、ということになるのだが、「よねさん」と呼ぶのでは、宙一の気持にしっくりこないのである。
 だが考えてみれば、三人の息子達に戦死されてしまっているこの年寄りは、孫というものを持ったことがなく、従って今迄「ばあちゃん」と自然な声と形で呼ばれたことがないのに違いなかった。近所の人や仕立物の仕事関係でも、よねさん、と呼ばれるか、名字で川田さんと呼ばれるのか、そのどっちかでずっとこの年まで来たのだろう。「ばあちゃん」に変る節目がなかったことに、宙一は改めて気付くのだった。
 そんな中で、あの真希が面と向かって「ばあちゃん」と呼んでいるのかどうか。高一は新たにそんなことが気になるのだった。
「あのう――」とけはよねの顔を見た。
「真希は、何時ごろ、何処へ行くと言って出掛けたんですかね」
「お友達の所から、家の方へも回るかもしれない、そう言って出掛けたんだけど、お昼を食べてじきだったわな」
 非情な孤独の激情からは、すっかり遠退いているよねの声調だった。
 友達というのは、女であるかもしれないし男であるのかもしれない、と宙一は思った。しかし考えてみれば、男であってもそれはそれでいいことだ、と思わなければいけないことだった。
「あんたさん、好きにゆっくりやっていておくれ。ここに雑誌もあるし、お茶も自分で勝手に注いでさ。わたし向こうの部屋で、頼まれ仕事をさせて貰うことにするわ」
 立ち上がったよねは、平常の自分を取り戻していると見えた。よねの後で見えなかった壁際に何冊か積まれた雑誌は、家の光″と背表紙に見えるのだった。
 隣の部屋も表に面していたが、よねは電燈を点けてから布のところへ座った。こうして間をあけ仕事をしてくれた方が、よねにも自分にも気詰りでなくなる、と宙一は思った。
 テーブルの下へ両足を盲一延ばし、それから宙一は煙草を取り出して口に銜えた(くわ)えた。もし真希が男と会っているのだったら、広やかに受け容れ、自分を納得させなければいけない。そのためにも、少し位遅くなっても真希を待ってみよう、と宙一の気持は落ち着いて来るのだった。
「わたしも、何人かの娘さんにお部屋を貸してきたけどさ」とよねの声がした。見るとよねは、いつの間にか眼鏡をかけていた。
「真希ちゃんみたいな娘さんは、初めてだよ」
「――はあ」、と返事はしたのだが、どういう意味なのかは判らない。聞き質したかったが気が引けるものがあった。縫物をしていた眼鏡の眼が宙一の方へ向いた。
「ひとくちで言えば、いい娘だよ。ちょっとおっちょこちょいの所もあるけどさ。それがあって、ちょうどいいのさね」
 よねはまた着物の方へ眼を移す。
 数学どころか算数はまるで駄目、数字の並んでいるのを見ただけで、目がくらくらするんだもの。そう話したことや、夜一人で便所へ立つと、戸を開けていないと用を足せない、だって恐いんだもの、と話したことが宙一に浮かんだ。だがよねが言うのは、それらとは趣の異なる生活上の事に関してなのだろう。
「いつだったかも、砂糖と塩と間違えて入れちゃってから、あっいけないお塩だった、どうしよう、と言うんだもの。仕方ないし豆は勿体ないしで、二人で幾日か薄め薄めで食べたよ」
 あの真希なら、きっとそんなこともあるだろう、と宙一は思う。
「でもさ、それもわたし一人に食事を作らせていちゃ悪い、と言って手伝うから起こることでね。殆どの娘さんは、口では御馳走さまとは言っても三食昼寝で、せめて自分のものを洗濯するぐらいだよ。洗濯といえばおかしな事があったけどね、男の人には話せない」
 そう言ってよねは、くすくすと思い出し笑いをした。
 宙一は、鞄から同人誌や雑誌を出す気になれず新聞を拡げていたが、活字は目に入っても書かれている内容は内容として頭に入っては来なかった。
「いけないねえ。めった変な話をしちまって。奥のお勝手の、食事をする部屋にテレビあるけどさ、つけて貰って構わないよ」
 よねはそう言って気を遣ってくれた。だが宙一は、「いいえ、ここで勝手にやらせて貰っていますから」と遠慮した。だがそれは、単に遠慮だけではなかったのである。よねの話もだが、こうして続き部屋でよねの傍にいることで、例え煙草をふかしているだけでも、真希の日常が伝わって来る想いがしていたのだ。
 だがよねは、それからは真希のことに触れては殆ど喋らなかった。仕立物を続けながら、たまに今年のお米の出来はどんな具合だ、とか、宙一の親のことを、お幾つになりなさるね、などと訊くのだった。
 真希が帰って来たのは、「暗かったら、電気をつけておくれ」とよねに言われ、電気を点けてから間もなくのことだった。雨はあがっていたが、曇空の夕暮れは早くから暗くなった。
 高い生垣前の路に砂利を踏む足音がし、屋敷入口のあたりにかかるころ、「きっと真希ちゃんだよ」と、裁縫の手をとめていたよねが宙一に言った。言葉通り靴音は屋敷の方へ入って来、表戸を開けて 「ただいま」と、内へ向けてかけた声は真希だった。
「おかえり」と座ったまま応えたよねは、宙一に笑みかけた。真希は、そのまま玄関の三和土に立ちつくしている気配だ。
 宙一は腰を上げた。廊下の障子を開け、
「よお、お邪魔していたんだ」
 と努めて明るく片手をあげた。
「ああ、いらっしゃい」
 真希はそう言ったが、伏目がちの表情は堅かった。自分の脱いだ靴を端へ寄せ、宙一の靴を揃えるのだった。二階へ上がって行くのかと思っていたが、真希はそのまま勝手の間の方へ行く。隣室から、よねもその方へ立って行った。
 がさごそと何か包みを開いている音がし、真希とよねは何事か話している。そのうち真希が、林檎を皿に載せ果物ナイフを持ってテーブルのところへ来た。
「元気そうだね」
「ええ、お陰様で」
 そう言葉を交わしたが、後に続く言葉が出て来ないのだった。
 紅い林檎を真希は剥くのだが、一つ剥くのに皮は何度か切れた。
 剥き終ると四つに切った。更にそれを二つずつにし、芯を取った。手が震えていた。
「どうぞ」と言って差し出してくれたが、宙一は真希に林檎を剥いて貰うのは初めてのような気がした。
「ちょっと、たばこの臭いが――」と言いつつ真希は廊下に出、それからガラス戸も開けた。宙一は呆気にとられ、その方を見た。外へ向けて深呼吸でもしている様子だった。
 それは煙草の臭いというよりも、自分の動悸を宥(なだ)めている、と思われた。これ迄いくらも真希の前で煙草を吸ったが、臭いがと嫌ったことはなかった。それよりも時には「わたしにも一本頂戴」と言って、宙一に真似て煙を吐き、そして噎(む)せたりもした真希だった。だが宙一は、この変化は男が出来たことによるのか、と複雑な心境になった。
「まあ、きれい!」
 突然真希が声をあげた。
「来て見て!」とその声は続いた。
 宙一は立ち上がり、真希の横へ行って外を見た。狭い庭の四、五メートル先の生垣の際に、淡い紅色の小花が点々といっぱい、五、六十センチ程の高さの所に横に盛り上がって、並んで咲いていた。それが蛍光灯から届く明りの中に浮かび上がっているのだ。雨で洗われた葉の上に、繊細で夢幻的な白っぽい紅色の花は、今が盛りなのだった。
「秋海棠よ。ばあちゃんに教わったの」呟くように言った。
「暗い時にこんなに椅麗だとは知らなかった。でも―― きれいだけど、なんだか淋しそうな感じにさせられる花ね。一人ぼっちで可哀想――」
 こんなに咲いているのに一人ぼっち、とはどういうことか、と宙一は考える。それにしても花を見ている真希は、座って林檎を剥いていた時の胸のものを、一切忘れている――と宙一は想った。いっとき宙一は、真希をこのままそっとしておきたい想いにかられた。今この花が、ここに咲いていて呉れてよかった、と花に礼を言いたい気持だった。真希の事態が例えどのように変っていようと、話だけは以前のように出来る、と高一はそう思ったのである。
「まあ、二人してそんなところにいるの」
 後で声がして、よねが部屋に入って来た。
「ばあちゃん、秋海棠が、こんなにきれい」
「そうだね。この花見ると、いつもお父ちゃんが守ってくれている気がしてね」
 外にちらっと眼をやったよねは、そう言った。よねにとって夫は、やはりじいちゃんにはならずお父ちゃんのままなのだった。
「真希ちゃんが、実家から貰って来た生ラーメン、早速つくったよ。のびないうちに早く食べて、二階へ行ってゆっくり話しなね」
 よねは湯気の立つ井を二つ卓袱台におき、自分はまた勝手間の方へ戻るのだった。
「ばあちゃん、ありがとう」と真希は後姿に言ったが、よねは真希の言うばあちゃんに、何の変わった反応もしないのだった。真希は別格なのか、と宙一は思った。しかし別格になるには、それなりの経緯があったのだろう、と察した。
 テーブルで向き合って熱い丼を吸っていると、宙一は鼻水が出た。ポケットからちり紙を取り出し、鼻をかんだ。鼻をかみながら、宙一は思わず笑い出してしまった。
「どうしたのよ」
「ううん何でもない。後でゆっくり話す」
 宙一は取り敢えずそう言ったのだが、その取り敢えずが二階の真希の部屋へあがったとき、話の糸口になった。
 真希の部屋へは、ここ二年ぐらい寄っていなかった。前からあるものだという箪笥が一つと鏡台と、窓際へ寄った机のその上のスタンド。置き方は何も変わっていなかった。一つ異なったのは、額に入っている絵だった。前はそこにミレーの晩鐘だったのが、いまは聖母のイコンに変っていた。
 真希は宙一が寄るとそうしたように、机からスタンドをおろし、それを部屋の真中へ出す。押入れからもう一枚座布団を出して、テーブル代わりの机へ寄せる。そんな真希の仕草が目に入りながら、以前のように手を出すわけでなく、宙一は掛け変った絵にこだわりを覚えていた。だがそれは、訊けることではなかった。
 真希は、階下から持って来た林檎の皿を、代用のテーブルにのせると少し離れて座った。
 宙一は出して貰った座布団に座ったが、ポケットの煙草に手をやる気にはなれなかった。
「今日、樹林″の日だったんじゃないの。第四日曜日だから」
 部屋の入口に置いたビニールの鞄を目に、真希がぼそっとした感じて訊いた。同人会の時、雑誌や本を入れて行く鞄だった。真希が会合に初めて顔を出した四、五年前の頃も、この鞄だった。真希は 樹林の会 に一年位顔を出したが、宙一とだんだん付き合い出すにつれて、わたしにはムズカシくてついて行けない、と言ってやめてしまっていた。会合の席で宙一と一緒なのが、真希には苦しいようだ――ということを、宙一は後になって知るのだった。
「そうだけど、今日は行かない」
 それよりも、真希と話すことの方が大事だ、と喉にあったが言葉にならなかった。
「それで、いい――」と真希が訊き、「うん」と宙一は答えて、それで会話は切れてしまうのだった。
 肝心なことを訊いたり話したりしなければ、と心に焦るものがありながら、しかし努めて平生な情態で話し合わなければいけない、と宙一は考えていた。それには、最初に切り出す話が大事なのだった。
「あのさ、さっき階下(した)で、後でゆっくり話すと言った話だけどな」
「――?」
 真希は意外そうな顔をした。それは今年の春頃、宙一が見合いをしたことの話だった。言ってみれば告白の類になるが、それでも事実を坦々と語るのに適していると思われた。
「一月末にお袋が死んで、妹の縁談もあったりしているもんで、親戚の者としては俺の日常のことが心配になったんだろう」と宙一は有休(ありてい)に話し出した。
 仕事だって妹の手がなくなる中で、三度三度の飯を誰がつくる。先方の家へもお前のことは話してあるから、何の心配もしないで会うだけ会ってみてくれ、と叔父は説得にかかる。俺は多分断ることになるから、最初から止めた方がいい、と繰り返したが、決めた娘がいるのか、いないんだったらおれの顔も立てて呉れ、と半ばは脅迫だった。
 叔父と宙一が待つ席へ、その娘は母親と来た。叔父の話通り、娘はしっかりした体格で顎の張りも頼もしく、仕事も気性も自分より勝るだろうと宙一は思った。二言三言の話し振りも、芯が動かない自信のあるものだった。「俺は自分の背中の後ろの方が、何だか漏れ落ちていくような、自分に空しい気がしていたなあ。叔父は気を使って、永く続くようにと温かい蕎麦を取ってくれたんだ。それを食べる時、さっきのように洟が出て来たが、俺はそれを拭かなかった。洟は汁の中へも垂れ落ちたよ。俺はいっそのことと、ちょっと隠れるように袖で洟を拭いたんだ。前で母親が変な顔をしたな。そしたら予期した通り先方から、気が進まないからとお断りの返事があったけどな」
 宙一は顔を柔げて話をした心算だったが、真希は同調してこなかった。むしろ硬くなったかもしれない。
「この娘さんには、この人に向いたふさわしい人がいる、とそう思ったし、俺は断わって貰ってほっとしたんだ。だってその娘さんを傷つけないで済んだんだからな」
 だが真希のロは重く、すぐには話し出さなかった。立ち上がった真希は箪笥の上をごそごそやり、灰皿をテーブルに置くのだった。
「いいのよ、煙草吸っても」
 宙一は、えっ、と息を呑んだ。そらしている真希の目を見つめるだけで、煙草は出さなかった。階下でのことから推して、理解出来かねることだった。
「そのひと――」と真希が口を開いた。
「農家の仕事をやっていくのに、心強い人じゃなかったのかな」
「うん。仕事ということで言えば、確かにそういう面は窺えたけど。だが、それも良し悪しいろいろでな」
 そう言って宙一は、父と母との事を話した。山育ちの母は、山合い山合いに散存する小さい畑の一枚一枚で、丁寧に作物を作る農家の出だった。一方父は、数多い家の畑全体を、平均的に作物の手入れをしていくやり方だった。だから一枚の畑で、母のように集中的に念入りに、手間を惜しまないという仕事振りではなかった。要するにその畑では今作物に必要な手入れだけやり、次の畑でも、また別な畑の作物具合が頭にありながら仕事をしている、とそうした段取りなのだった。それが一人で仕事の出来る母には、気に入らないのだった。いい作物を作るには、父さんの手入れの仕方ではだめだ、と言うのである。
 日々共にやる仕事なのだ。その基本姿勢の乖離から起きる衝突と、そこから尾を引き広がる日常の不信に、宙一は幼い頃から無常な悲しさを覚えた――と話した。
「父と母がそれぞれにもし不幸だったとすれば、その源はそこから発している、と俺には思えてなあ」
「反面教師、って言葉あるけど。悲しすぎる出来事だわ」 面を斜めに下げて聞いていたまま、真希は小さくそう言った。一月の末に死んだ母のことだと思った。
「二人で一緒に畑で働く農家の仕事というのは、生活と一体でな。それだけに二人の気持がずれていたんでは、悲しさが二倍になってしまう。仕事がどう出来るか、ということよりもっと大事なことなんだ。そんなだったから父と母は、別々な畑で仕事をやっていることが多かった」
 それは、よその家の畑で見られる光景ではなかったのである。小学生の頃宙一は、父に促されて一緒によく畑へ出た。だが別の畑にいる母のことが気になって、「午後は母やんと畑へ行く」と言って父を挺子摺(てこず)らせた。
「例えば丸い畑があったとしたら、決まったように端から真直ぐに畝を立てて行かなくてもいいんだ。外側から畑の形に沿って丸く畝を立てていけば、最後は畑の真申で終る。そうすれば無駄はないし、種子を蒔くにも肥料をやるにも、畝は一本だから能率はあがる。まあ、実際にそうやる人はいないけど、農業というのは、例えばその位自由に、その家の人達に合ったようにやればいいもんだと、俺は考えているからな」
 見合いの話だったのに、俺はいったい何を喋っているんだ、と宙一は思った。日暮れの農場に、夫婦が立って祈っている絵は外されているのである。
「水野さん、煙草吸わないの? わたしにも一本頂戴」
 突然真希が言った。宙一はびっくりして真希を見つめた。けが吸っていないのに真希が煙草を欲しがったことは、今迄一度もないことだった。ましてや「煙草の臭いが ――」と言った真希である。宙一はその変身に、放恣で自堕落な翳を覚えた。
「いいのか」と質す宙一の半分の気持は、下にいるよねのことを慮ったものだった。真希にもそれは判ったらしい。
「いいのよ。わたしの煙草、ばあちゃんは知っているの。瀬戸物をわたしが割るのと、同じだって」
 宙一は、そんな真希の胸中を測りかねた。同時に、自分が瀬戸物を割ることと重ねたよねと、どんな時どんな話をしたのか、それが知りたかった。
「いつ頃から?――」
 そう訊きながら宙一は、煙草の箱を机の上に出した。
「ばあちゃんには、癖になっちゃいけないよって窘(たしな)められたけど。去年の――」
 真希はそこで口を噤んでしまった。去年の――に続く言葉は、秋の終わりごろ、ではないのかと、宙一は自分に問うていた。宙一が真希に、暫く逢わないでいよう、と告げたのは、去年の今頃より秋は闌けていた。湖岸に立つすすきの穂は艶を失って、褐色の葉は垂れていた。
「もう逢えないんだわ、これで終わりなんだって。そう恩っちゃって。そしたら――」
 宙一はあっと胸を衝かれた。自分の真意は伝わっていなかった、とそう思った。しかし、意とするところがもし理解されたら、ひょっとしてそれは真希を試したことになり、真希への侮辱ではなかったのか、と、今そのことに気がつくのだった。
 宙一はその時、自分の愛の証しとして真希を抱いていた。真希を見つめ、静かにいとおしく抱いたのである。その後で、暫くの別離の話をしたのだった。農家で親達もうまくいっていない俺と、こうして付き合い続けていていいのかどうか、しばらく逢わないでいて考えてみて呉れ。そのしばらくの間に、いい男(やつ)が見つかったら、その彼と付き合ってみていいんだぜ。確かそんな風に話した、と思い返した。日本舞踊を習わせられた真希だった。養父や養母継母の想いもあるだろう、と宙一は胸の中で思っていた。
 真希は項垂れて聞いていた。泪を流したわけではなかった。だが懃に大事にいとおしんだ宙一を、終りのものだったのだ、と受けとめて、堪えていたのだといま思われた。とすれば宙一の言うしばらくは、真希からすれば口実だ、ということになるのかもしれなかった。
 真希の手が延びて、細い指が煙草を一本抜いた。宙一はライターを真希の方へ寄せてやる。
 真希は、煙草を吸うというより、煙を大きく吐き出しているといった感じだった。
「前に一度、訊いてみたことなんだけど」
 と真希が言った。
「こんなわたしの、どこがよくて三年も交き合っていたわけ? 前の時は笑っていて、何も答えてくれなかったけど、今は教えて」
 宙一を見てはいなかった。灰皿にかざした煙草の火を見つめている。宙一は、今はそれに答えなければいけないと思った。
「一緒に映画を観ようと、初めてデイトした時の事、覚えているかな」
 微かに真希は頷いたと見えた。
 町の西部を走っている鉄道の駅で待ち合わせたのだった。昼前に一緒になり、食事をしてから映画を観る、という約束だった。ところが宙一は、仮住まいの家を出ようと仕度していると、材木会社の社長が顔を出した。社長は、宙一が古屋を毀してそこに新築中の家の、請負元だった。
 隣で大工達の声や仕事の音が、台風の接近を前にして慌(あわただ)しかった。社長は強くなる雨足を見ながら、こんな日だから家にいるだろうと思ってな、そう切り出した。これからの仕事の段取りを話し、材料の説明をしてから、いまなら設計変更出来るがな、と、進行中の家の出来上がった時の使い具合について、宙一の気が付かなかったことを、あれこれ話すのだった。若い宙一に対しての、社長の親切な助言と相談の持ちかけだった。
 社長との話を終え、頻繁ではないバスを待って宙一が駅についたのは、約束の時刻を二時間も回っていた。昼食の時間もとうに過ぎていた。台風の風を伴い出した雨である。真希はもういないだろう、と予測しっつ駅へ急いだ。ところが真希は、そこに居たのである。
 東側に開いた駅舎の、烈風が吹き込む約束の柱のところに、真希はいた。駅に駆け込む人、傘を斜めに開いて立ち去る人々の中に、真希はグレーのレインコートとそのフードだけで立っていた。遠くからそれを認めた宙一は、思わず立ち寄り、胸に込み上げてくるものがあった。「悪かったなあ、遅くなっちゃって」近付いてそう言う宙一に、「よかったわ。何かあったんじゃないかって、心配しちゃった」
 それが真希の言葉だった。顔もそこにかかる解(ほつ)れた髪も、雨で濡れていた。ハンカチを出し、顔を拭いてやりながら、「どうして待合室へ入っていなかったんだ」と訊かずにはいられなかった。
「だって、ここを動いたら、水野さんと行き違いになってしまうかもしれないもの」
 悲しげで、真実そう思っている表情だった。宙一は言葉がなかった。幼いというのか素朴で純一だというのか、宙一はただただ感動し、打ちのめされたのである。
 真希は、灰皿に煙草を揉み消していた。
 宙一は、剥き置かれて少し色の変った林檎に手をのばした。
「俺はあの時、自分に厳しい真希の姿を見たと思った。俺に対する想いというのか、信じ方というのか、それも解った気がしたんだ。そんな真希がよくて――俺の心は―― その時決って――今も変っていない」
 黙ったままの真希を見ながら、宙一は林檎を一口齧った。
「そんなの――」と真希が言った。
「水野さんの買い被った思過しで、わたしが子供だっただけよ」
 いかにも今は違う、と言いたげな口振りだった。口を止めて真希を見つめたが、真希は宙一と目を交さなかった。
「あれはいつだったかな。会社から事務の方へ回ってくれないか、と言われているんだけど、と真希が話したのは」 宙一は話の先を変えようと考えたのだった。真希は何の反応も示さなかった。
「俺はその時、真希がどんな答えを出すかと思って、興味があったんだ。だが真希は、わたしは今のみんなと一緒にいられる現場がいいからと、断わったってそう言ったよ」 林檎をゆるやかに味わいながら、宙一は真希の返事を待ったが無言だった。
「俺は真希からその話を聞いて、いっそう真希がいとしくなった」
 その時のことを憶い出しながら、宙一の顔は柔らいでいた。
「あれは、わたし数学が苦手だったから、それでお断りしただけのことだわ」
 真希の口調は変らなかった。だが宙一は、何か違う、変に逆らっている、と感じないわけにはいかなかった。宙一の表情は引き締まったかもしれない。そんな宙一に真希も気付いたようだった。
「ありがとう。昔のこと、もういいんだわ」
 私のどこがよくて三年も付き合ったの、と自分から訊いた真希だった。ありがとうと口では言ったが、聞かされたことを頑に拒むように打ち切る真希。しかも、昔のことと言っている。
 これは何かある――と想いつつ、宙一は煙草をとった。真希は、少し座り方をずらせたが、何も言い出さない。煙草も手にしなかった。
「それで水野さん。今日は、何の話が――」
 突然真希が言った。
 宙一は、おや? と思った。真希は気の持ち方を大きく変えた、と見えた。話の進み方も、宙一が考えていたこととは逆になっているのだった。
「うん――」と応えたが、すぐに言葉にはならなかった。
 宙一が真希の現在を訊く、そのことから話は始まる筈だった。それでもし誰か男がいるようだったら、それはそれで是としなければならないことだ、と自分に言い聞かせてあった。しかし真希が、一年近く前のあのままだったら、自分の気持を伝えようとそういう順序だった。その考えの中には、嵐の吹き込む駅頭でずっと宙一を待ち続けた、あの真希の姿が、宙一の心底に引続いていたのである。
 しかし現実には、今目の前にいる真希の現在が知れないまま、自分のことを問われていた。
 宙一は、自分の気持を率直に、もう真希の胸中や事情など測らずに話そうと思った。
「俺は真希に、そばにいて貰って、一日三回御飯をつくって貰いたくなった」
 言ってしまってから宙一は、自分の顔が火照るのを感じた。躯の芯が震えた。
 真希は、はっとなって顔を向けた。今日会ってから、初めてけを見たような眼の強さだった。宙一はまだ言い足りない気がした。
「それで、俺と真希の子を、産んで欲しい」
 そう言ったが、まだまだ思いは胸の中に溢れていた。しかし胸は締めつけられて、言葉にならなかった。そんな自分を、冷静にならなければいけない、と抑えるものがあった。同時に、俺は今一生を懸けている――と自覚している自分もいた。
 真希の目線が、少しずつ膝のあたりに垂れていった。そのまま背中が丸まり、項垂れる姿勢となった。
「どうかな。俺の頼み、訊いてくれるかな?」
 静かに訊くことに努めながら、今俺は結婚の申し込みをしているんだ、と宙一は思った。それにしては、変な言葉の具合だと判った。愛している、好きだ、という字句が目の前に浮かんで来たが、使う気持にはなれなかった。何か他人事(ひとごと)の感じで空々しく、軽くて気障(きざ)で、自分のものではなかった。
 とはいってもこの真希のためには、自分の言葉はどこにも香りや匂いの響きがなく、余りに即物的で余情が無さ過ぎる、とも覚えた。
「わたし、莫迦だった――」
 その言葉と一緒に真希は両手で顔を覆い、肩で鳴咽した。始めて見る真希の仕草だった。
「好きな、いい男が見つかったのか」
 けは真希の様子から、拒絶の事態を想像した。別な男に答を出してしまったのか、と考えた。自分の内にある自己嫌悪と自己矛盾、農家の自然と共に生きていく肉体労働、加えて我家の親達と自分の昏迷ぶり。晩鐘の絵の平安と静謐とは距離のある現実。そんな中で一年前真希に、しばらく逢わないでいようと告げたことだった。しかしそれから一年の間に、真希にはいろいろな事が起きていたのだ。
 だが真希は、睦(むせ)びながら首を振った。否定したのである。
「じゃあ、好きではないけど、結婚することになったとか。それとも、家で親の面倒を見なければならない事になったとか――」
 ほかにも泣く事情はあるのかもしれなかった。けれども宙一には、それ位しかいまは浮かばないのだった。
 真希は、その問いかけにも弱くはあったが首を振った。「わたし、莫迦だったのよ」項垂れたまま、再び真希が言った。
 宙一は、大きいところではっとするものがあった。結婚する相手がいる、ということではなかったのだ。
「いいさ。俺だって同じように莫迦なんだから」
 真希は、少し面をあげた。
「どうして、何があったんだって、訊かないの?」
「うん――」と宙一は泣き腫れた目に言い、「今もその莫迦なことは続いているのか」と逆に尋ねた。
 真希は濡れた目で宙一を見つめたまま、首をはっきり振った。
「そんならいいさ。過ぎたことだったら、聞いたって何の力にもなれない」
 急に真希の目に泪が満ちた。
「そうじゃないの。わたし莫迦で軽率で、自分を大事にしていなくて……」
 真希は言葉にならず、噎びあげた。
「わたし、水野さんの、顔を、見ていられない」
 そう言って躯を伏せ、声を殺して泣いた。
 宙一は新しい煙草を出した。三口ほど吸って灰皿に煙草をつぶした。男とのことか、とおよその察しはついた。しかしこの真希のことだ。何か犯罪的なことか、とも思った。それで、どっちのことだろうと思いつつ、
「男と何かあったのか」
 と、そっちの方を訊いたのだった。少し嗜虐的かな、と思った。しかし何も訊かないのでは、真希は自分と距離を感じてしまうだろう――そうも思った。
 伏せたまま真希は頷いた。その真希の姿は、自虐的な感じに見えた。宙一は咄嵯に、俺に裁くようなことは言えない、と思った。
「だったら、なおのこと喋らなくていい。俺だって真希に話していない、真希の知らないことがいっぱいある」
 今は続いていない、真希にとって言わば一過性のもの。その莫迦だったという出来事は、自分に大切な真希の全体に比べたら、浅いものに思われた。真希のこの有りように較べたら、真希に秘めたままの自分の態度は、不正直で傲慢なのかもしれないとも思った。そう思いながら真希に話しかけた。
「過ぎたことなんだから、忘れな。それが出来なかったら、自分だけの秘密の小函(こばこ)に入れとけばいい。俺もそうしている」
 宙一は、真希の肩に手をかけてやりたかった。だが、今真希はそれを拒むだろう、と思った。その真希が躯を起こし顔をあげた。涙は流れていなかった。
「わたし、水野さんに恥ずかしいし、こんな自分が嫌いになっているの……」
 悔恨の激情は、真希から退いて行きつつあった。
「俺自身がそうなんだけど」と言って、高一は真希の目をしっかりと捉えた。
「人間って哀れな悲しい生き物で、前向きと自己嫌悪と両方持っていて、いつでもその繰り返しだと思うよ。だから俺は、その両方があるからこそ人間なんだって、今は自分で勝手にそう思うことにしている。だって自己嫌悪っていうのは、反省の母だろ。もし前向きなだけだったら、それは学校の教科書の、本だよ。本は紙と字で、知識は詰まっているけど生き物じゃないよ」
 宙一を見ていた真希の目が、ぱちぱちと瞬いた。
「水野さんて、いいなあ。何でもいろんな風に考えられて……しかも希望的っていうか肯定的で」
「もしそう見えるんだったら、それは俺が自然の中で作物と一緒に生きる、農業をしているからだと思うよ。農業っていうのは、台風だとか水害だとか日照りの早魅(かんばつ)だとか、風も水もお日様も、みんな有難いものなんだけれども害もする。そのように何でも一面的なだけじゃないんだよ。しかし人間が絶望しちゃわないで努力すれば、次の年は又いい作物が出来るからな」
 宙一は、真希を一年前のあの平生に戻らせたくて話していた。
「でもわたし、こんないやな悪い自分が、水野さんにも、それ以上に自分にも許せなくて」
 真希の目は、また淋しく伏せられていくのだった。
 宙一は真希の傍へ行った。真希の頬を両掌で挟み、その顔を自分に向けた。
「真希。お前が悪い人間(やつ)だとしたら、俺はもっと悪い人間(やつ)だ。だが俺は、自分を悪い人間(やつ)だと知っている人間の方が、信じられる」
 そう言って真希の目を見た。掌の力を抜いたが、真希の目は少しの問宙一の目を見つめていた。
 宙一は、頬にあった手を真希の肩におろした。そうしてゆっくりと肩を自分に引き寄せた。片手で頭を抱え込み真希の唇を吸った。真希の躯は堅かったが、やがて柔かさに変っていった。宙一はそれを安心の柔かさだと受け止めた。口を合わせたまま宙一は、肩をさすり髪を撫で、そして頬に何度も触れるのだった。
「真希。お前の全部が欲しいけど、躯を合わせてそうするのは、お前のお父さんやお母さんに、お願いに行ってからにする。それでいいかい?」
 唇を離し、躯も離しながら宙一は言った。真希は宙一の頬に手を延ばして触れつつ、小さく頷くのだった。もともと黒目勝ちで愁顔の真希だったが、泣いた後の真希は余計に寂しそうに見えた。
 鏡台に立って行き、髪を直していた真希だったが、そこから爪楊枝を持って机のテーブルに返した。林檎を楊枝で刺し、宙一の口の方へ差し出す。
「ありがとう」と右手で受け取り、宙一はその林檎を幾口かに食べた。真希は宙一の動く口許を、じっと離さずに見ていた。
 もう一度、真希の少し腫れぼったい目の下頬に触れ、宙一は立ち上がるのだった。
「バスの時間が……。また手紙を書く。元気でいてくれよな」
 祈る想いでそう言った。
 真希の顔が頬のあたりで弛み、宙一は嬉しかった。
 鞄を持ち、階段を降りた廊下で、
「ばあちゃん、ありがとう。お世話になりました」と、表の茶の間へと、テレビがあると言った奥の勝手の両方へ聞こえるように声をかけた。真希は後について来ていた。
「帰られるんかい」
 勝手の方でよねの返事がした。
「ええ」と応え、宙一は入口の土間のところへ行き、靴を履いた。三和土の隅には、割れた皿がまだそのままだった。板の引戸を開け、上框(あがりかまち)にいる真希に、「ありがとう。元気でな」と声をかけながら握手をし、宙一は外に出た。軒燈がぼんやり点る外は暗かった。
 真希は、戸に手をかけて宙一をみおくっている。五、六歩あるき出した時、
「ちょっと、待っておくれ」と後でよねの声がした。
 宙一は立ち止まり振り返った。よねは履物をはくのももどかしく、真希を横へ退けて外へ出て来た。
 宙一のジャンパーの袖をつかみ、
「帰っちゃ、いけないよ」そう言って袖を二度三度と揺すった。涙含(ぐ)んでいるのか皺寄った瞼が光った。
 よねは掴んだ手で宙一を引き、高い生垣の方へ宙一を誘(いざな)うのだった。宙一は、何事だろうと訝った。
 暗い中で、よねは宙一の袖を持ったまま暫く宙一を見上げ、それから声を落としてぽつんと、「真希ちゃん。今一人にしたら、死んじゃうかもしれないよ」と、呟くように言うのだった。
「ええ!?と宙一は息を呑んだ。
「死ななくても、どこかへ行っちゃうよ。それでもいいんかね。あんたさん、男だろ。お願いだから、今夜は泊まって、そばにいてやっておくれ」
 宙一は何かで頭を殴られたように打ちのめされた。頭の中は真白になった。尊敬していた三沢健治先輩と、先輩が好きだった木本有子という引き揚げ女子学生のことが浮かんで来た。
 宙一も憧れていたその有子さんは、いやな事件のあと、誰も知らない先輩さえ判らないところへ、消えてしまったのだった。
 やがて宙一は、自分の言葉は無力だったのか?――と思った。いや、無力でなかったにしても、それよりも今真希に必要なのは、そばにいて抱きしめていてやることだ、と悟ったのである。それは自分が真希に、そばにいて御飯をつくってくれと願ったよりも、もっともっと切実なものに思われた。
「何があったか知らないけど。でもあの真希ちゃんの顔を見たら、わたしじゃ、もうどうにもならないよ。お願いだから、泊まって行っておくれ」
 懇願するよねは、宙一の手首を直接両手で握っていた。そのよねの骨張った手は、小刻みに震えていた。
「死んじゃ、いけないんだよ――」
 真希のことだけでなく、夫のこと、三人の息子のこと ――みんなひとくるめにしてよねは言っているようだった。
「ばあちゃん、ありがとう。そうするよ。俺自分のことばっかり考えていて、莫迦だった」
 よねは宙一から手を離し、板戸の内へ入って行った。小柄なよねが前こごまりで、更に小さく見えた。真希はその戸口に、さっきのままの姿で立っていた。燈の下に影をまとわせて佇む様は、いっそう寂しく心許なく見えるのだった。話声は届かないものだった。
 暗さに馴れた宙一は、夜目に浮かぶ秋海棠の叢の方へ歩いた。蛍光灯の光の先では薄紅色だった花が、今は白っぽく淡い在所(ありか)を示していた。
 宙一は叢のもとへかがみ込んだ。一本ずつ何本かを折って二階の真希の部屋へ持っていって飾ろうと考えた。晩鐘の祈りの絵があった時は、小さな花瓶や時にはコップに、水仙や金盞花、野菊やすすきの穂でさえ飾ってあった。
 有子さんと同じかもしれない真希だったのに、それなのに俺はそばにいて三度の御飯を作ってくれ、子供をつくってくれなどと、真希の気も知らずに自分中心なことしか言っていなかったのだ、と宙一は自分を恥じていた。
 秋海棠の莖は固かった。爪を立ててから折り取るようにした。湿った土に鞄を置き、折った花を鞄の上へ置いた。途中で手を止め、離れている真希の方へ片手をあげて合図をした。
「二階へ飾るから、花瓶用意してくれよ」
 真希は手をあげることで応え、内へ入って行った。
 宙一は気を取直した。これを部屋へ飾って、今夜は一晩中でも真希の眸を見つめ、そして「もう離さないよ」と言って手を握っていてやろう――と思った。
 もし真希が「何か話をして」と言ったら、これから穂を出そうとする稲の田んぼでは、一枚ずつ全部の葉が、光る露の玉を葉先に捧げ持つようにさし上げて朝日を待つ、その情景と感激。桃取りが終り、桃を甘く熟れさせた葉が役目を終えたように秋には落葉になると、その落ちた葉の付け根には、来年の春に芽を伸ばし花も咲かせる新芽が、ちゃんと準備出来ている不思議な摂理と営み。そしてその新芽をつけた若枝が、冬から春にかけ夕陽を浴びて朱色に映える美しさ――。
 そんな自分自身の眼に写っていることを、そのまま真希に、静かに話してやろうと宙一は思うのだった。
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